第二話:霞の向こうへ手を伸ばす
―如月――
目を閉じると、優しい光の中に彼がいた。
片目の見えない私を、
自分も片腕が動かせないのに当たり前のように抱き締めて笑ってくれた。
「……愛しとる、如月」
「うん。私も……黑を、愛してる」
迷いのない、真っ直ぐな言葉。
握り合った手から、伝わる温もり……この人となら、
何度生まれ変わってもまた出会いたい。
――――――――――
――――――――
――――――
――……
「……今のは、……夢?」
カーテンの隙間から朝日が静かに差し込む部屋。
心臓の鼓動が、夢の余韻を引きずるように速い。
寝台で身を起こし、掌を見つめる。
温もりはもうない。でも、感触ははっきり残っていた。
彼の腕の重み、歩幅を合わせてくれた足音、
木漏れ日の中で交わした言葉がゆっくり蘇る。
「……黑…………」
息を飲み込む。霧の中に落として見失っていた記憶を、ようやく見つけた。
安心と嬉しさが込み上げ、胸が満たされる。
思い出した。全部。
あの人は前にも私の傍にいてくれて……私はそんな彼を誰より愛していた。
「……っ、行かなきゃ……」
呟いた声が震えていたのは、悲しさではない。
喜びと、どこか懐かしい安堵。
それらに急き立てられるように、私は出かける準備をした。
「……早く……早く。黑に、会わなきゃ」
昔、一目惚れして買ったはいいけど、
ずっと箪笥の肥やしだった着物を引っ張り出す。
夢の私が着ていたものに似た着物へ袖を通し、素早く着付ける。
裾をさばき、髪を二つに結う。
手櫛で撫でつけた前髪に触れた瞬間。
夢で彼の指先が髪を撫でた記憶が蘇り、胸がぎゅっと締めつけられた。
こんなにも彼を想っていたのだと、ようやく気づく。
春の山はまだ朝靄の中だけれど、迷っている時間はなかった。
何かを忘れていないか確認する余裕もなく、
私は足早に彼の待つ山へ向かう。
「……待ってて、黑」
再び巡り逢えた奇跡が、胸の奥で静かに灯る。私は、もう迷わなかった。




