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愛縁奇縁 ― 忘却の魂、再び巡る ―  作者: 里 恵


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第三話:鬼の咆哮が天を切り裂く〈前編〉


―如月――


 木々の間を抜ける朝の光は淡く霞み、

 道を急ぐ私の影を柔らかく揺らしていた。

 着物の裾を気にする暇もなく、足音が苔を打つたび心が跳ねる。

 早く彼に会って、「思い出した」と伝えたかった。

 ……夢で聞いたあの優しい声で、あの言葉をもう一度聞きたくて。


 けれど、その時。風が変わった。

 ぴたりと足を止めた瞬間。背後で乾いた枝の音が三つ四つ重なる。


 何者かが私を囲むように木々の間に影を落とす。


「…………どちら様……?」


 声は震えていたと思う。嫌な汗が背を伝う。

 返事はなかったが、草を踏む音が確実に近付いてくる。


 一歩、また一歩。


 逃げようと踵を返す――でも、間に合わなかった。

 腕を掴まれ地面へ押し倒される。

 見知らぬ男の顔が迫り、下卑た笑いが耳元で響く。


「一人で山に入るなんて、ちょっと無用心が過ぎるぜ。

 ねぇちゃん……あははは」

「や、やめて……っ」


 恐怖で声が掠れた。

 爪を立て抵抗しようとするが、体が思うように動かない。


「いやぁあ! 誰か、助けて!!」


 その瞬間、地の底から響くような低く怒気を含んだ声が響く。


「……離せ」


 空気が変わった。湿った森の空気が一瞬で冷えた。

 次の瞬間、私の上に跨っていた男の体が吹き飛んだ。


「……っ、黑!」


 彼がいた。息を荒げ、額の紋が脈打つほど赤く光っていた。

 目が合った瞬間。安堵と恐怖がごちゃ混ぜとなるが、

 彼の姿に見惚《みと》れてしまっていたのも事実だった。

 私以外には、彼は鬼として映らないと聞いている。


 けれど今、この場にいる誰の目にも彼の殺意は明らかだろう。


「おどれら、俺の大事な女さよくも……っ、!

 ……地獄さ落ちる覚悟ば、出来とんじゃろな?!」


 地面から黒い影が伸び男たちを襲う。

 木が裂け叫び声が上がり、男たちは次々に投げ飛ばされていく。


 黑の動きは獣のようで容赦がなく。

 その瞳に、理性は残っていなかった。


(……止めなきゃ)


 そう思うけど、恐怖で声が出ない。


 でも、このままじゃ優しい彼が居なくなる気がして、

 必死に止めようと手を伸ばした瞬間……――――。

 

 柔らかいのに、温度のない声が割り込む。


「……その辺にしておけ、酒吞童子。

 それ以上やれば、僕は君を滅しなくてはならなくなるよ」


 その声で、黑の動きが止まった。私も驚いて辺りを見渡す。

 すると木々の間に、一人の女性が立っていた。

 短く切り揃えた漆黒の髪を風に靡かせ、優しく微笑んでいる。


 だが、

 その桃色の瞳は暗く静かで……飲み込まれるような恐怖すら感じた。


「……天羅《あいら》か」


 ――知らない名前だ。

 でも、彼女と目が合うと黑の殺気がふっと弱まるのを感じた。


 怒りの熱が霧のように薄れていく。

 天羅と呼ばれた女性は、男たちを一瞥すると静かに告げた。


「命がある事に、感謝するんだね。……次はないよ」


 その言葉を背に、這うように逃げていく男たち。


 天羅は懐から和紙のようなものを取り出すと、

 男たちの背中に向かってふっと息を吹きかける。


「安心して、殺しはしないから。でも、友の大切な人を傷付けたんだ。

 残りの人生は、私の呪いにたっぷり苦しめられなさい」


 その声は冷淡で、それでいて、

 どこか慈愛を帯びた不気味さを孕んでいた。


「如月……っ」


 黑が駆け寄って来てくれる。

 乱れた着物をそっと直し優しく抱き締められ。


 私は堪えきれず、彼の胸元に顔を埋めて泣いた。


「……怖、かった……でも。黑が、来てくれて……!」


 嗚咽が漏れる。


 私を抱き締める彼の腕は、

 夢で感じたのと同じでとても優しく温かかった。




 天羅は、そんな私たちを見守るように静かに佇んでいる。

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