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愛縁奇縁 ― 忘却の魂、再び巡る ―  作者: 里 恵


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第十二話:暗い森を越えて


 それは、いつもと同じ満月の晩だった。


 竹林に差す月光は白く、凪いだ風が葉を静かに撫でている。

 俺は西の斜面を上り月下に立つ影を見つけて歩を緩めた。


 如月は祠の横にもたれ、月を見上げている。


「よう、来とったか」

「……ええ」


 いつもの会話、いつもの間合い。

 鈴のことを少し話し、あとは静かな沈黙。

 だがその晩、別れの間際に。如月の指先が、そっと俺の服の裾を掴んだ。


「…………如月?」


 返事はなく、顔を伏せたまま小さく震えていた。


「……成人の儀に、行きたくない」

「!」

「……知らない人となんて、したくない。

 好きでもない相手となんて、命令に従うのも……もう、嫌なの」


 その声は擦れていた。こんなにも追い詰められていたのか。


「如月……」

「……逃げたい、どこか遠くへ……」


 願いとも、祈りともつかぬ声。俺はただ、黙って聞いていた。


「……助けて」


 その消え入りそうな一言は、

 思わず漏れた心の叫びに思えて……俺は堪えきれず、如月の手を取る。


「行くぞ」

「……え?」

「こったな里、捨てちまえ!

 んで……俺と一緒に、遠くさ逃げるぞ!」


 真っすぐ見つめて言うと、如月の目が大きく揺れた。


「……でも、忍びが里を抜けたら……」

「追われるべな。捕まれば、きっと酷い目さ遭う。

 ……最悪殺されるかもしんね。そんでも……」

「……」

「そんでも……

 如月が泣くんだったば、俺はこったなとこさ居る意味はねぇ!」

「っ……」

「大丈夫じゃ。何《なん》があっても、俺がお前を守っちゃる」


 思ったことをそのまま口にする。

 如月は短く息を呑み、泣きそうな顔で笑った。


「……ありがとう」


――――――――――

――――――

――……




 逃走は、すぐに発覚した。


 荷物も持たぬまま月明かりだけを頼りに山を駆け抜ける。

 追手の気配を感じながら、足を止める暇もなく走った。


 足元は滑りやすく、竹の根は行く手を絡め取る。それでも必死に駆けた。

 早く森を出なければ夜が明けてしまえば、山は狩場になる。


「……居たぞ!」

「逃がすな!」


 手裏剣が夜の空を切り裂き、何枚かが如月の肩を掠めた。

 服に血が滲んでいる。それを見て、俺は咄嗟に如月の手を引いた。


 後ろから迫りくる忍びたちの足音――崖沿いの獣道を一気に駆け上がる。

 そして、とうとう道が尽きた。目前には、崖がある。


 眼下には、荒れた岩と濁流の川がうねっていた。


「……もう、道が……」


 如月が肩で息をしながら呟く。俺は迷わず、握った手に力を込めた。


「息を吸え、飛び込むぞ」

「……うん」


 一か八かだ。生き延びられる保証など、何一つなかった。

 ……だが、死ぬことより。手を離す方が、怖かった。


「せーので、行くぞ」

「うん!」

「せーのっ――!」




 息を合わせ、崖を蹴った。空が反転し、風が音を奪っていく。

 ただ握った手の温もりだけは消えなかった。

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