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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
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第六話 神社の地下

夕日は山の向こうへ沈み始めていた。

空が赤から紫へ変わっていく。

森の中には長い影が伸びていた。

神影悠生は石板を布で包み、慎重に抱えている。

和悠と燐はまだ状況を整理できていなかった。

神社の地下

消された神

兄の悠景

あまりにも話が大きすぎる。

だが悠生の表情は冗談を言っている人間のものではなかった。

「本当にあるんですか」

和悠が尋ねる。

「地下が」

悠生は短く頷く。

「ああ」

「じゃあ今まで誰も知らなかったんですか」

「正確には違う」

悠生は歩き出す。

二人も後を追った。

森を抜けながら悠生は続ける。

「知っている者はいる」

「誰ですか」

「五大名家の当主だけだ」

和悠と燐は顔を見合わせた。

つまり、

神影悠則も。

岩倉、武蔵、虹空、

刻印家も……

全員知っていたことになる。

「じゃあ父上も……」

和悠が呟く。

悠生は答えなかった。

だが否定もしなかった。

それだけで十分だった。

神社へ向かう途中、村は妙に静かだった。

普段なら夕食の準備をする音や人の話し声が聞こえる時間だ。

だが今日は違う。

誰もが家にいる。

戸を閉めている。

まるで夜を恐れているかのようだった。

燐も異変に気付いたらしい。

「変だな」

「何が」

「静かすぎる」

確かにそうだった。

風の音しか聞こえない。

村全体が息を潜めているようだった。


やがて三人が硫黄神社へ辿り着くと、境内には誰もいない。

昼間までいた神職たちの姿もなかった。

石灯籠だけが並んでいる。

その奥、

本殿が黒い影のように立っていた。

夜の神社は昼とは全く違い、

どこか不気味だった。

「来い」

悠生が歩き出す。

本殿の裏へ回る。

そこには古い祠があった。

和悠も燐も見たことがない。

草に覆われている。

何十年も放置されていたような場所だった。

「ここだ」

悠生は祠の前で止まる。

そして石板を取り出した。

祠の土台部分を調べる。

しばらくして、

小さな窪みを見つけた。

石板と同じ形。

悠生はそこへ石板をはめ込む。

カチリ……

音が響く。

次の瞬間だった。

ゴゴゴゴ……

地面が震える。

燐が飛び退く。

和悠も思わず身構えた。

祠の後ろ。

土に埋まっていた石段がゆっくり姿を現す。

地下へ続く階段だった。

三人は言葉を失った。

本当にあった

神社の地下が……

地下から、冷たい風が吹き上がってくる。

古い空気の匂いがする。

何百年も閉ざされていたような。

そんな匂いだった。

悠生は腰の灯火を取り出す。

火を灯す。

「行くぞ」

それだけ言って階段を下り始めた。

和悠と燐も続く。

階段は長かった。

予想以上に深い。

二十段、三十段、四十段……

どれだけ下ったか分からない。

やがて通路へ出た。

石造りの壁

天井

全てが人工的だった。

村の地下とは思えない。

まるで別の世界。

燐が壁に触れる。

「古いな」

「かなりな」

悠生が答える。

「少なくとも硫黄村より前からある」

和悠は驚いた。

「村より前?」

「そうだ」

「じゃあ誰が」

悠生は首を振る。

「そこまでは分からない」

通路を進む。

足音だけが響く。

やがて広い空間へ出た。

三人は思わず立ち止まった。

巨大な部屋だった。

天井は高い。

中央には円形の祭壇。

その周囲には石柱が並んでいる。

そして、

壁一面に文字が刻まれていた。

和悠は目を見開く。

見覚えがある。

石碑の文字。

古文書の文字。

全部同じだった。

悠生が祭壇へ近付く。

灯火の光が広がる。

その時、

燐が声を上げた。

「おい」

「どうした」

「これ」

燐が指差している。

祭壇の足元。

そこに人影があった。

三人は凍り付く。

誰かが倒れている。

人間だ。

間違いない。

悠生が駆け寄る。

和悠たちも続いた。

倒れている人物は動かない。

だが死体ではなさそうだった。

呼吸はある。

眠っているようにも見える。

顔が見えない。

長い髪がかかっている。

男か女かも分からない。

悠生がその肩を掴む。

ゆっくり身体を起こす。

そして、

顔が見えた。

和悠の思考が止まる。

呼吸も止まりそうになる。

信じられなかった。

そんなはずがない。

あり得ない。

だが、

何度見ても間違いなかった。

その人物は。

五年前に死んだはずの。

刻印悠景だった。


”兄”だった。


「……兄さん?」

和悠の声が震える。

悠景はゆっくり目を開いた。

虚ろな瞳。

焦点が合わない。

何年も眠っていた人間のようだった。

やがて。

その視線が和悠を捉える。

そして、

かすれた声で。

最初の言葉を口にした。

「逃げろ……」

和悠は固まる。

悠景の顔は青白かった。

まるで何かに怯えている。

「逃げろ」

もう一度言う。

今度は少し強く

「まだ間に合う」

悠生の表情が変わる。

燐も息を呑む。

何かがおかしい。

再会のはずだった。

兄弟の感動的な再会のはずだった。

なのに。

悠景は喜ばない。

和悠を見て安心もしない。

ただ、恐怖に震えていた。

そして次の瞬間、

地下空間全体が揺れた。

ドォン、と重い音が響く。

天井から砂が落ちる。

悠生が振り返る。

顔色が変わっていた。

「まずい」

「何がですか!」

和悠が叫ぶ。

悠生は祭壇の奥を見ていた。

そこには巨大な石扉がある。

先ほどまでは閉じていた。

なのに、今、

少しだけ開いている……

暗闇の向こうから、

何かがこちらを見ていた。

地下空間は不気味な静寂に包まれていた。

先ほどの揺れが嘘だったかのように、今は何の音もしない。

だが、

和悠の背中には冷たい汗が流れていた。

祭壇の奥、

巨大な石扉、

そこが少しだけ開いている。

そして、

その向こうに何かがいた。

見えているわけではない。

顔も姿も分からない。

それでも、

”確かにいる”

そんな感覚だけがあった。

本能が警鐘を鳴らしている。

見てはいけない。

近付いてはいけない。

そう叫んでいた。

悠生はすぐに刀へ手を添えた。

鋭い目で石扉を見つめる。

「悠景」

低い声だった。

「いつからだ」

悠景は祭壇にもたれながら苦しそうに息を吐く。

「……分からない」

声は弱々しい。

五年という歳月を感じさせる。

「ずっと……眠らされていた」

和悠の胸が締め付けられる。

目の前に兄がいる。

生きている。

それなのに。

再会を喜ぶ余裕などなかった。

状況が異常すぎる。


「誰に」

悠生が尋ねる。

悠景は首を振った。

「見たことがない」

「顔は」

「見えなかった」

その返答に悠生が眉をひそめる。

何かを考えているらしい。

すると、

石扉の向こうから音がした。

カツン。

硬いものが床を叩く音。

誰かが歩いている。

ゆっくりとこちらへ。

燐が息を呑む。

和悠も身体が強張る。

悠景は顔色を失っていた。

怯えている。

それも尋常ではないほど。

カツン。

カツン。

音が近付く、

暗闇の奥から確実に……

やがて、

人影が現れた。

長い外套を羽織っている。

顔は見えない。

頭巾で隠されていた。

男なのか女なのかも分からない。

ただ。

その人物が現れた瞬間。

悠景が震えた。

「そいつだ……」

かすれた声。

「そいつが……」

和悠は反射的に前へ出る。

兄を守るように。

だが悠生が腕を伸ばして制した。

「下がれ」

その声には緊張が滲んでいた。

今まで見たことがないほど。

外套の人物は立ち止まる。

そして、

静かに口を開いた。

「神影の子か」

老人にも若者にも聞こえる。

奇妙な声だった。

「随分と早かったな」

悠生は答えない。

刀の柄を握る。

「お前は誰だ」

燐が叫んだ。

外套の人物は少しだけ首を傾ける。

「名など忘れられた」

静かな声だった。

「ずっと昔にな」

和悠は違和感を覚えた。

その言葉。

その話し方。

どこか人間らしくない。

まるで……

何百年も生きてきた者のような。

そんな不気味さがあった。

「悠景を返せ」

和悠が言う。

気付けば叫んでいた。

外套の人物は和悠を見る。

そして、

小さく笑った。

「返せ?」

その声には嘲りが混じっていた。

「面白いことを言うね、君は」

「何だと」

「その者は最初から私のものではない」

和悠は意味が分からなかった。

だが、

悠生だけは顔色を変えている。

「まさか」

悠生が呟く。

頭巾の人物が笑う。

「気付いたか」

地下空間に声が響く。

「やはり神影の血は優秀だ」

次の瞬間、

悠生が刀を抜いた。

一気に距離を詰める。

神影家の技、

常人では目で追えない速度の一閃が、刀が頭巾の人物を捉える、

はずだった。

当たらない。

頭巾の人物の姿が揺らぐ。

まるで蜃気楼のように。

刀は空を切った。

「なっ……!」

燐が声を上げる。

悠生も驚いていた。

避けたわけではない。

すり抜けた。

そんな風に見えた。

頭巾の人物は悠生の背後へ立っている。

いつ移動したのか誰にも分からない。

「未熟だな」

その声。

次の瞬間、悠生の身体が吹き飛んだ。

見えなかった。

何をされたのか。

誰にも……

祭壇へ激突する。

鈍い音が響く。

和悠は駆け寄ろうとした。

だが、

悠生は手で制する。

まだ立てるらしい。

しかし口元から血が流れていた。

「逃げろ」

悠景が再び言う。

「和悠」

兄の声だった。

今度ははっきりしている。

「ここにいてはいけない」

「でも」

「聞け」

悠景は震えながら言う。

「そいつは人間じゃない」

地下空間が静まり返る。

頭巾の人物は笑った。

否定もしない。

怒りもしない。

ただ笑う。

それが逆に恐ろしかった。

「人間じゃない、か」

頭巾の人物が呟く。

「面白いね」

そして、

ゆっくり頭巾へ手を伸ばす。

和悠の心臓が激しく脈打つ。

見てはいけない。

そんな予感がした。

だが目を逸らせない。

頭巾が外される。

顔が現れる。

そして、

和悠たちは絶句した。

そこにいたのは、老人ではなかった。

だが、不思議と、理解する。

消された神、

”硫破神”

その人であると……

地下空間に静寂が落ちる。

そして硫破神は、

まるで旧友に再会したかのような穏やかな笑みを浮かべて言った。

「久しいね」

その視線は、和悠へ向いていた。

まるで、

ずっと前から知っていたかのように……

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