7章④
6月3日、日曜日
アドナイが近日に自身の印象操作のための特集を各メディアで展開する案件は高天原も感知していないことであった。
どのような世論操作を行うかは分からないが、それでも事前にあると警戒しておけるだけ不意打ちを喰らうよりは遥かにマシだ。
アドナイが唯一神の依り代ということは既に総代と船田社長に共有してある。
高天原では暗殺部隊を選出し物理的に始末するという案も上がったが、それで政府に本命のクーデターの警戒を強められると本末転倒であるためクーデター当日の始末対象に追加するという事で話が収まった。
寿命が残り少ない唯一神に新たな命を与えないためにも早めに始末したいのだがこればかりはどうしようもない。
ルシフェルの見込みではあと3,4カ月程度はアドナイを生かしたとしても完全な依り代にはならないらしいのが幸いか。
焦る気持ちを抑えてアドナイの出方を窺うほかない。
それまではテスト勉強に集中する。
そういう心構えに切り替えて俺は自宅のリビングで勉強をしつつアイカにも勉強を教えていた。
「……そう、ここは先ほどの定数を使えば上手くあてはまるよね」
「ありがとうキューセイ君。ごめんね、自分の勉強もあるのに」
「気にしないで。ずっとしていたことだし」
「うん」
そこで隣のキッチンフロアから雑談の声が流れてくる。
「ほうほう、ここでソースを仕込むわけね」
「うん、早すぎると材料が少ないからソースの水分が沸騰しすぎてダメなんだって」
「なるほどねぇ、リルルちゃんあんたいいわね」
「え、なにがですか?」
「バカっぽいのにコツをちゃんと掴んでいるところよ」
実は今、母親がリルルに調理を教わっている。
「うちは3人とも料理ができないわけじゃないんだけどこれだって味に到達しなかったのよね。旦那は作法や出来栄え気にしすぎて味は二の次だし。私やキューセイは調理を理解できても食べられる妥協点でいいかって拘り持てなかったから」
「あはは、おいしいもの食べると元気出るし。ママさんがこれから拘りもたないとですね~」
「そうなんだけどね~、実際にやってみると気持ちがそこにいかないのよね~。可愛い息子じゃないし手間かけた料理振舞ってやるか~ってならないのよ」
「え~キュー君可愛いですよ」
「ですってキューセイ、やっぱあんたリルルちゃんと付き合いなさいよ。そしたら毎日おいしいご飯食べられるわよ」
「専業主婦になったんだから料理を頑張るためにリルルに習っているんでしょ?」
「専業主婦にしたのはあんたでしょ?」
「それは笑って承諾した話でしょ?」
「それはそれよ」
相も変わらず俺と母親は言い合いになりそうになるとリルルとアイカが割って入る。
「「ストップ二人とも」」
そうなっては、俺たちは抑えるしかなく一度頭を冷静に切り替える。
「……少し外に出てくる。料理覚える気がないならその間にアイカの勉強視ておいて。それが本来の仕事でしょう」
「あ、逃げた」
「あ、リルルも外の空気吸いたいから一緒に入っていい?」
俺とリルルは外に出て一息落ち着かせたあと会話する。
「急に母さんの我儘に付き合わせてごめんね、リルル」
「いいよ。仲間なんだし気にしないで」
……研究職の仕事を失った俺の母親は専業主婦となった。じゃあこれから高天原で何もしなくていいのかというとそうでもなく暇な信徒は学生の勉強を見てあげようという心構えのようなものがある。
俺と同等に頭が良く家庭教師として見るなら上等なものだろう。
だからアイカの家庭教師を今回任されたわけだ。
中学までは俺がアイカの勉強を見ていたから必要なかったが今はヤハウェイ関係で忙しくアイカの面倒まで手が回らないことを総代が配慮して俺の母親にその役目を振ったのだろう。
そこまでは良かった。
問題は、母親は母親で暇になった分、日々の食事の味を追求しだしたためそれを改善しようとしていたのだ。
それで今日リルルを呼び出して教えてもらうことと、アイカの家庭教師の時間が被ってしまったわけで……それで俺が代理でアイカの勉強を見ていたという訳だ。
「ねーねーキュー君、ユーハちゃんのどこを好きになったの?」
「なんか一昨日もその質問されたなぁ。まあ、色々要因はあるけど好きな部類の我儘だからかな。人を振り回せるだけの華や輝きがあるというか」
「あ、分かる。カリスマな感じがあって憧れるよね。う~ん、じゃあやっぱ勝てないなぁ」
「勝つ必要はないんじゃない?」
「え、つまりリルルを愛人に? ユーハちゃんOKしてくれるかなぁ?」
「しないだろう……いや、何故かハーレムは許容な意見なんだよなユーハ」
そこで見つめあって数秒の沈黙が流れたあとリルルは突拍子もなく抱き着く。
「と~」
「ちょ、リルル重い」
「え~、そんなに重くないよぉ57キロくらいだし。えへへ、こうしていると気持ちいいねギュ~」
「俺より重いんだ」
「ええ、そうなの! やせた方がいいかな?」
「そのままでいいと思うよ。リルルはそれでいい」
「あはは、キュー君やっぱ優しい。リルルのありのままを受け入れてくれるよね」
「そろそろ戻ろうか。あまり遅いと母さん五月蠅いし」
「うんうん、リルル頑張って教えるね。それでお母さんにおいしい料理作ってもらってね」
「ああ、そうである明日なことを期待しよう」
◆
6月13日、水曜日
今週からテスト期間となり今日はその最終日だ。
昼あたりに試験の最後の科目が終わり今日はそのまま放課後扱いとなる。
久しぶりに羽を伸ばせる時間に入ったことへの喜びか、さっそく部活に励む者もいれば遊びに行く者もいた。
俺はというと生徒会に久しぶりに集まって今後の行事確認と必要な雑務の確認をしてからユーハと共にいつものショッピングモールのカフェへと向かった。
既にリルルとシュンノスケにも連絡は入れており、カフェに到着すると二人は既に席を取ってくれていたためそこに合流する。
「いよいよだな」
今日のこの時間帯からどこもかしこもテレビや自らのスマホを眺めて待つ姿勢の者が増えている。
俺たちもカフェ内に設置されているテレビを見て待ちかねている。
何をかというとアドナイの特集だ。
事前告知によれば今日の昼過ぎに指定の放送局やSNS動画でそれが始まるらしい。
外務省の帰化議員という話題をSNS上では一度潰してからの自己発表だ。
それは日本中……どころか世界的に見ても注目が集まる案件だろう。
特集番組が始まる。
黒塗り背景のスタジオの真ん中に椅子を置いてアドナイは座っていた。
『こんばんは日本国民の皆さん、与党にて外務大臣を務めている亜土内……いえ、通名は失礼でしょう。アドナイ・アラー。それが私の本名です』
テロップにその名前が英語表記で出された。
『ここに特集を組ませていただいたのは国民の皆様方からの不安が私に集約していることへの弁明がしたいからです。まず端的に事実を打ち明けていきましょう。初めに私は帰化人です。そして正当な選挙手段で政治家になってはいない。外務大臣の任を異例の若さと浅いキャリアで得られたのは外圧が働いたからです』
それに恐らく日本中が動揺と怒りで揺らいだだろう。
このカフェ内でも反発は大きすぎる。「最低」「違反じゃん」「民主主義が崩壊している」などアドナイを認める声はない。
「……何故だ?」
俺が首をかしげるとシュンノスケは尋ねる。
「ん、どうした?」
「今まで政府の圧力でアドナイの非を話題にしないようにしてきたのに何故今さらになって逆のことをしだす?」
「確かにな。このまま黙っておけばいいのによ。……けどなんかあるんだろうな」
アドナイに番組スタッフからタブレットが手渡される。
それは現時点でのSNSの反応だ。
アドナイを認めない・許せないという声は99%を超えている。
『……まあ当然の結果でしょうね。そう、私の存在は信用ならない。なら、ここで辞任するという引き方が国民の怒りを治める妥当な手ではあるのでしょう……ただ、妥当な手で皆さまは満足ですか?』
そう切り返したところで国民の答えを直に聞けるわけではない。
だからそのあとこう続ける。
『辞任したあと公金が流れる大企業に天下りする。政治家特権で免税されている莫大な資産を元に海外に逃げて悠々な暮らし。私がその手を取らない保証がどこにあるでしょう? 今までの汚職に手を染めて辞めた政治家は今どうしているか知っていますか?』
そう言いながら過去の有名な汚職や不祥事で辞任した元政治家のその後の録画映像が次々と流れる。
アドナイの言う通り彼らは自らを罰してなどいなかった。
政治家時代と変わらぬ甘い蜜を啜り、歪み切っている者は政治家時代よりも悪化して犯罪に手を染めてさえもいた。
これらは高天原でも関知していない案件であった。
勿論クーデター後に過去の政治関係者を調査するつもりではあったが。
この時点でこれらの証拠映像を纏めるには身内からの調査が必要不可欠だ。
すなわちアドナイ本人が調査したという事になる。
そして公開するということは身内を裏切るに等しい。
こんなことをすれば組織内で袋叩き似合いそうなものだがアドナイは唯一神の依り代だ。ヤハウェイの支配下にある現政府で反旗を翻せる者などいない。
『許せないですよね……皆さんからの血税を食い散らかして反省の色を見せないその悪辣さに。……しかし、あなた方は彼らに報いを与えられはしない。国民とは無知で無力だ。権力と法に逆らうだけのものを持たない。だからこそ政治家は付けあがる。その構造は古代より問題視されてきた。だから……』
そこで映像が次のものに切り替わる。
それは元政治家とその家族が事故にあって死亡する、そんなものが何パターンも流されたのだ。
録画時刻は全て最近の日時だ。
『神からの罰が下されました。いや、素晴らしい。主は飢える民を見放しはしなかった』
そう語っているが、実際はアドナイが間接的に事故死させたということだ。
それはだいたいの視聴者が察しているはず。
問題は本来なら起こりえないことをしてしまったということだ。
そう、権力者への制裁を。
「おい、これって……」
「やられたね。アドナイの存在は本来なら認められない。けれどそれを帳消しにする方法があった。不正を正していることを証明する。殺人や外圧工作の問題点も浮上してくるが今の国民からすれば汚職政治家の命の価値なんてマイナスな認識だしいけないことなんて思いもしない」
アドナイとしては裏切りの兆候がある身内への制裁も兼ねているのだろう。
カフェ内だけでも反応が一気に変化する。「うわやば、けどやるじゃん」「悪人ざまぁ」「そうだよ、悪い奴を始末してくれるなら人種やコネなんて関係ない」と。
「本当だな、凄い掌返しだわ。ネットでも風向きが一気に変わった」
そこでアドナイはタブレットを再び確認する。
そこに納得のいく数字が出たことに満足した顔をしつつ画面にそれを公開する。
アドナイを許せないという声は既に60%を切ってしまうほどであった。
『国民の皆様方は外圧をどうお思いになられますか? 外資に買われること、外国に配慮して誘致すること。それらは国を貧困にする。だからこそ皆さまはいい印象をお持ちにならないでしょう。けれど今先ほどの映像は外圧無くしてはありえなかったことだ。私はそれを使える立場にある。ここまで言えばお分かりの方も多いでしょう。私が何を意図してこの特集を企画したかを』
お分かり、か……表面上の意味合いだけしか分からない人がここで大多数になるだろう。
それが致命的なんだ。
『政治の物理的な体質改革をここに宣言いたします。主への背信とも取れる裁かれぬ悪人に裁きを。それこそが許されない私が皆様に許されるための道になると確信しています。それをどうか見届けていただきたい』
アドナイがそこまで言い切ったところで特集番組は終了した。
……特集が終了した後、俺たちはカフェ内の反応の声を聞きつつSNSを適当に閲覧してネットの声も見ていく。
アドナイへの不信感は未だに強い。しかしそれ以上に期待という声が広まっている。
そして外圧というものへの共有認識が急激に変化していっている。
「ねえキュー君、シュンちゃん、リルル頭良くないから分からないんだけどこれって何がしたかったの?」
それに俺とシュンノスケは目を合わせてどう言ったものかと悩んだ。
「ええ、黙らないでよ。これくらいは分からないとダメ?」
「いや、むしろ全く分からないでいてくれたほうがまだマシなんだよね。この場合は」
「半端に分かっている奴が多いってのが救えないんだよな。ま、お前向けに簡単に言うとだな……このアドナイっておっさんは悪い政治家を国民の代わりに裁いてあげるよ、って言ってんだ」
「え、いいことじゃん?」
「それだけならな。このおっさんは今から身内を裁いていくんだろうよ。そうなったら国民はどう思う?」
「おじさんがいい人に見える?」
「そうだな。つーことはだ、みんなこのおっさんの強みである外圧って部分を肯定するようになるんだよ」
「それが狙いなんだろうね。恐らくこれは外圧規制の大幅緩和政策のための布石なんだろう」
そこでユーハが疑問に思って尋ねてくる。
「あら、政府って既にヤハウェイに支配されているも同然でしたわよね。なんでそんな政策する必要があるんですの?」
「政府の現状がそうであってもそれをそのまま国民には伝えられない。だから裏でこそこそ画策していたわけだけど、国民が表のドアを開けてくれるなら……外圧を受け入れてくれるなら効率よく具体的な支配が実行できるってわけ」
「なるなる。気持ち悪いことしてきますわね。リルル、理解できまして?」
「うん、あのおじさんを信じちゃダメってことだよね」
「そういうこった」
そこでスマホに連絡が入る。
船田社長からだ……あとで相談しようと思っていたためこのタイミングでかけてくれるのは説明の手間が省けて有難い。
『……大変なことになったね』
「はい、そちらで何か変わったことはありますか?」
『あるよ、実はアドナイの使いである外務省の人間が先日うちを尋ねて来てね……公共事業の契約期間を引き伸ばすかわりに天下りポストをまず2枠用意してほしいって要求してきたんだ』
「天下りを? それでなんと返答を?」
『急にそんなポストを用意できないから考えさせてほしいと保留にしたよ。意図を明かさなかったしね。けれどこの特集を見て検討は着いたよ。恐らくアドナイは今後、身内切りのパフォーマンスをしていくのだろう。けれど何でもかんでも身内切りしていたら流石に裏切られかねないよね』
「ああ、だから例えばですけど、まだ利のある人間は刑務所に入れる程度に収めてほとぼりが冷めたら釈放して公共事業関係の企業にコッソリ入れてやるという手を使ったわけですね」
『恐らくね。知り合いの公共事業を扱う会社にいくつか連絡を取ってみたら同じ天下りの話があったって確認も取れた。早急に連絡を取りたかったことから分かると思うけれどこれはクーデターに影響が出る』
「分かっています。至急対策会議を行いましょう。総代には俺の方から話を通しておきます。それで会議日時が決まり次第追って連絡させていただきます」
『頼むよ』
そこで通話を終えて俺は皆に船田社長の話を説明した。
クーデターには相応の武力と政権奪取後の統治能力が必要だ。
高天原は時間をかけてその2つを準備してきた。
しかし、クーデターにはもう1つ必要なものがあったんだ。
それは関わらなかった民衆が成されたクーデター後の体制を認めるかどうかだ。
今までなら腐敗した政権を打倒するという流れができていたからそれで良かった。
だというのにアドナイが先んじて腐敗を正すことをアピールしてしまった。勿論見せかけでしかないのだが。
高天原は民衆の心証というものを失念していたわけではない。けれどまさか政府がこのような手段に出るなんてありえないと踏んでいたから完全に虚を突かれたのだ。
「これがアドナイ・アラーのやり方か」
狡猾に神々を騙して今の世界を作った唯一神の依り代に選ばれるだけはある。
信用や信頼というものを嘲笑うような……人を貶めるための振る舞いにここまで長けた人間がいたことに驚かされた。




