第九話:滴る水に揺れる想い
山に入り、五日が経とうとしていた。
人里離れた山奥で一人。沈黙の中、己と向き合う修行。
日中は黙々と山を歩き日が暮れると粗末な祠で座る。
話し相手も灯も、時を測る鐘もない。
代わりに空の色と腹の減り具合が時を教えてくれる。
今日は、山を越えて川まで水を汲みに行く。
(……水源ばあって助かったが、気ぃ付けんと溺れたら終いじゃ)
桶を手に竹を掻き分け、沢へ降りる。
すると、どこかから水を弾く音が聞こえていた。
ぴしゃり、ぴしゃりと続く水音。
――熊かもしれない。俺は身を潜め、音を辿った。
そして木陰から川辺を覗く。
……――――刹那、時が止まった。
川の中ほど、陽の差さぬ澄んだ水面に。白装束一枚の如月が立っていた。
濡れた赤茶色の髪が背を撫でている。
白装束越しに、括れた体の線が浮かんでいた。
(…………な、ん……)
喉が鳴りそうになるのを堪え、目を逸らそうとしたその時。
動揺していたのか、足元の枝を踏んでしまった。
音に、振り返った如月と目が合う。
「? …………っ!?」
「……っわ、わりぃっ! わざとで、なぐて……!」
如月は慌てて胸元を押さえ、水から上がろうとする。
だが足を滑らせ、よろめいた。
「きゃっ!」
「あぶね、っ!」
咄嗟に受け止めたがそのままもつれて倒れ込む。
如月が上になり、俺が下になった。
……雫の滴る赤茶色の髪が一瞬視界を覆う。
再び目が合うと如月の頬が赤く染まっていた。
乱れた白装束。ずれた襟元から肌が覗く――。
(あ、…………やばい……)
襟がするりと緩み、白い胸元が露わになる。
次の瞬間。
「……っ~~~~~~! 馬鹿っ!!」
バチンッ!!
張り裂けんばかりの音と共に、俺の頬へ鈍い痛みが走った。
「い、っ……っ!? ちょ、待っ!
違っ!! じゃけ、わざとじゃなか……!」
「うるさい! ……ワザとじゃなかろうが、見たのは事実でしょ!!」
如月は耳まで真っ赤になり、落ちた白装束を急いで掴み取る。
その背に、俺は慌てて叫んだ。
「す、すまんかった! 俺は……っ、あの……!」
「……知らない! …………馬鹿……!」
ぴしゃ、と川の冷たい飛沫が一閃。
逃げるように走り去る如月の背を、俺は呆然と見送った。
顔が火照るのは、平手の所為だけじゃない。
(……)
心臓が騒いだ。焼きついた光景が、離れない。
――白い肌、濡れた髪。そして、驚きと羞恥に揺れた表情。
(……女、じゃった)
ただの友だと思い込んでいた。……いや、思い込もうとしていた。
だが、
今回の事で意識の外に追いやっていた現実を突きつけられた気がする。
ずっと、気付かないフリをしていたツケだ。もう、後戻りは出来ない。




