第十三話 嵐の前の静けさ
硫黄神の言葉が境内に響き渡る。
「悠の制度を、私は一度も望んだことはない」
その一言だけで、村人たちの表情が揺らいだ。
今まで、何百年も疑うことさえなく信じてきたもの……
その土台が音を立てて崩れ始める。
「そんな……」
「硫黄神様が……」
「制度を否定……?」
小さなざわめきが境内中へ広がっていく。
正継は静かに目を閉じた。
その姿は少しも動じていない。
やがてゆっくりと目を開く。
「……やはり」
その声は穏やかだった。
「この日が来ましたか」
和悠は眉をひそめる。
「驚かないんですか」
「驚く?」
正継は和悠を見る。
「地下へ足を踏み入れた者が真実へ近付くことくらい、予想していました」
燐が一歩前へ出る。
「だったら何で黙ってた!」
「こんな制度がおかしいって分かってたんじゃないのか!」
正継は首を横に振る。
「違う」
「私は間違っているとは思ってはいない」
その言葉に空気が変わる。
「人は争い、欲に溺れ、権力を奪い合う」
「歴史が何よりの証拠です」
正継は村人たちを見渡した。
「だからこそ秩序が必要なのです」
「誰かが犠牲になることで、多くが救われる」
「それが村を千年続かせた」
和悠は拳を握る。
「それでも!」
一歩踏み出す。
「命を選んでいい理由にはなりません!」
正継は静かに和悠を見つめる。
「では聞きます」
「もし制度をなくせば、この村はどうなる」
「争いは起きないと断言できますか」
「権力争いは」
「後継者争いは」
「家同士の戦は」
和悠は答えられなかった。
正継は続ける。
「制度は残酷です」
「ですが」
「残酷だからこそ、均衡が保たれてきた」
サルファロスがゆっくり口を開く。
「正継」
「お前は苦しかっただろう」
正継は少しだけ目を伏せた。
「……苦しくありません」
「これは村長として当然の責務です」
硫破は静かにため息をついた。
「その顔で言われてもね」
正継の表情は変わらない。
だが、その目だけはどこか疲れているように見えた。
「ルパよ」
正継が初めて硫破の名を呼ぶ。
「あなたは神です」
「だから理想を語れる」
「ですが、人は違う」
「人は弱い」
「弱いから管理しなければならない」
硫破は首を横に振る。
「違うよ」
「弱いからこそ自分で選ぶんだ」
静かな声だった。
だが、その一言には何千年という時間の重みがあった。
「失敗しても、間違えても、人は自分で未来を選ぶ。」
「それを奪った瞬間、それは人じゃなくなる。」
境内が静まり返る。
正継はゆっくりと息を吐いた。
「……話し合いでは終わりませんか」
「残念です」
その瞬間だった。
ゴォッ——
正継の足元から淡い金色の光が広がる。
境内の石畳に巨大な紋様が浮かび上がる。
村人たちは息を呑んだ。
「村長様が……!」
「能力を……!」
硫破が一歩前へ出る。
「始まるよ」
正継は右手を静かに掲げた。
「硫門家固有能力」
その声が境内へ響く。
「――万物支配」
その言葉が響いた瞬間だった。
境内全体を淡い黄金色の光が包み込む。
石畳に刻まれた紋様が眩く輝き、地面そのものが脈打つように震え始めた。
和悠は思わず足を踏ん張る。
「これは……!」
次の瞬間、硫黄神社の石灯籠が宙へ浮かび上がった。
境内の石畳が割れ、大小さまざまな岩が空中へ持ち上がる。
木々の枝が風もないのに揺れ始めた。
「物だけじゃない……!」
燐が目を見開く。
まるで境内そのものが正継の意思に従っているようだった。
「これが万物支配」
悠生が刀を抜く。
その切っ先は正継へ向けられていた。
「近付けるか」
正継は静かに右手を振る。
その瞬間、数十本の石柱が地面から突き上がった。
轟音とともに境内が砕け散る。
悠生は横へ飛び退き、間一髪で避ける。
石柱はそのまま空高く伸び、神社の境内を分断した。
「動きを止める気か」
悠生が低く呟く。
「必要以上に傷付けるつもりはありません」
正継は静かに答えた。
「皆さんには、ここで引いていただきます」
「断る」
悠生は一歩踏み出す。
その瞬間、影が揺れた。
「神影家固有能力――陰影操作」
足元の影が蛇のように伸びる。
影は石柱を駆け上がり、一瞬で正継の背後へ回った。
しかし、正継は振り返りもしない。
空中に浮かんでいた石灯籠が影の前へ滑り込み、鈍い音とともに影を弾き飛ばした。
「読まれてる!」
燐が叫ぶ。
「いや」
硫破は静かに首を振る。
「全部支配されてる」
「石も」
「木も」
「空気の流れも」
「だから攻撃が届く前に防げる」
和悠は息を呑む。
ここまで広範囲の能力だったとは。
正継はゆっくりと歩き出した。
足元の石が自然と道を作る。
その姿はまるで、村そのものが彼を守っているようだった。
「和悠」
静かな声が響く。
「君は優しい」
「だからこそ、村長には向いていない」
「優しさだけでは、人は守れません」
和悠は拳を握る。
「それでも」
一歩前へ出る。
「優しくない未来なんて、守る価値はありません」
その言葉に、正継の目が細められた。
怒っているわけではない。
悲しそうだった。
「……そうですか」
その瞬間、境内中の岩が一斉に和悠へ向かって飛び出した。
「和悠!」
燐が叫ぶ。
だが、その声より速く。
硫破が和悠の前へ出た。
「そこまで」
硫破は右手を軽く上げる。
飛来していた岩が、一斉に空中で静止した。
村人たちがどよめく。
「止まった……!」
「村長様の能力が……!」
正継も初めて驚いた表情を見せた。
「あなた……」
硫破は苦笑する。
「忘れた?」
「僕も一応、それなりに力はあるんだ」
軽く指を鳴らす。
パキン。
乾いた音が響いた。
その瞬間、空中の岩は砂となって崩れ落ちる。
風に乗り、静かに地面へ舞った。
境内が静まり返る。
正継は硫破を見つめたまま、小さく息を吐く。
「やはり……敵わないな」
「違うよ」
硫破は首を横に振った。
「僕は敵じゃない」
「君とも戦いに来たわけじゃない」
「じゃあ、何故」
「止めに来た」
短い言葉だった。
「これ以上、誰も苦しまなくていいように」
正継はしばらく黙っていた。
やがて静かに目を閉じる。
「……そうですか」
その声には、どこか諦めが混じっていた。
しかし次の瞬間。
境内全体が大きく揺れ始める。
ゴゴゴゴゴ……
地下から不気味な音が響く。
桜の花びらが風もないのに舞い上がった。
サルファロスの表情が変わる。
「まずい」
硫破も振り返る。
「封印が……」
和悠が驚く。
「封印?」
サルファロスは地下神殿の方向を見つめた。
「怨念だ」
「あの子たちは救われ始めた」
「だが、千年積み重なった怨念の全てが、救われたわけではない。」
地面に黒い亀裂が走る。
そこから禍々しい黒い霧が噴き出した。
村人たちが悲鳴を上げる。
「な、何だ!」
「黒い煙が!」
硫破は静かに和悠たちを見る。
「ここからが本当の戦いだ。」
正継も黒い霧を見つめていた。
敵意はもう、その瞳にはなかった。
ただ、一人の村長として村を守ろうとする覚悟だけが宿っていた。
黒い霧は空へ昇り、一つ、また一つと人の形を作り始める。
それは、悠の制度によって命を落とした者たちの、なお救われずに残った深い怨念だった。
和悠は刀を握り直す。
今、自分たちが立ち向かうべき相手は誰なのか。
その答えを胸に刻みながら、一歩前へ踏み出した。




