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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
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第十四話 怨念との戦いⅠ

黒い霧が境内を覆い尽くし、地面の亀裂から、次々と人影が這い上がる。

その姿は人でありながら、人ではなかった。

全身は黒く霞み、顔は判別できない。

それでも胸元だけには、それぞれ名前が刻まれている。

『〇悠』

『△悠』

『□悠』

悠の名を持ち、命を落とした者たち。

長い年月の果てに積もった怨念だった。

村人たちは悲鳴を上げる。

「ば、化け物だ!」

「逃げろ!」

怨念の一体が腕を振るう。

黒い衝撃が石畳を砕き、村人へ襲いかかる。

「危ない!」

和悠が飛び出そうとした、その瞬間。

ガキィンッ!!

金属音が響いた。

巨大な石壁が村人の前へ現れる。

衝撃は石壁へ当たり、霧となって散った。

村人たちは目を見開く。

石壁の前に立っていたのは、硫門正継だった。

右手を前へ突き出したまま、静かに言う。

「……村人を避難させなさい」

和悠が驚く。

「正継さん……」

正継は振り返らない。

「話は後です」

「今は村長として命じます」

「一人でも多く救ってください」

その声には、先ほどまでの対立はなく、一人の村長としての覚悟だけがあった。

「悠生!」

「分かってる!」

悠生は刀を抜く。

影へ飛び込み、一瞬で怨念の背後へ回る。

「神影家固有能力――陰影操作!」

影から伸びた黒い刃が怨念を貫く。

しかし、怨念は霧となって散り、すぐに元の姿へ戻る。

「再生した!?」

燐が叫ぶ。

硫破が静かに答える。

「違う」

「倒せていない」

「怨念そのものを浄化しない限り、何度でも戻る」

サルファロスも頷く。

「あの者たちは敵ではない」

「救われなかった魂だ」

その言葉に和悠は拳を握る。

「救う……」

「救う方法があるんですか!」

サルファロスは静かに答える。

「ある」

「だが、それは私にはできぬ」

「人が行わねば意味がない」

その時、十数体の怨念が同時に村人へ向きを変えた。

「まずい!」

和悠が駆け出す。

しかし、その前へ正継が立ちはだかる。

「硫門家固有能力――万物支配」

境内中の石畳が一斉に浮かび上がる。

無数の石が盾となり、村人たちを囲んだ。

ドドドドドッ!!

怨念の攻撃が石の壁へ降り注ぐ。

正継の額に汗が浮かぶ。

能力を最大限に使っている証だった。

「和悠!」

正継が初めて名前を呼ぶ。

「村人は私が守ります!」

「あなたは……!」

一瞬、言葉を切る。

「あなたにしかできないことを」

和悠は正継を見る。

敵だった男。

考え方はまだ変わっていない。

それでも今、この人は命を懸けて村を守っている。

和悠は静かに頷いた。

「……分かりました」

そのとき、黒い霧の奥から、ひときわ巨大な怨念が姿を現した……

黒い霧は境内を覆い尽くしていた。

怨念たちは次々と姿を現し、苦しみとも悲しみともつかない叫びを響かせる。

その声を聞いた村人たちは耳を塞ぎ、その場へ膝をついた。

「苦しい……」

「頭が……」

「助けて……!」

和悠は刀を握る。

目の前の怨念は敵ではない。

救われることなく、長い年月を彷徨い続けた人々だ。

「硫破さん!」

和悠が振り返る。

「救う方法はありませんか!」

硫破は静かにサルファロスを見る。

サルファロスは小さく頷いた。

「……ある」

老人はゆっくりと和悠の前まで歩いてくる。

「だが」

「今のお前では使えぬ」

和悠は首をかしげた。

「どういうことですか」

サルファロスは右手を見つめる。

「お前は刻印家の血を継いでいる」

「しかし、本当の刻印家ではない」

その言葉に、その場にいた刻印悠成も息を呑む。

「本当の……刻印家」

「継承の儀は途絶えた」

サルファロスは静かに続ける。

「数百年前」

「当主が代替わりした際、本来授けるはずだった力の一部が失われた」

「それが」

「《刻印》」

和悠の目が見開かれる。

「……!」

「そして」

「《失われし書物閲覧》」

境内が静まり返る。

刻印家に伝わる能力。

それは完全なものではなかった。

長い歴史の中で、一部が失われた力だったのだ。

サルファロスは和悠へ向き直る。

「右手を」

和悠はゆっくりと右手を差し出す。

老人はその手を優しく包む。

その瞬間だった。

境内へ柔らかな光が降り注ぐ。

桜の花びらが舞い上がり、和悠を包み込む。

サルファロスの足元から淡い紋様が広がる。

それは継承の儀でのみ現れる神聖な刻印だった。

「刻印家の始祖より続く力」

「記録を読み」

「歴史を刻み」

「未来へ託す者」

光が和悠の身体へ流れ込む。

右手の甲に、今まで見たこともない紋様が浮かび上がった。

本が開いたような印。

その周囲を歯車のような円環が静かに回る。

「刻印家固有能力」

「《書物閲覧》」

「《刻印》」

和悠の脳裏へ、無数の文字が流れ込む。

知らない言葉。

知らない術式。

そして、一つの魔術。

『浄刻術』

それは刻印魔術の最終術式。

怨念を消すのではなく、その想いを受け止め、安らぎへ導くための術だった。

「これが……」

和悠は右手を見つめる。

「刻印……」

サルファロスは静かに微笑んだ。

「その術は、私が作ったものではない」

「え?」

「硫破が渡し」

「時継が磨き」

「最後の一頁を、お前が完成させる」

和悠は驚いて硫破を見る。

硫破は照れくさそうに頭を掻いた。

「僕は土台を教えただけ」

「完成させたのは時継」

「そして」

硫破はまっすぐ和悠を見る。

「完成"させる"のは君だ」

その時だった。

怨念の中から、一際大きな影が姿を現す。

周囲の霧を飲み込みながら、巨大な腕を振り上げる。

村人たちが悲鳴を上げた。

和悠は右手を強く握る。

そこに刻まれた紋様が眩く輝く。

「みんな」

「僕が……」

「必ず救う」

その宣言と共に、刻印が白銀の光を放った。

怨念との、本当の戦いが始まる。

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