第七話:闇夜の忍び逢い
鈴が去ってから、季節は静かに巡った。
あの朝、閉じられた門の前。
立ち尽くしていた俺に、如月が声をかけてくる。
「……あの子の事、私から時々伝えてあげる」
「伝える……?」
掟が脳裏を過った。
成人までは男女は交わるな――必要以上の接触は禁じられている。
今こうして並んでいるだけでも十分、危うい。
「……危ねんでねぇの? もし、見つかりでもしたら…………」
俺は彼女を案じてそう言った。だが如月はふっと微笑んだ。
「大丈夫よ。忍びの家に生まれて、
毎日必死に修練しているんだから……
密会くらいできなくちゃ、忍び失格でしょう?」
口調は柔らかいのに、芯の通った言葉。
俺はそれ以上何も言えず、静かに頷いた。
……それから。
月に一度か二度、風に乗るようにして俺の元へ文が届くようになる。
届け方には巧妙な工夫が凝らされていた。
炊事場の薪の間、庭の古い石灯籠の中。
あるいは外回りの掃除当番の道具袋の裏。
中には小さく折り畳まれた和紙が一枚だけ入っていた。
普通に開いてもただの白紙だ。
忍びにとっては子供騙しの小細工だが、
いつからか炙って現れる言葉を待つ自分がいた。
鈴がいなくなった日々で、
俺を繋ぎ止めるのは――如月とのやり取りだけだ。
【次の満月、丑の刻。
西の竹林で待っています。
如月】
文には、それだけ書かれていた。彼女の筆跡を見つめると胸がざわめく。
だが俺は気づかぬふりをして、読み終えた文を火へ投げ入れて燃やした。
掟を破り連絡を取り合って密会している事が知られてはいけないから。
もし父に知られれば、何をされるか分かったものではない。
鈴が家を出てから、父の暴力は日に日に酷くなっていた。
悲しんでいる俺が気に入らないらしい。
最初こそ、理不尽さに苛立ったが……無言の抵抗となり、
最近は耐えることに慣れてしまった。
そして……────満月の夜。
闇に包まれた山道。
人けのない小さな社で、俺たちは今日も密かに顔を合わせる。
「……遅れて、ごめんなさい」
夜霧の中から現れた如月が息を切らしながら小走りにやってくる。
白衣の裾を結い上げ目立たぬように布で髪を包んでいた。
「気にせんでええ。俺も今、来たとこやけん」
俺もまた、着古した外出着に身を包み、
音を立てぬようにと気を配っていた。
互いの姿が目に入った瞬間、表情がふっと和らいだ。
「はい、手紙……今日の分です」
如月が懐から小さな包みを取り出す。
丁寧に綴られた鈴からの手紙だ。
封に使われている薄紅の紐は、
かつて鈴の髪に結んでやった物と同じ色だった。
「……ありがとう」
俺はその包みを受け取ると、宝物のように胸元へ仕舞う。
如月はそんな俺の様子に目を細める。
「鈴ちゃんは元気みたいよ。まだ新しい家には慣れないみたいだけど……
毎朝、自分で布団を畳んでお手伝いもしているって」
「……ほうか」
目を伏せた俺に、如月はそっと一歩近づいた。
「あなたが、優しくしてくれたから。
きっとあの子は、前より強くなれたのよ。……本当に、ありがとう」
俺は何も言わず、唇を噛みしめ拳を握った。
「ちげぇ……」
「え?」
「……最初、優しく接してくれたんはあん子の方じゃ。
親に名すら与えられんで、心殺して息顰めて生きとった、
抜け殻みたいな俺を……鈴は、兄と慕ってくれたんじゃ。
俺ん心は、あん子さ救われたっちゃ。
じゃけ本当はもっと、守ってやりたかった。
んだども、出来ねぐて……じゃから、お前さんが親戚さ頼んで。
あん子を養子さしてくれた事、ずっと感謝しとった。
けんど、悔しかった…………俺は、鈴の兄じゃったのに……、
なんも出来んでっ……」
絞り出した声は情けなく震えている。
如月はそんな俺を黙って抱きしめ、
落ち着くまで背を摩ってくれた。
「あなたは、十分過ぎる程に頑張ってた。
でもね。強くなるのはこれからでもいい。
守れなかったと、自分を責めるんじゃなくて……」
彼女は真っすぐに俺を見つめる。
その目には、静かな慈愛の光が宿っていた。
「次に誰かを守れるように、立ち上がることが大事なんだと思う」
俺の心は揺れる。
竹の隙間から満月の光が差し込み、二人の姿を淡く照らす。
彼女の言葉は、胸の奥で静かに根を張る。
鈴の様子を聞く為の逢瀬。……いつの間にか、それだけではなく。
次に会える日は、わからないまま。
「またね」そう言って、帰っていく如月。
その眼は、俺の心を見透かしている。思わず目を逸らす。
だが彼女と会う日を待つ夜に灯る火だけが、俺を生かしていた。




