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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
6/23

第五話 消された神

新月まで、あと六日。

和悠は眠れなかった。

兄が生きている。

その言葉が頭から離れない。

五年前。

確かに葬儀はあった。

墓もある。

村中が涙を流した。

父も母も。

自分も。

それなのに、

もし本当に生きているのなら、

あの日の出来事は何だったのか。

誰が嘘をついたのか。

そして、何のために。

和悠は布団の中で天井を見つめていた。

やがて空が白み始める。

朝だった。

朝食の席。

父はいつも通り無口だった。

母も静かだった。

だが今日は違う。

和悠の方が落ち着かなかった。

兄の話をしたい。

聞きたい。

だが聞けない。

もし記録のことが知られれば、蔵に忍び込んだこともばれる。

結局、何も言えなかった。

食事を終え、家を出る。

外は曇っていた。

雨が降りそうな空。

村全体もどこか重苦しい。

神影家当主の死がまだ尾を引いているのだろう。

噴水広場へ向かうと燐が待っていた。

今日は珍しく難しい顔をしている。

「どうした」

和悠が声を掛ける。

燐はすぐ答えなかった。

周囲を確認してから言う。

「変なことが起きた」

「またか」

思わずそう返してしまう。

ここ最近、変じゃない日の方が少ない。

燐も苦笑いした。

「確かにな」

だがその笑みはすぐ消える。

「昨日の夜、虹空家の書庫を調べた」

和悠は目を見開く。

「お前もやったのか」

「お前もって何だよ」

燐が呆れる。

少しだけ空気が和らいだ。

だが本題はそこではない。

燐は懐から紙を取り出した。

古い紙だった。

かなり古い。

端が欠けている。

「これを見ろ」

和悠は受け取る。

文字を読む。

最初は意味が分からなかった。

だが二行目で固まる。


【硫黄神】

【硫破神】


和悠の鼓動が速くなる。

石碑で見た名前だった。

「これ……」

「残ってた」

燐も興奮している。

「しかも続きがある」

和悠は視線を落とした。

さらに下。

文字が並んでいる。


【二柱は時を司る】


和悠は息を呑んだ。

時間……

まただ。

神社の石碑

消された神

そして時間

全部が繋がり始めている。

「硫黄神は分かる」

燐が言う。

「今の村が祀っている神だ」

和悠も頷く。

問題はもう片方。

”硫破神”

その名はどこにも残っていない。漢字だけで読み方もよくわからない。

まるで最初から存在しなかったように。

「消されたんだ」

燐が呟く。

「意図的に」

和悠も同じ考えだった。

事故じゃない。

忘れられたわけでもない。

誰かが消した。

名前を、

記録を、

存在そのものを。

その時だった。

広場の向こうから鐘の音が響いた。

村人たちが顔を上げる。

神社からだった。

珍しい。

祭りでもない日に鐘が鳴ることはほとんどない。

燐と和悠も顔を見合わせる。

嫌な予感がした。

最近は悪い予感というものが当たりすぎる。

二人は神社へ向かった。

石段を登る。

境内には既に人が集まっていた。

神職たちもいる。

神影家の人間もいる。

そして中央には。

神影悠生。

次代当主。

喪服姿のまま立っていた。

村人たちがざわめく。

何か発表があるらしい。

やがて神主が前へ出る。

そして高らかに告げた。

「新月の継承の儀について伝える」

境内が静かになる。

誰もが耳を傾ける。

神主は続けた。

「今回の継承の儀には例外が認められた」

ざわめきが起こる。

例外、

聞き慣れない言葉だった。

和悠も眉をひそめる。

継承の儀は絶対だ。

変更など聞いたことがない。

「次代当主、神影悠生殿は」

神主が言う。

「儀式の際、補佐役を一名同行させる」

村人たちが顔を見合わせる。

前例がない。

少なくとも和悠は聞いたことがなかった。

そして。

神主はその名を告げる。

「刻印和悠」

空気が凍った。

和悠も固まった。

何を言われたのか理解できない。

自分の名前だった。

間違いなく自分の。

周囲の視線が集まる。

村人たち。

神職。

神影家。

全員がこちらを見ている。

燐まで驚いていた。

「え?」

思わず声が漏れる。

なぜ。

どうして?

意味が分からない。

悠生は表情を変えない。

ただ真っ直ぐ前を見ている。

まるで最初から決まっていたかのように。

その瞬間、

和悠は気付いた。

悠生が昨日言った言葉。

『新月の日までに答えを見つけろ』

あれは。

警告だけじゃなかった。

呼び出しだったのかもしれない。

境内に重い空気が流れる。

誰も理由を知らない。

和悠自身も知らない。

ただ一つだけ分かる。

新月の日に、

自分は硫黄神社へ行かなければならない。

そしてその場所に。

全ての答えがある。

そんな気がしていた……


境内はざわめきに包まれていた。

神主の発表が終わっても、人々は信じられないという顔をしている。

当然だった。

継承の儀は神影家のものだ。

それなのに、なぜ刻印家の和悠が同行するのか。

前例など聞いたことがない。

和悠自身が一番驚いていた。

燐が慌てて近寄ってくる。

「どういうことだ?」

「僕が聞きたい」

「お前、本当に知らなかったのか?」

「知らない」

即答だった。

知っているはずがない。

昨夜までそんな話はなかった。

いや、

もしかすると。

和悠は神影悠生を見る。

悠生は人々の質問にもほとんど答えず、静かに立っていた。

まるで周囲の反応などどうでもいいように。

でも、

その目だけは違った。

何かを待っているような目だった。


発表の後、

村人たちは各々散っていく。

だが噂は止まらない。

「刻印家が関わるのか」

「神影家と何かあるのか」

「神の御告げじゃないか」

様々な声が飛び交う。

燐と和悠は神社裏の森へ向かった。

人目を避けるためだ。

例の石碑の近く。

誰もいないことを確認してから燐が口を開く。

「絶対に何かある」

「うん」

「しかも新月の日に」

和悠は黙って頷く。

もう偶然ではない。

神影家。

兄の失踪。

消された神。

継承の儀。

全部が一つの場所へ向かっている。

硫黄神社。

それも新月の日の儀式へ……


燐は持ってきた古文書を広げた。

今朝見つけたものだ。

二柱の神について書かれた記録。

二人は改めて内容を読み返した。

そこにはこう記されていた。

二柱は時を司る。

その下にはかすれた文字が続いている。

今までは読めなかった。

だが太陽の角度が変わったせいか、薄く見えていた。

和悠は目を細める。

そして、

「読める」

燐も身を乗り出した。

文字はかなり薄い。

それでも何とか判別できた。

一柱は前の。

そして一柱は今の。

時空を司る存在。

力の使い方次第では。

時が歪む。

その言葉が妙に引っかかる。

「時が歪むって何だ?」

燐が言う。

和悠も分からない。

だが、

ふと一つの考えが浮かんだ。

「兄さん」

「え?」

「もし兄さんが生きてるなら」

燐が黙る。

和悠は続けた。

「死んだことになってる人間が生きてる」

「うん」

「それって時が歪んでるみたいじゃないか」

自分でも変な理屈だと思った。

だが燐は否定しなかった。

むしろ真剣に考えている。

「それだけじゃない」

燐が言う。

「悠の名前の制度も変だ」

和悠は頷く。

確かに。

普通なら後継者争いで済む話だ。

なのに村は何百年もかけて予備候補を処分してきた。

まるで。

何かを維持するために。

そのとき、

森の奥から風が吹いた。

石碑の周囲の落ち葉が舞い上がる。

和悠は反射的に石碑を見る。

そして固まった。

「燐」

「どうした」

「これ」

石碑の根元。

土が少し崩れていた。

その下から何かが見えている。

石だ。

人工的に削られた石。

二人は慌てて近づく。

手で土を払う。

すると、

小さな石板が現れた。

文字が刻まれている。

かなり古い。

石碑より古いかもしれない。

燐が慎重に読み上げた。

「硫黄神」

その下。

「硫破神」

さらに続く。

二人は息を呑んだ。

そこには名前が書かれていた。

神の名前ではない。

人の名前。

でも、

その名前を見た瞬間。

和悠は目を見開いた。

燐も同じだった。

そこに刻まれていたのは。

初代刻印家当主

刻印時継

だった。

「刻印家……?」

燐が呟く。

和悠も信じられなかった。

その時だった。

パキッ。

枝が折れる音。

二人は同時に振り返る。

誰かいる。

森の奥。

木々の間。

人影が見えた。

黒い服。

長身。

そして、

見覚えのある顔。

「悠生さん?」

和悠が呟く。

神影悠生だった。

だが様子がおかしい。

顔色が悪い。

肩で息をしている。

まるで走ってきたように。

悠生は二人を見るなり言った。

「見つけたのか」

和悠は石板を見せる。

悠生の表情は、

驚き、焦り、恐怖

初めて見る表情だった。

「それよりも……まずい」

悠生が呟く。

「何がですか」

和悠が尋ねる。

悠生は答えない。

代わりに空を見上げた。

太陽はまだ高い。

だが彼の顔は青ざめていた。

「予定が早まった」

その一言で和悠の胸が騒ぐ。

「どういう意味ですか」

悠生は静かに言った。

「新月まで待てなくなった」

森が静まり返る。

風すら止まったようだった。

悠生は続ける。

「今夜だ」

和悠と燐は固まる。

「今夜?」

「そうだ」

悠生は頷く。

「今夜、神社の地下が開く」

二人は息を呑んだ。

神社の地下。

そんな場所があるのか。

「そこに全部ある」

悠生の目は真剣だった。

「消された神も」

「お前の兄も」

「そして」

少しだけ言葉を切る。

「硫黄村の本当の歴史も」

和悠の鼓動が激しくなる。

ついに核心へ近付いている。

そんな予感がした。

だが同時に。

胸の奥で別の感情も膨らんでいた。

恐怖だ。

知らない方が幸せだったかもしれない。

そんな恐怖。

夕日が森を赤く染める。

夜が近付いていた。

そして、

全てが動き出そうとしていた。

お読みいただきありがとうございます。

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