◇ 恐怖の老兵
CIA の手によって葬られたアルバロは、自分勝手な男だった。
武器を売って稼いだ金の大半は酒とギャンブルに突っ込み、家族の面倒を見ることはほとんどなかった。
住んでいた家自体は、けっこう立派なものだった。しかし夫が亡くなったルシアはその家を売り払い、安いアパートに引っ越して働きづめの日々を過ごしていたのである。
ワットは、そんな彼女に情が移った。
「俺の親父も、たちの悪い酔っぱらいだったからな。あの当時の家庭環境を思い出すと、ルシアと彼女の娘ダリアを助けずにはいられなかったんだ」
アルバロの知人として、彼女に会いに行った。彼女にすれば、ろくでもない夫の知人なのでイヤな顔をされた。まあ、当然だろう。
しかし、アルバロの悪口で話が盛り上がってくると、仲が良くなっていった。
ワットはルシアに話す。彼にとっては事実だ。
「俺の親父も、どうしようもない飲んだくれだったので、あなたの気持ちがわかるんだ。なにより、娘さんが心配だよね」
やがて彼らは大人の関係になる。
ワットの話をきいていたトーマスが、自分の思うことを述べる。
「そういう家庭は世界にゴマンといますよ、主任」
すべての不幸な家庭を救おうとしても、不可能だ。また、それは CIA の領分ではない。
「わかっている。だが、彼女がこれまで以上にしんどい生活を強いられることになったのは、アルバロを始末したわれわれのせいでもある」
本妻グロリアと結婚しても子供がいないワットは、ルシアの娘ダリアが、わが子だと思うほどに可愛い。
グロリアとの夫婦生活が、ただいっしょにいるだけのなんの楽しみもないワットは、ルシアやダリアといっしょにいると、ひしひしと感じる。これこそが自分の求めていた家庭なのだと。
自分が助けてやらないと、彼女たちはどうなるのか。
「あの親子を路頭に迷わせるのは、俺の正義に反するのだ」
そこまで話をきいていたピーターが、ワットに向かって口をひらいた。
「じゃあ、おまえの正義をこっちにいる奥さんに報告しよう。奥さんの名前は、確かグロリアだったな」
ワットの青ざめた顔が、さらに青くなる。
「いや、ちょっと、やめてくれます? 全然、シャレにならないんで。冗談じゃないです、お願いします」
ワットの正義は、脆くも崩れた。
ピーターはニヤニヤ笑いながら言葉を続ける。
「いいじゃねえか。おまえの正義を知った奥さんは、自分の旦那を誇りに思うだろうぜ。夫婦円満の楽しい生活が、おまえを待っているぞ」
「いえ、全然、これっぽっちも楽しくないです」
待っているのは夫婦円満ではなく、奥さんとの修羅場だろう。
ワットは冷や汗が止まらない。
──こんなことがグロリアにバレたら、俺はグロリアに殺されるっ
CIA の諜報員になって以来、これほどの窮地に立たされたのは、はじめてだ。
ルシアのことは誰も知らないと思っていた。毎回、彼女のところまで行くのに慎重を期して行動していた。尾行されたことなど、一度もない。
内部はもちろん外部の人間にも、自分がCIA のワットだとわかるような痕跡をのこさないよう、細心の注意を払ってきたのだ。
それなのに、なぜピーターが知っているのか?
──恐ろしい先輩だ……
老兵、侮れず。
いまはデスクワークで現場に足を運ぶこともなく、定年を迎えるまで暇そうに椅子に座る毎日を過ごしていると思ったところが、大きな間違いだった。
ピーターが CIA きっての情報通だということは当然のように知っていた。だが、まさか CIA 内部においても、知りえないはずの事実を把握しているとは夢にも思わなかった。
その情報収集力は、衰えることを知らない。




