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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
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第十二話 硫黄の暴露

地下神殿を出ると、朝の光が山々を照らしていた。

森の澄んだ冷たい空気が肺を満たす。

和悠は思わず空を見上げた。

久しぶりに見る青空だった。

「もう朝か……」

燐も大きく息を吸い込む。

「地下にいた時間なんて数時間くらいだと思ってた」

「時の狭間に入っていたからね」

硫破が後ろから歩いてくる。

「向こうでは時間の流れが違う」

「こっちでは一晩経ってる」

「便利なのか不便なのか分かりませんね」

和悠が苦笑すると、硫破も小さく笑った。

その穏やかな空気は、村へ近づくにつれて消えていった。

村の入口、いつもなら朝市の準備をしている人たちがいる時間だった。

しかし今日は違う。

誰一人として話していない。

野菜を並べる者。

井戸で水を汲む者。

薪を運ぶ者。

皆、無表情のまま黙々と作業を続けている。

燐が眉をひそめた。

「……変じゃないか?」

悠生も静かに頷く。

「ああ」

和悠は近くの老人へ声をかけた。

「おはようございます」

老人はゆっくり振り向く。

だが、その目に感情はなかった。

「硫門家に栄光あれ」

それだけ言うと、再び作業へ戻る。

和悠は固まった。

「え……?」

隣の女性にも声をかける。

「何かあったんですか?」

女性は微笑む。

でも、その笑みはどこか不自然だった。

「硫門家こそ村を導く家です」

「……」

「村長様の御意志は絶対です」

同じ言葉。

同じ口調。

まるで誰かが台本を書いたようだった。

燐が小声で呟く。

「何だよ、これ……」

硫破は村の様子を静かに見渡す。

そして、小さく息を吐いた。

「思った以上だ」

「知っていたんですか?」

和悠が尋ねる。

「ある程度はね……」

硫破は悲しそうな目をした。

「でも、ここまで村全体へ広がっているとは思わなかった」

「どういうことです?」

「少しずつなんだ」

硫破は歩きながら話す。

「一年」

「十年」

「百年……と」

「少しずつ考え方を誘導する」

「急に変えれば人は違和感を覚える」

「でも、何世代もかければ、それが常識になる」

和悠は地下で見た記録を思い出した。

『必要な制度です』

あの言葉。

あれは本心だった。

本心になるように育てられてきたのだ。

その時だった。

村の中央から鐘の音が響く。

ゴォォォン――

重く、長い音に、村人全員が手を止めた。

そして一斉に硫黄神社の方向を向く。

誰かが叫ぶ。

「村長様のお言葉だ!」

村人たちが歩き始める。

誰も逆らわず、誰も疑わず、ただ静かに神社へ向かっていく。

燐が和悠を見る。

「俺たちも行くしかないな」

和悠は頷く。

嫌な予感がしていた。

神社へ近づくにつれ、人の数は増えていく。

村人だけではない。

岩倉家

武蔵家

神影家

刻印家

虹空家

各家の当主や当主候補たちも集められていた。

やがて石段の上へ、一人の男が姿を現す。

鋭い眼差し堂々とした立ち姿の黒い羽織の人物。

硫門家当主、硫門正継。

村人たちは一斉に頭を下げた。

「村長様」

「村長様」

「村長様」

その声が境内へ響く。

正継は静かに全員を見渡す。

そして、和悠たちを見つけた。

一瞬だけ目が合う。

その瞳には驚きも焦りもない。

まるで、こうなることを予想していたかのようだった。

正継は穏やかな口調で口を開く。

「刻印和悠」

境内が静まり返る。

「昨夜、禁域へ立ち入ったそうだな」

和悠は一歩前へ出る。

「……はい」

「ならば」

正継は淡々と続けた。

「何を見たのか」

「この村の皆へ話してもらおう」

その一言で、境内の空気が張り詰める。

和悠は悟った。

これは質問ではない。

試されているのだ。

真実を語るのか。

それとも沈黙するのかを。

境内を静寂が包む中、和悠は硫門正継を見つめる。

その瞳には怒りも焦りもない。

ただ、村長としての威厳だけがあった。

「どうした」

正継が静かに口を開く。

「話せぬのか」

和悠はゆっくりと息を吸う。

「……話します」

その言葉に、村人たちの視線が一斉に集まった。

燐も悠生も何も言わない。

和悠が自分の意思で決めることだと分かっていたからだ。

「僕たちは硫黄神社の地下へ行きました。」

ざわめきが広がる。

地下神殿の存在を知らない者がほとんどだった。

「そこには、長い間誰にも知られなかった記録が残されていました」

「そして、久遠の悠久によって命を落とした人たちの名前も」

村人たちは顔を見合わせる。

聞き慣れない言葉に戸惑っているようだった。

和悠は続ける。

「悠の制度は、神が作ったものではありません」

その一言で、空気が凍りつく。

「人が作った制度です」

「村を守るという名目で、人が人を選別し、命を奪い続けてきた制度です」

村人の一人が叫ぶ。

「そんな馬鹿な!」

「硫黄神様がお決めになったことではないのか!」

和悠は首を横に振った。

「違います」

「硫黄神は、その制度を望んでいませんでした」

その瞬間だった。

正継が静かに一歩前へ出る。

「……証拠は」

境内が再び静まる。

和悠は言葉を詰まらせた。

時継から見せられた記録。

サルファロスの言葉。

どちらも、自分しか見聞きしていない。

信じてもらえるだろうか。

その時だった。

「証拠ならあるよ」

穏やかな声が境内に響いた。

全員が振り返る。

石段の下から、一人の青年が歩いてくる。

黒髪、黒い着物で、どこか飄々とした笑み。

硫破だった。

村人たちはざわつく。

「誰だ……?」

「見たことがない」

「旅人か?」

硫破は気にした様子もなく石段を上る。

そして正継の前で立ち止まった。

「久しぶりだね」

正継は硫破を見つめる。

「……誰だ」

「覚えていないか」

硫破は少し寂しそうに笑った。

「君の先祖とは何度も会ってるんだけど」

正継の眉がわずかに動く。

「先祖……?」

硫破はそれ以上答えない。

代わりに空を見上げた。

青空には一片の雲もなかった。

「サルファロス」

その名を静かに呼ぶ。

次の瞬間だった。

境内の空気が変わる。

柔らかな風が吹き抜け、桜の花びらがどこからともなく舞い始めた。

村人たちは驚いて空を見上げる。

「桜……?」

「この季節じゃないぞ」

花びらは硫黄神社の本殿へ集まっていく。

やがて、本殿の扉がゆっくりと開いた。

軋む音が境内に響く。

そこから、一人の老人が姿を現した。

白髪で深い皺。

穏やかな眼差し。

村人たちは息を呑む。

誰からともなく膝をつき始めた。

「硫黄神様……」

「硫黄神様だ……」

境内に祈る声が広がっていく。

サルファロスはその様子を見渡し、困ったように微笑んだ。

「何度聞いても慣れぬものだな」

その言葉に、硫破が苦笑する。

「だから言ったじゃないか」

「神様扱いされるのは性に合わないって」

サルファロスは小さく肩をすくめた。

「お前の言う通りだな」

そう言ってから、ゆっくりと村人たちへ向き直る。

そして、静かに口を開いた。

「皆、顔を上げなさい」

だが、誰も動かない。

「……頼む」

その一言で、ようやく村人たちは顔を上げた。

サルファロスは一人ひとりを見つめる。

その眼差しには責める色はなく、深い慈しみだけがあった。

「長い間、黙っていてすまなかった」

「私は、この村の神ではない」

その言葉に、境内がどよめく。

「私はただ、この村を見守ることしかできなかった老人だ」

正継は静かに老人を見つめていた。

表情は変わらない。

だが、その瞳だけがわずかに揺れているように見えた。

「そして」

サルファロスは続ける。

「悠の制度を、私は一度も望んだことはない」

その瞬間。

境内全体が大きくざわめいた。

誰もが信じられないという表情を浮かべている。

しかし、それでもなお硫門正継だけは静かに立ち続けていた。

まるで、自分の中の何かと戦っているかのように。

その沈黙が、嵐の前の静けさであることを、和悠はまだ知らなかった。

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