百四話 決着
いつ振りだ。
こんなにも戦いに身を賭して、こんなにも高揚したのは。
今の俺に緊張感なんてものはない。
緊張すれば迷いが生じる。そうなれば敗北は決定。
俺はあの激動の時代に培った戦闘勘と本能だけを用いて、兄貴に対抗する。
守るだけではなく、前に出ろ。
相手が一方的に攻めてくる機会を作るな。
自分の流れに押し返せ!その気迫を旨に打たれ続けること、約五分。
この五分間に俺はひたすら守りに徹することで久し振りの戦闘勘と速さに脳と身体を慣らしていた。それもようやく終わりに近づくタイミングを見計らうと、千里眼の能力を用いて攻撃のリズムを崩す。
「……」
一瞬先の未来を見通す力のオンとオフの使い分け。
そうやって攻撃のリズムを崩すのはかなり有効だと気付いた。
ここだ。
次に来る攻撃を先読みし、兄貴が大技を放つ構えを取ったタイミングで攻勢に出る。
姿勢を低く構え、足のみに身体強化を施す。
跳躍と同時に懐へと迫る。
予期せぬ動作に兄貴の反応は僅かに遅れる。
それを見逃さない俺は下から上へと大きく振るう。
軽い舌打ちをしながら刀で受け止めるも、強烈な一撃に態勢を崩す。
空いた腹部に裏蹴りを食らわせる。
「がはっ」
ぶっ飛びながらも片手で地面に触れ、衝撃を和らげる。
「まだだ」
俺の攻撃はたったニ撃じゃ終わらない。
背後に回って思い切り聖剣を振り切る。
苦い表情を嚙み締めながら、空中で受け止めるも立ち位置からして武の利は俺が優勢。
直下の地面に大きく叩きつけると大地が大きく割れた。
重い衝撃波が周囲に伝わると一帯の地面が更に荒れる。
俺達の足場となるこの一帯は既に跡形もなく破壊つくされ、街の中心を流れる源泉の川がひび割れた大地の隙間を通り、段々と扇状に広がっていく。
街への被害は今更気にするつもりはないが、これ以上の破壊はさせない。
抉られた地面に横たわる兄貴の身体を斬る勢いで更に攻めの一手に出る。
地面に打ち付けられた身体の直上に迫り、剣を振り下ろそうとした直前、視界に魔法陣が浮かんだ。
「暗黒炎」
魔力と声が発せられると同時に嫌な記憶が蘇る。
直上に向けて行使された恐ろしく圧縮した真っ黒な炎が光を呑み込む。
再び峡谷の街に大きな爆風が舞い、爆音が轟くかと思いきや、炸裂する寸前で魔法は二つに割れた。
光輝が闇を断ち、魔法を発動直前で霧散させる。
「もらった!」
同じ魔法は二度も食らわない。
発動直前を見極めて、その際に僅かながら剝き出しになる核たる魔法陣を破壊すれば対処は可能。
その事実を垣間見た、兄貴の顔に悔しさが現れるという期待を抱きながら刃を向け、突き刺すように構える。
これで終わりにしてやる。
そんな意志を込めてとどめの一撃を放つ。
だが、そう上手くはいかなかった。
口元をニヤリと浮かべ、一言発する。
「怨恨之炎」
その言葉が耳に届くと同時にブワッっと兄貴を中心とした空気が激しい熱を帯びた。
まるで燃え盛る炎の海に飛び込んだ感覚を抱くとそれに耐えられず、慌ててその場から脱するも、激しい熱線に手足や頬に火傷を負う。
更に呼吸をすると喉が焼けそうな感覚に陥る。
「くっ…『聖衣』
距離を置いても無意味だと判断した俺は右手で光の膜を身体に覆せて熱風の如く発せられる途轍もない熱さから身を守る。
黝い陽炎が兄貴の身を包むように生じると次の瞬間、大きな輪を描くように灼熱が広がっていく。
押し寄せる熱波が周囲の瓦礫を溶かし、草木は灰燼に帰し、地面がマグマの如く赤き色合いを帯びる。
これが怨恨之炎なのか?
一見すれば凄まじい熱波を発しているだけ。
そう表現すれば容易に突破出来ると思うが、これはただの熱波ではない。
気を抜けば一瞬で燃やし尽くされる高熱。
ここから一歩も踏み出すことすら許されない圧力に膝を屈する。
動けない。
『聖衣』の効果で灼熱を無効化してはいるが、下手に動いて魔法が解ければ、俺も草木同様に灰塵と帰すのみ。
手の届かない位置にてこの熱波を生じさせている人物がゆっくりと起き上がる。熱気に視界が歪む中、目を凝らして発生源を確認するとそれは兄貴の手に握られる魔剣から発せられていた。
あれが発生源か。
あの魔剣を破壊するか、あるいは衝撃を与えれば魔法は止まる。
くそ、どうにかして近寄る方法はないのか。
何か突破口を切り開けないか、探っているとふともっと奥に目がいく。
あれはジグルドか?
そこでいつの間にか白鬼と戦っていたジグルドがこの事態に気付かずに背を向けていた。
マズイ、あのままでは……
川岸の辺りで剣で迫る相手を素手で対峙する。
ジグルドという男は本当に馬鹿なのか、鈍感なのか分からないが自分の命が目の前の敵ではなく、別の危機に晒されていることに全く気付いていない。
それを利用しようと白鬼は灼熱が迫るギリギリまで相手をし、自身が巻き込まれないタイミングで上手い具合に悟られず退却する。
「あ?お前、逃げんのか!」
それでも尚気付かないジグルドに俺は頭を抱えそうになる。
この距離からでは叫んでも声は届かない。
もう何もかも手遅れだと思い、ジグルドの死を予見した。
しかし、俺の予見は大きく外れることとなった。
熱がジグルドに触れた途端、いや正確には触れる間際だろうか、突如魔法が無効化された。
その効果範囲はジグルド周囲ではなく、俺を襲っていた熱波も突風に変わり、霧散するように消えた。
『抹消体質。この世界の理に反して存在する魔の概念を破壊する者』
その事の顛末を悠馬の瞳を通じて、静観に徹していたリスフェルトは一人、主の精神空間にて自身の千里眼で映し出された新たな希望への活路を見出す。
『まさか、あんな方法で未来が変わるとは思いもしなかったけど』
千里眼の能力は先に待つ未来の予見と予測。
その結果に至るまで様々な要因を見通すことがリスフェルト本人には可能。そして、その結果を改変するための手段を模索することもできる。
今回、彼女が見た光景はどうあってもバットエンドにしか到達し得ず。
例え、聖剣を手にした瀬戸悠馬が立ちはだかろうと結果は変わらない、事実に少し悩ませていた。
しかし、結果として未来は大きく歪曲され、彼らが生還するルートはまさかの形で切り開かれた。
『道理で読み解けない訳だ』
彼にあらゆる魔法は意味を成さない。有形、無形であろうと彼に干渉しようとする全てが触れる直前で消えてしまう。それは魔力を視認する目でみれば一目瞭然。
彼の周囲に不自然なフィルターめいた何かが覆い、それが魔力を一切受け付けない機能を果たす。
これはまるで深い庇護欲の塊にも捉えられる。いや、『愛』と称するべきか。
だが結果として、それによって助けられたのも事実。
ここは敢えて素直に感謝するとしよう。
『主、今が好機だ。ここで一気に……』
私がそう告げる以前に彼は既に駆けていた。
言うまでもない。今更、言葉で伝えずとも彼の培った経験と勘がそうするべきだと伝える。
「はああああああ!」
気付けば雄叫びと共に前進していた。
熱波が止み、重圧に似た空気から解放されるタイミングに合わせて駆けた。
名状にし難い光景に目を奪われている余裕はない。
今はジグルドの作った活路を進むのみだ。
「ちっ……」
何故だ。
どうしてこうも運に見放される。
解のない自問自答に深い憤りを感じる。
この執念に似た憎悪の炎に激しさを増すかの如く、薪をくべられた気分だ。
瀬戸雄二は運なんてものを信じている訳ではない。
重なり合った悲劇が、偶然が彼の心を絶望の淵に誘った。
天から与えられる恩恵にはもう随分前に見限られていた。
それに今更縋ろうなぞ、なんて無駄なことであるか。
その事実を再認識し、己の憎悪で成した刀を強く握り締める。
「……悠馬」
焼け荒れた地面を疾走する、たった一人の弟にふと目がいく。
忘れかけていた弟の存在を二百年振りに思い出すも、曖昧なノイズのかかった光景しか見えない。
だが、その時折から見せる弟の表情。
諦めることを知らない、折れない心。
その意志が宿りし目をいつしか瀬戸雄二は嫌っていた。
常に邪魔ばかりする目障りな弟であると。
消えろ。
心の中で小さく呟いた言葉と同時に瀬戸雄二は迫り来る弟に向けて刀を振り下ろしていた。
視界に煌めく光沢を帯びた剣と黝い炎を宿した刃が交錯する。
強大な力を持つ両者の衝突は焦げた大地を抉り、更なる衝撃波が突風と化して吹き抜ける。
肉薄した状況下で互いに視線を交わす。
透き通った真っ直ぐな瞳に今は亡き自分の影が映る。
「その目で俺を見るなぁ!」
哀れだ。
もう止めろ。
それ以上、墜ちるな。
かつての自分にそう語り掛けられた気がした。
だが、悠馬は違う。
「俺は兄貴を救う。これ以上、みっともない姿を見たくない」
「黙れ!」
怒りを帯びた瞳を向け、刀身から放つ炎と共に薙ぎ払う。
その予備動作を見抜いた悠馬は一度、後退して回避するもすかさず攻勢に出る。
迫る勢いを変え、心理的圧力をかける。
迅い。
今まで自分が感じてきた中での最高速度。
その勢いをもって目前に迫った悠馬に一瞬、身も心も凍結した。
頭の中は冷静で、視界に基づく情報で正確に状況を分析する。
輝く聖剣を大きく上に掲げ、防御も意味を成さない渾身の従断。
まともに受けても酷い致命傷を負うのなら……
予想された一撃が振り払われると左片腕を犠牲に一時を凌ぐ。
血しぶきを舞い散らせながら地面に落ちる腕に苦悶しながら、大きく後ろに退いた。
追撃はない。
今の一撃で仕留めるつもりだったのか、あるいは腕を落とした事に少なからず動転しているのかは分からないが二人の間に時間が生じる。
治癒魔法で腕の傷を止血しながら構えを取る。
「なっ?!」
不意に凄まじい眩暈に襲われた。
「魔力切れだと」
突然刀身に纏わせた炎が消え、手足に力が入らなくなる。
怨恨之炎の発動に多大な魔力を消費した事に加え、意図しない強制解除の反動により体内に残る魔力は空に等しい。
魔王化を果たしたとは言えども、戒言が揃っていない以上、完全なる魔王には至っていない。
この辺りが潮時ではあるが、自身の意志が決してそれを認めない。
「まだだ。まだ俺は……」
刀を杖に無理矢理身体を動かすも、意志にに反して身体は素直に反応しない。
傍から見れば滑稽だとさえ分かるこの醜態に自分でも呆れ返る。
ズザッ。地面を踏む音がすると視界の隅に誰かの足が映る。
「もう終わりにしよう」
剣を鞘に納め、自身に纏わせた魔法の衣すら解いた悠馬はそう宣言した。
「くっ……」
瀬戸雄二は敗れた。
本来なら勝てたであろう戦に彼は敗北した。
自身の意すら介さず残していた弟への想いが足枷となって勝利を逃した。
悪に染まりきれぬ、中途半端な気持ちがこの結果を招いた。
そして、予見出来ぬ異端者。
これが敗因である。
「俺を殺す気か?」
「言ったろ、救うって」
「お前の言う救いは死ではなく、なんだ……俺を人間にでも戻すつもりか」
そんな方法があるなら願い下げだ。
俺は自らの意志で反転した。
絶望の嵐に打ちひしがれ、人の成れの果てとなって朽ちていくだけの人生なら……いっそのこと人である時間に終わりを迎えさせ、絶望が振り撒く終焉の世界を作り、新たな世界を再構築する。
それが叶わぬのなら俺は死を選ぶ。
「おやおや、随分と無様な光景ですねぇ~」
背後から発せられた不快感を備えた声に二人は反応した。
いつからこれを観ていたのかは分からない。
勝敗が決し、己の快楽を満たすべくわざわざ舞台へと降り立った一体の悪魔が愉快な顔で拍手喝采を送る。
「これは失礼。美しい兄弟の絆に水を差してしまった」
「寝言は寝て言え、それを言うためだけに俺の前に現れたんだろうが」
「流石ですねぇ。これはもはや以心伝心……」
「キモイから失せろ。あと顔がウザイ」
悠馬の辛辣な言葉に一切表情を変えない悪魔は恐れを知らずにゆっくりと近づく。
「その程度の罵詈雑言は聞き慣れていますので意味はありません。それに今はあなたと事を構える気はありません」
「兄貴を回収しに来たのか?」
「勿論。今宵はこれにてお開きとしましょう。お互いに消耗していますし、これ以上の戦闘は無用な犠牲を生みます」
悪魔の言葉に耳を貸すつもりはない。
聖剣に手を掛けて構えを取る。
「私は言った筈ですよ。これ以上の戦闘は無用な犠牲を生むと」
「俺がお前をここで斬れば、犠牲はお前だけで済むが」
「いえいえ、私が言っていることはそうではなく……私達の命とこの街に住む住人の命、どちらを選びますかと言っているのです」
「どういうことだ?」
「勇者、ここは奴の言葉に素直に応じておけ」
静観に徹していた魔王が理解出来ずにいた俺に引くように伝える。
「プリンセスの構築した別空間にザラがいる。奴の指示であの女が大量虐殺を図れば阻止する手段はない」
「そう言うことか」
「お分かり頂けたのなら何よりです」
確かザビーダというこの悪魔の意に従った俺は大人しく引き下がる。
疲弊し切った兄貴の肩と刀を持ち、顔を挙げると不快をそそる笑顔を向ける。
「斬るぞ」
「フフッ、それは次の機会にしましょう」
次の機会か。
この場で兄貴はおろかこの悪魔を逃すのは最悪と言えよう。
力を取り戻した事実を知ったコイツは今後俺と対峙する際、今まで以上にあらゆる策を講じて、俺を殺すべく臨むだろう。
そうなる以前にこの悪魔を滅却すべきであり、それは今この瞬間が絶好の機会である。
しかし、俺が敢えてそうしない現状を作り、そうしなかった事の後悔への薪をくべるべく、わざわざ俺の前に姿を現したのだとすれば本当に性格が歪んでいる。
人の形を成した化物。
いくら意思を交わそうが決して相容れない。
せめて人でなければあまり不快にもならないのだろうが、その事も考慮した上で奴は存在する。
本当に厄介な敵だ。
「では、これにて失礼させて頂きます。魔王様に、勇者」
以前仕えていた主人に対する義理の礼を見せた直後、兄貴諸共影へと沈む。
その去り際、魔晄の瞳と目を交わした俺は確かにメッセージを受け取った。
『次はない』
口には出していないし、そう言ったとも限らない。
だが、言葉に似た何かが俺には伝わった。
闇夜の影に完全に溶け込んで消え去った事を確認するとそこでようやく肩の荷を下ろす。
焼け荒れた地面の上に座り込み、半月が浮かぶ夜空を眺める。
「どうにか終わったな」
魔王の落ち着いた言葉に「そうだな」と肯定したくなるも、そう言うのはまだ早い気がした。
「いや、始まりだ」
今宵の死闘は終わりを告げ、迫りくる波を押し退けたという意味で魔王は言っているのだろうが、俺は敢えてそう取るのは止めた。
これは始まりに過ぎない。
ようやくスタートラインに立った。
自分が倒すべく新たな相手を見据え、この先に待つ激動の未来に立ち向かう準備が整った。
この日に起きたあらゆるトリガーを起点に俺はこの世界に生きる指標を捉えた。
「魔王、リスフェルト……」
聖剣化を解除し、いつもの少女の姿で魔王と並び立った二人に向き直る。
そっと手を前に出して、強い意志を見せる。
「どうか力を貸して欲しい。これまでも…これからも」
それにリスフェルトは最初に応じた。
「勿論だとも。私は主の聖剣だからね」
二ヒヒと無邪気な笑みを浮かべて手を取るリスフェルトとは反対に魔王に視線を向ける。
「この際だ。お互いに命を賭して戦い合った因縁の過去は抜きにして、どうして俺を欲する」
「力になって欲しいからだ」
「それなら他を当たれ、お前達兄弟の因縁に俺を巻き込むな」
予想通りか。
曲がりなりにもコイツは魔王。
俺達とは決して手を取り合う事が不可能だと改めて認識したが……
「と、言いたいが生憎とそうは言ってられないからな。奴らに俺の存在がバレた以上、ここに身を潜めても意味はない。それにセリンの教育に、人との付き合いを学ばせなければならないしな。この際、条件付きでお前に付いて行こう」
そうべらべらと御託を並べる高慢な態度に俺とリスフェルトは呆れ返る。
「……素直じゃない」
「本当にそれ、本音と建前を取り違えているよ。もっと素直にさ、俺もお前達と一緒にこの世界を救う剣になろうとか言えないの……って、ごめんなさい。今のは冗談だから大きなお手てを顔に近づけないでぇぇぇぇ!」
無慈悲なアイアンクローにリスフェルトの顔がすっぽり収まると暫く断末魔をあげてジタバタした後に手の中で完全に沈黙した。
何やってんだか。
そう横目で追いながらも俺は大きく身体を伸ばし、そのまま地面に力なく横たわった。
リスフェルトの沈黙と同時に俺を守護する加護も消え、この戦いで受けた傷が一気に身体へと流れ込む。
その激しい披露感に押し潰された俺の意識は闇に沈んでいった。




