第十四話:名もなきよるに安らぎを
数日が過ぎた。
野に咲く花の名も知らず、朝の匂いさえ違うこの村で。
俺たちは迷い込んだ獣のように静かに暮らし始めた。
「……黑。包帯、換えるね」
障子越しの光の中、如月が布を持って俺の前に来る。
左手だけの生活は骨が折れるが、彼女また片目を失っているのだ。
それでも、先に俺を気遣ってくれる。
俺は黙って見ていた。右腕は、相変わらず動かない。
肩から下は生ぬるく重いだけの塊だ。
「……ごめんなさい。あたしの所為で…………」
「んな事ね」
即座に言い返した。短く、だが強く。
如月の片目が少し見開かれ、すぐに伏せられた。
「如月の所為でねぇよ。俺が、自分で決めた事じゃ。
……こん腕ば、名誉の勲章だ」
「……黑」
如月が俺の名を呼ぶ。
『忍びは主君の影。影に名はいらぬ』
幼い頃からそう教えられて育った。
だから、この村に来て最初に名を聞かれた時は困ってしまい。
答えられずにいると如月が
「私は如月、彼は……黑です」
と代わりに答えてくれたんだ。その日から、俺の名は黑になった。
(名の意味ば、未だ教えてもらえんちゃけど……結構気に入っとるんよな)
この村は山の奥にひっそりとある。
役人も旅の者も滅多に足を運んでこない。
そして誰も、俺たちのことを深く詮索しないのだ。
過去を捨てて逃げてきた者を知っているのか……ただの善意なのか。
大人たちは寡黙だが優しく、子どもたちも俺の傷を怖がることもしない。
左目に包帯を巻く如月の姿を見ても、ただ「大丈夫?」と聞くだけで。
ここは、優しい世界だ。
産まれてからずっと、忍びの里で育った俺たちにとって。
この村の生活は驚きの連続だった。
全てが新鮮で、まるで夢でも見ているようだ。
―――【抜け忍】という烙印は、命が尽きるまで消えない。それでも。
「……黑」
「ん?」
「目が、見えなくても。あなたの聲は、ちゃんと分かる」
振り向くと、如月が静かに微笑んでいる。
「だから怖くないわ。……あなたがいてくれれば、それだけでいいの」
俺は何も言わず彼女の隣に腰を下ろし、夜空を見上げた。
触れた肩越しに、静かで淡いぬくもりが伝わってくる。
命を懸けて手に入れた安らぎだった。
(何があっても守り続けるんじゃ……この命に代えても)
この先がどれほど厳しくとも。どれほど遠くとも。
あの日繋いだ手は離さない。




