◇ 借りは返した
その女性は、英語の発音からしてアメリカ人のようだ。
「すみません。はじめて来たデパートなので迷っているのですが、出口はどこにあるのかわかりますか?」
この大事なときに、あまり人と関わりたくないビトーは、すぐに右手の人差し指を出口に向ける。
「あちらですよ」
教えてもらった女性は、微笑みながら礼をいう。
「ありがとう、助かりますわ」
出口に向かって腰をふって歩くその女性に、ビトーの目が釘付けになる。
──いい尻だ。俺も、あんな女と……
女性は、そんなビトーの視線を感じながら思った。
──安全に外に出れるようにしてくれて、本当にありがとう
彼女がベルベットだということを、ビトーはまったく疑問に思わない。
狙撃時にともなう硝煙の匂いは、きつい香水でかき消されている。
ベルベットは、なにもとがめられることなくデパートから出ると、タクシーをひろって空港へ向かうのだった。
彼女がふたたび日本へ来たのは、情報屋のレニーから連絡を受けたからである。
アメリカ、シカゴでゴルドーの一味をなんなく片づけたベルベットは、その屋敷を出たあとにレニーから電話を受ける。
「ベルベットさんですか? お知らせしたいことがあります」
「なあに?」
「ゴルドーファミリーの殺し屋が、日本の警察に逮捕されました。警察が彼らを発見したときは、倒れていて重症だったようです」
彼女にすれば、予想はついていた。クノイチのナナセは、いとも簡単に自分の背後をとるほどの手練れだ。ロッソたちでは、まったく相手にならなかっただろう。
情報は、まだある。
「 CIA が出てきました。カーラという諜報員が殺害されているのですが、CIA は MI6 の仕業と考えています」
これには、ちょっと驚いた。CIA が出てくるとは思ったが、自分ではなく MI6 の方へ疑念をぶつけるとは考えていなかった。
「いま、日本のクノイチが MI6 に加担している状態でして、そのクノイチも CIA の標的になっているようです」
知りたい情報の本命は、クノイチに関することだ。レニーに頼んで正解だったとベルベットは思う。
彼女は日本でロッソとバルゴに追われていたとき、ナナセに助けてもらった恩がある。
──借りを返すチャンスね
そのために、ベルベットはすぐさま日本へ飛んだのである。なかなかハードなスケジュールだった。
レニーが、師匠のシガーからひき継いだ情報網は信頼できる。
そのなかでも、通信業務に携わる者から流される情報は大きい。彼らは通信設備の機器を通して、電話中の会話をきこうと思えばきけるのだ。
CIA とナナセたちとの携帯電話での会話が、まるごと手に入れることができたのは、またとない幸運だった。
──あの動画が絡んでいるのか。ならば……
ナナセとロッドマンが何時、どこで CIA と落ち合うか調べあげ、銃を手配し、どこから狙撃すれば良いか見定めて実行に移すのは、時間との勝負だった。
彼女のおかげで、クノイチがカーラの殺害にはまったく絡んでいないことが CIA に証明された。
ついでに、ライオットたち MI6 も無関係だったということが理解されたのである。
──借りは返したわよ、クノイチ
ベルベットは、トニーに電話をかける。
「もしもし、わたしよ」
「毎度、ありがとうございます」
「あなたのおかげで助かったわ。そっちに振り込んだお金は、届いているかしら」
「はい、すでに確認しています」
「これからも、あなたにお願いするわね」
「またのご利用を、お待ちしております」
ベルベットは通話を切る。
「シガーとちがって、ずいぶん謙虚ね」
教育の行きとどいたサラリーマンのように礼儀正しい。シガーの弟子とは、とても思えない。
しかし、腕は確かだ。確実な情報を提供してくれるシガーを失ったものの、その弟子であるレニーは彼女にとって大きな収穫である。
──ひと息ついたら、イタリアにでも行こうかしら
タクシーの中で、バカンスの予定を考えるベルベットだった。




