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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
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第七話 硫破神

地下空間は静まり返っていた。

誰も言葉を発せない。

和悠も、

燐も、

悠生でさえ。

目の前の人物を見つめることしかできなかった。

黒髪の、不思議な雰囲気を纏う青年。

年齢はよくわからないが、若く見えた。

だが、その瞳だけは違った。

何百年も生きてきたような、

何千年もの時間を見てきたような、

そんな深さがあった。

その人物は困ったように笑う。

まるで久しぶりに友人と再会したかのように、

「そんなに警戒しないでくれ」

穏やかな声だった。

少なくとも敵意は感じない。

だが悠生は刀を下ろさなかった。

「お前が硫破(るぱ)(しん)か」

青年は少し考えるように首を傾げた。

「そう呼ばれていた時代もあったね」

曖昧な答えだった。

肯定にも否定にも聞こえる。

燐が眉をひそめる。

「時代もあった?」

「長く生きると色々あるんだよ」

青年は肩をすくめた。

「名前も変わる」

「立場も変わる」

「呼び方も変わる」

そして少しだけ寂しそうに笑う。

「忘れられることもある」

その言葉に和悠は胸がざわついた。

忘れられる。

まるで。

村から消された硫破神そのものだった。

悠景がゆっくり立ち上がる。

足元はまだふらついている。

だが先ほどよりは意識がはっきりしていた。

「和悠」

兄の声。

五年ぶりだった。

和悠は思わず振り返る。

「兄さん」

ようやく実感が湧いてくる。

目の前にいる。

生きている。

夢ではない。

悠景は少しだけ笑った。

昔と同じ笑顔だった。

「大きくなったな」

その一言で。

和悠の目頭が熱くなる。

五年間……

ずっと死んだと思っていた。

もう会えないと思っていた。

聞きたいことは山ほどある。

怒りたいこともある。

それなのに……

言葉が出てこない。


「さて」

青年が手を叩いた。

全員の視線が集まる。

「感動の再会を邪魔するつもりはないんだけど」

祭壇の方を見る。

「そろそろ時間がない」

悠生が反応した。

「何の時間だ」

青年はため息をつく。

「本当に神影家は説明不足だな」

「どういう意味だ」

「君たち、何も聞いてないだろう?」

和悠たちは顔を見合わせた。

確かにそうだった。

謎ばかり増えている。

説明はほとんどない。

青年は祭壇へ歩く。

その足取りは軽い。

まるで自分の家のようだった。

「まず一つ訂正しておこう」

祭壇の中央に立つ。

そして振り返った。

「僕は君たちの敵じゃない」

燐が即座に返す。

「信用できるか」

「できないだろうね」

青年はあっさり認めた。

「でも事実だ」

その言葉には妙な説得力があった。

少なくとも嘘をついているようには見えない。

「じゃあ質問だ」

燐が言う。

「兄さんを攫ったのはあんたか」

青年は首を横に振った。

「違う」

即答だった。

迷いがない。

「むしろ助けた側だよ」

今度は和悠が驚く。

「助けた?」

「そう」

青年は悠景を見る。

「彼は本来なら五年前に死んでいた」

地下空間の空気が変わる。

和悠の鼓動が速くなる。

悠景も苦い顔をした。

どうやら知っているらしい。

「何があったんですか」

和悠が尋ねる。

青年は少し黙った。

何から話すべきか考えているようだった。

やがて口を開く。

「五年前」

その声は静かだった。

「悠景は継承の争いに巻き込まれた」

悠生の目が鋭くなる。

燐も息を呑む。

「そして死ぬはずだった」

「……」

「だから僕が止めた」

和悠は理解できない。

話が飛びすぎている。

だが青年は構わず続けた。

「その結果」

「色々と面倒なことになった」

少し申し訳なさそうな顔だった。

「待ってください」

和悠が言う。

「あなたは何者なんですか」

それが一番大事なことだった。

地下にいて、硫破神のような雰囲気を感じ、時間の話をする。

しかも兄を助けたという。

普通の人間ではない。

それだけは確かだった。

青年は少しだけ考えた。

そして笑う。

「難しい質問だな」

「簡単に言えば」

黒髪をかき上げる。

その仕草はどこか人間らしかった。

「時間の管理人みたいなものかな」

燐が呆れた顔をする。

「全然簡単じゃない」

「そう?」

「そうだよ」

青年は少し笑った。

そして、

今度は真面目な顔になる。

「でも本当に時間がないんだ」

祭壇の奥を見る。

その視線の先には。

巨大な石壁があった。

和悠は気付く。

いつの間にか石壁に亀裂が入っていた。

細い線だった。

だが確実に広がっている。

パキッ。

小さな音。

また亀裂が伸びる。

悠生の顔色が変わった。

「まさか」

青年は頷く。

「そのまさか」

そして、

初めて本気の表情を見せた。

先ほどまでの穏やかさが消える。

「封印が限界なんだ」

地下空間が静まり返る。

誰も意味を理解できない。

だが、

その言葉だけで十分だった。

何かが起ころうとしている。

それも、

かなりまずいことが……

青年は和悠を見る。

真っ直ぐ。

迷いなく。

「和悠」

初めて名前を呼ばれた。

「君にしかできないことがある」

その言葉と同時に。

石壁に大きな亀裂が走った。

轟音が地下空間を揺らす。

地下空間に轟音が響く。

石壁の亀裂はさらに広がった。

だが、

和悠が想像していたような怪物は現れなかった。

壁の向こうから漏れ出しているのは、異様な気配だけだ。

まるで長い年月閉じ込められていた空気が流れ出しているような……

そんな感覚だった。

燐が硫破を見る。

「何なんだ、あれ」

硫破は頭を掻いた。

「正確には僕も知らない」

「は?」

燐が思わず声を上げる。

「知らないってどういうことだよ」

「知らないものは知らないんだ」

硫破はあっさり答えた。

「僕が作ったものじゃないし」

「じゃあ誰が作ったんですか」

和悠が尋ねる。

硫破は少しだけ黙った。

そして石壁を見た。

「多分だけど」

「サルファロス、を信じている人々だろうね」

地下空間が静まり返る。

悠生が眉をひそめた。

硫黄神(りゅうおうしん)か」

「うん」

硫破は頷く。

「今はもう神ですらないけど」

その言葉に燐が反応する。

「神じゃない?」

「昔の話だよ」

硫破は祭壇の縁に腰掛けた。

まるで世間話でも始めるように。

「昔、僕と戦ったんだ」

「喧嘩?」

「うん」

「神同士で」

和悠たちは顔を見合わせる。

とんでもない言葉が軽い調子で飛び出した。

「結果は?」

悠生が聞く。

硫破は肩をすくめた。

「僕の勝ち」

その答えはあまりにも簡単だった。

「そのせいで硫黄神は時空神としての力を失った」

「……」

「だから今の硫黄神は、実質ただの老人だよ」

燐が頭を抱える。

話の規模が大きすぎる。

ついていけない。

「待ってください」

和悠が言った。

「じゃあどうして村に硫黄神がいるんですか」

「天下り先」

硫破は即答した。

「え?」

「天下り先」

「いや意味が分からないです」

「なんですか?その言葉」

硫破は苦笑した。

「力を失ったとはいえ、いきなり放り出すのも可哀想だろう?」

「だから村を用意した」

「余生を過ごせるように」

和悠たちは絶句した。

そんな理由だったのか。

何百年も続く硫黄村が。

そんな軽い経緯で生まれたのか。

「でもね」

硫破が続ける。

「僕の計算違いだった」

珍しく反省しているような顔だった。

「最初は普通だったんだよ」

「本当に」

「ところが人間というのは面白くてね」

石壁を見つめる。

「神を祭り始める」

「権威を作る」

「制度を作る」

「それを正しいと信じる」

その声には少しだけ寂しさがあった。

悠景が口を開く。

「悠の制度も」

「そう」

硫破が頷く。

「僕は作ってない」

「硫黄神も最初は作ってない」

「人間が勝手に始めた」

和悠の拳が握られる。

長年続いてきた制度。

多くの人が命を落とした制度。

その始まりは。

神の意思ですらなかった。

「じゃあ兄さんは」

和悠が悠景を見る。

「どうして」

悠景は少し俯いた。

そして答える。

「知ってしまったんだ」

「何を」

「真実を」

地下空間に沈黙が落ちる。

五年前、

悠景は偶然、この地下へ辿り着いた。

そして、

消された記録を見つけた。

硫破神、

二柱の神、

継承制度の真実。

全てを……

「だから消されそうになった」

悠景は静かに言う。

「僕は死んだことにされた」

和悠は息を呑む。

やはりそうだった。

病死でも、事故でもない……

意図的だった。

その時、

石壁の奥から再び音が響いた。

ゴゴゴ……

今度は先ほどより大きい。

全員が振り向く。

亀裂が広がっている。

少しずつ。

確実に。

悠生が立ち上がる。

「話は後だ」

表情が険しい。

「何がある」

硫破は石壁を見つめた。

そして珍しく真面目な顔になる。

「人間の歪みだよ」

「……?」

「数百年分のね」

和悠には意味が分からなかった。

だが、

硫黄だけは理解しているらしい。

「新月が近い」

硫破が呟く。

「だから出てこようとしている」

「何が」

燐が尋ねる。

硫破は少し考えた。

そして答える。

「信仰かな」

誰も理解できない。

でも、

その言葉には不思議な重みがあった。

石壁に新たな亀裂が走る。

眩しい光が漏れ出した。

地下空間全体が震える。

そして硫破は立ち上がった。

黒髪が揺れる。

その表情からは先ほどまでの緩さが消えていた。

「さて」

小さく笑う。

「そろそろ後始末をしようか」

その姿を見て。

和悠は初めて思った。

この人物は確かに硫破神なのだと。

優しそうにも見える。

適当そうにも見える。

だが、

遥か昔から時を見続けてきた存在でもあるのだと。

そして、

硫黄村最大の秘密が。

ついに姿を現そうとしていた……

さぁ、ようやく硫破登場です。


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