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愛縁奇縁 ― 忘却の魂、再び巡る ―  作者: 里 恵


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第六話:曼殊沙華が咲く道


 そして、夏が来た。


 梅雨が明け、蝉の声が遠くに霞み、

 夕暮れの空が薄く金に染まり始めた頃。


 俺は居間の畳に腰を下ろし静かに羽織の裾を撫でていた。


 白地に咲く、真紅の曼殊沙華。彼岸花とも呼ばれる花だ。

 如月がこれまでの感謝を込めて縫ってくれた刺繍。


「黑さんに、似合うと思って……その、ありがとうのつもりで……」


 照れたように差し出された羽織は、どこか彼女らしかった。

 受け取った瞬間、胸の奥に静かな温かさが灯ったのを覚えている。


 ―――夕方。

 畑仕事を手伝っている時。

 今夜夏祭りがあると聞いた俺は、だめもとで如月を誘ってみる。

 彼女は一瞬、躊躇うような表情を見せた。


 けれど。


「……黑さんと、一緒なら。行ってみたい」


 その言葉に、嘘はないと感じた。

 俺は迷わず、曼殊沙華の羽織に袖を通した。

 普段着ている黒い袴に、

 白地の羽織と曼殊沙華の刺繍が綺麗に映える。


 早めに支度を終えた俺は、縁側で風鈴の音を聞きながら待っていると、

 家の奥から小さな足音が近づいてきた。


「えっと、お待たせ」


 振り返った俺の目に映ったのは浴衣姿の如月だった。思わず息が止まる。

 柔らかな藤色に白い桔梗が散る柄。

 結い上げられた髪から細い襟足が覗く。僅かに紅を差した頬は、

 着慣れていない装いに戸惑っているようで……ひどく愛おしかった。


 前世で共に暮らしていた頃の彼女そのままで、

 昔に戻ったような錯覚を覚えた。


「……良ぉ、似合っちょる」


 気取るつもりはなかったが、声は自然といつもより低く優しくなった。

 如月は、照れくさそうに小さく笑う。


 愛おしさでどうにかなりそうだった。


「じゃ、行こうか」

「……ああ」


 俺は立ち上がり、履き慣れた下駄を鳴らして彼女の隣を歩く。


 手は繋がなかった。

 だが彼女の歩幅に合わせ、ゆっくり進む。


 裏道を抜けて、夏の夕暮れの中を並んで歩く。

 畑の向こうに見える提灯の灯りが、少しずつ近づいてくる。

 不意に何かに引かれた気がした。

 見ると、如月が俺の袴の裾をそっと摘んでいた。

 人混みへの不安。あの夜の記憶がまだ癒えていないことを、

 彼女は何も言わずに示している。


「……大丈夫じゃ。お前の手は、絶対に離さん」


 そう言って、俺は如月の手を強く握った。

 躊躇いがちに俺の手を掴むと、如月は気恥ずかしそうに。

 でも、嬉しそうに笑ってくれた。




 曼殊沙華の羽織が、風にふわりと揺れる。

 夕暮れに染まる道の先、太鼓の音が遠くで響き始めていた。

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