第十話 虹の交代
世界が揺らぎ、昔の硫黄村の景色が白い霧に溶けていく。
和悠は立ち尽くしたまま、その光景を見ていた。
悠の制度
硫門家
村の始まり
知れば知るほど胸の奥が重くなる。
「まだ続くんですか」
和悠が呟くと、時継は静かに頷いた。
「むしろここからだ」
その声には疲れが滲んでいた。
何百年も記録を見続けてきた者の声だった。
霧が晴れていく。
次に現れたのは大広間だった。
今の硫門家本邸によく似ている。
でも、決定的に違うものがある。
壁に掲げられた虹空家の家紋。
和悠は息を呑む。
「本当に……」
「そう」
時継が答える。
「昔、村長家だったのは虹空家だ」
広間には大勢の人間が集まっていた。
五大名家の者たち。
神職。
村人。
その中心。
上座に座っているのは虹空家当主だった。
和悠は驚く。
今まで聞いてきた虹空家の印象と違う。
もっと穏やかな一族だと思っていた。
だが目の前の当主は威厳に満ちている。
まさに村の中心……
そんな存在感だった。
「虹空家は元々、村全体の管理を担っていた」
時継が説明する。
「高速演算の能力は政治と相性が良かったからな」
和悠は納得する。
確かに、膨大な情報処理・未来予測・状況判断を行えるのは、村長家としては理想的だ。
だが、
「どうして変わったんですか」
時継は少し黙り、そして、ゆっくりと答える。
「壊れたからだ」
その瞬間、景色が変わる。
夜だった。
雨が降っている。
広間の空気は重い。
先ほどまでの穏やかさが消えていた。
虹空家当主が机に両手をついている。
顔色が悪い。
目の下には濃い隈。
まるで何日も眠っていないようだった。
その周囲では家臣たちが口論している。
『限界です!』
『このままでは村が崩壊します!』
『硫黄神様に判断を仰ぐべきです!』
和悠は眉をひそめる。
何かが起きている。
時継が低い声で言った。
「悠の制度だ」
空気が凍る。
「制度が始まってから、虹空家は全てを計算し続けた」
「人口」
「継承順位」
「処分の時期」
「家同士の均衡」
「村の未来」
和悠の顔が強張る。
虹空家は村を維持するため何百年も、誰を殺すべきか計算し続けていた。
「そんなの……」
和悠の喉が震える。
「壊れるに決まってる」
時継は静かに頷いた。
「そうだ」
景色の中、虹空家当主が頭を抱える。
『間違っている』
掠れた声。
『これは本当に必要なのか』
周囲が静まり返る。
『我々は何を守っている』
誰も答えられない。
そのとき、広間の扉が開き、一人の男が入ってきた。
黒い衣をまとい、鋭い目で落ち着いた表情の男。
和悠は息を呑む。
見覚えがあった。
硫門家。
悠の制度を提案した男。
硫門家の当時の当主。
だが、さっき見たときよりすこし老いているように見えた。
男は静かにひざまずく。
そして、穏やかな声で言った。
『ならば、我々が代わります』
虹空家当主が顔を上げる。
『……何?』
『虹空家は疲弊しすぎた』
『このままでは遠くない未来、壊れる』
男は淡々と続ける。
『だから村長家を硫門家へ』
『管理は我々が引き継ぎます』
和悠は違和感を覚える。
言葉だけ聞けば正しい。
でも、何かがおかしい。
時継も険しい顔をしていた。
「この時点で既に始まっていた」
「何がですか」
時継はゆっくり答える。
「思想操作だ」
和悠の背筋が凍る。
景色の中、虹空家当主の目が揺れる。
迷い
苦悩
恐怖
そして、
ゆっくり頷いた。
『……頼む』
その瞬間、硫黄村の歴史が変わった。
虹空家から硫門家へと村長家が交代した瞬間だった。
雨音が響いていた。
広間の外では激しい雨が降り続いている。
その音だけが妙に大きく聞こえた。
たった一言……
それだけで硫黄村の歴史は変わった。
時継が静かに言う。
「虹空家は限界だった」
和悠は景色を見つめる。
確かにそうだ。
誰を生かし、誰を処分するか。
そんなものを何百年も計算し続ければ心が壊れる。
「でも」
和悠が眉をひそめる。
「思想操作なんて、本当に……」
時継は目を閉じた。
「硫門家の能力は特殊だ」
「万物支配」
「本来は人との友好を手助けする程度だった」
「だが、歴代当主は少しずつ能力を拡張した」
景色が切り替わる。
硫門家の古い書庫、蝋燭の灯りの中で数人の男たちが巻物を広げていた。
和悠は息を呑む。
全員、目が異様だった。
何かに取り憑かれているような。
『思想もまた精神の一つ』
一人が呟く。
『ならば干渉できる』
別の男が笑う。
『村はより安定する』
『争いも減る』
『不満も消える』
和悠の背筋が寒くなる。
「まさか……」
時継は頷いた。
「最初は本当に善意だった」
「村を守るためだった」
「だが、権力は人を変える」
視界が再び動き、年月が流れていく。
硫門家は少しずつ村の中心となり、人々は硫門家へ逆らわなくなり、違和感を抱かなくなり、制度を当然だと思い始めた。
『久遠の悠久は必要』
『村の秩序のため』
『仕方のない犠牲』
誰も疑わない。
いや、疑えなくなっていた。
和悠は拳を握る。
「そんなの……」
怒りが込み上げる。
何百年も、ずっと……
村人たち、いや、
”村全体”は操られていた。
「完全な洗脳ではない」
時継が言った。
「考えを少し誘導する程度だ」
「だが長い年月積み重なれば、人はそれを常識だと思い込む」
和悠は息を呑む。
だから誰も止められなかった。
おかしいと思いながらも逆らうことができなかった。
その時、景色の奥に人影が現れる。
硫黄神だった。
どこか疲れている。
彼は書庫へ入る。
硫門家の者たちは慌てて頭を下げた。
『硫黄神様』
硫黄神は静かに言う。
『やめろ』
『その呼び方は』
だが誰も聞かない。
サルファロスは机の巻物を見る。
そこには、「久遠の悠久」と書かれていた。
サルファロスの顔が曇る。
『まだ続けていたのか』
硫門家当主が答える。
『必要な制度です』
『村の安定のため』
『あなた様の村を守るため』
その瞬間、サルファロスが苦しそうに目を閉じた。
和悠は気付く。
硫黄神はこんな制度を望んではいなかった。
それでも、止められなかった。
力を失った神、ただの老人。
既に村は、人間たちの権力で動いていた。
時継が静かに言った。
「硫黄神は責任を感じていた」
「自分が村を受け入れたせいで」
「こんなことになったと」
景色の中、硫黄神は窓の外を見る。
雨が降っている。
その背中は酷く小さかった。
彼は目を手で隠すように覆い、そして小さく呟く。
『ルパよ』
その声には、後悔が滲んでいた。
『私は間違えたのか』
和悠は胸が締め付けられる。
神でも、どうにもできないことがあった。
その時、世界が大きく揺れた。
時継の表情が変わる。
「来る」
「何がですか」
時継は空を見る。
白い空間に黒い亀裂が走っていた。
まるで世界そのものが壊れ始めているようだった。
「記録が限界だ」
時継が言う。
「和悠」
初めて真剣な目で見る。
「君は選ばなければならない」
「何を?」
時継は静かに告げた。
「硫黄村を終わらせるか」
「それとも」
その言葉の途中、轟音、光と共に白い世界は崩壊した。
そして、和悠の意識が現実へ引き戻される。
最後に見えたのは、悲しそうに笑う時継の姿だった。
『頼んだぞ』
その声を最後に、全てが白に飲み込まれた。
これで、第十話 虹の交代までが終わりました!
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(⁎˃ᴗ˂⁎)




