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15/39

#15 告白

 重い。身体が、重く感じる。

 まるで予科練時代の訓練で、深いプールの底での潜水訓練を受けた時のような、高水圧で全身を締め付けられているような、そんな感触に近いと言った方がいいだろう。

 その重さに耐え切れず、私は目を開けた。

 見知らぬ白い天井が、視界に広がる。いつもの薄暗いカーキ色の埃っぽい自分のテントではない。明かりは柔らかく、周囲は清潔な空気に包まれている。

 枕やマットレスの感触から、ベッドの上に寝かされていることは分かった。が、ここがどこなのかを把握しようと首を動かそうとした瞬間、全身の筋肉と骨に激痛が走り、私は思わず「うっ」と低く呻いた。

 特に酷いのは両腕だ。まるでやすりの棒を皮膚の上からあてられ削られたかのような、鋭く熱い痛みが脈打っている。視線を下に落とすと、私の両腕は肩のすぐ下から指先まで、分厚い純白の包帯でぐるぐる巻きにされていた。左手の甲のあたりからは、透明な管が伸び、ベッドの脇に吊るされた点滴のガラス瓶へと繋がっている。


「やっと目が覚めたか、フィッシャー軍曹」


 痛みに悶えていると、不意にすぐ隣から、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 そちらへ視線を向けると、私のベッドのすぐ右隣に置かれたもう一つのベッドに、シュタイナー大尉が横たわっていた。いつも隙なく軍服を着こなしている大尉が、今は病院支給の簡素な寝巻き姿で、上半身を起こしてこちらを見ている。

 私は反射的に起き上がって敬礼しようとしたが、身体が全く言うことを聞かなかった。


「動くな。無理をしなくてもいい。ここは第三階層の前線基地に設けられた、仮設の野戦病院の中だ。俺とお前は着陸後、機体の中で気を失って、そのままここに搬送されたんだ」

「隊長……小官はどれくらい眠っていたのですか?」

「丸一日だ。一時は高熱を出してうなされていたが、投薬のおかげか今朝、やっと熱は引いた。ようやく峠を越えたようだな」


 一日もの間、私は意識を失っていたのか。ふとよどんでいた記憶が、急にはっきりと蘇ってくる。破壊されたパイプオルガン風の魔力供給機、その奥に開いた巨大な暗黒の穴、そこから雪崩を打って溢れ出してきた、八十匹のブレスドラゴン級と無数の魔物の濁流。

 私はやつらを食い止めるため、機体の前方に防御魔導の障壁を展開したまま、文字通り単機で敵の群れへと突撃した。強烈な衝撃と、限界を遥かに超えた魔力消費。盾は砕けそうになり、目前に現れたオーガの肉壁にあわや機体ごと押し潰される寸前だった。

 そうだ。あの絶体絶命の瞬間、私の後ろに滑り込んできたのが隊長だった。

 大尉は猛烈な風圧の中で自らの魔石の杖を掲げ、私の機首に展開された障壁に向けて直接魔力を送り込んでくれたのだ。そのおかげで私は魔物の群れを激減させることに成功し、陸軍の魔導砲戦車隊に勝機をもたらすことができた。


「隊長……ありがとうございます。あの時、隊長の魔力供給がなければ、私は間違いなくオーガに突っ込んで死んでいました」


 私はベッドに横たわったまま、心からの感謝を伝えた。もしあれがなかったら、私は今頃、第三階層の冷たい岩盤の上に散った肉片の一つになっていただろう。

 だが、シュタイナー大尉は静かに首を横に振った。


「何を言っている。礼を言うべきは俺の方、いや、俺だけではなく、この基地にいる戦闘機隊の全隊員に陸軍部隊の面々も、お前に命を救われた。あのまま分岐点を奪われて、補給路を絶たれていれば、我々調査軍は完全に孤立し、壊滅していたはずだ。貴官の無謀とも言える戦術が、軍を救ったのだ」

「私は、ただ夢中になって敵を圧し潰そうとしただけで……私があの機械を破壊するよう具申したことも、今回のような事態を招いたわけでせすし」

「結果的には、あの機械を破壊しなければ我々はあの絶壁の前で立ち往生したまま、撤収期限を迎えていただろう。あの決断は、間違っていなかった」


 隊長のその言葉に、私は少しだけ救われた気がした。

 その時、病室の薄手の布製ドアが乱暴にバサリと捲り上げられ、コツコツという硬質な軍靴の足音が響いてきた。

 その顔を見て、私はギョッとする。現れたのは、軍の作戦参謀であるレーマン大佐だった。

 いつも兵士の命を暖炉にくべる薪くらいにしか考えていない、その上で机上の空論で我々を死地へと送り込んできた、あの冷酷な男が今、目の前にいる。彼の姿を見た瞬間、私の全身の筋肉が緊張で強張った。シュタイナー大尉も表情を硬くし、無理な姿勢から敬礼を行おうと身をよじった。

 私も点滴の繋がれた腕をどうにか持ち上げようとしたが、レーマン大佐はそれを片手で制した。


「いや、そのままでいい。それだけの怪我をしているんだ、まずは治療に専念せよ」


 耳を疑うような言葉だった。あのレーマン大佐が、前線の兵士の体調を気遣っている? 幻覚でも見ているのかと疑いたくなるほど、彼の声にはいつもの刺々しい棘がなかった。


「フィッシャー軍曹、そしてシュタイナー大尉。貴官らの決死の活躍で、我々は絶体絶命の危機を脱することができた。エーベルハルト大将閣下に、いや、調査軍司令部を代表して、心より礼を言う」


 そう言って、レーマン大佐は軍帽を脱ぎ、深々と我々に向かって頭を下げたのだ。

 私は目を丸くし、シュタイナー大尉と顔を見合わせた。大尉もまた、信じられないというように微かに眉をひそめている。


「い、いえ、小官はただ、その場で成すべきことをしただけですから」


 思わず恐縮し、謙遜の言葉を返す。あの傲慢な作戦参謀が、下士官である私に頭を下げるなど、天と地がひっくり返ってもあり得ないことだと思っていた。おそらく、あの魔物の濁流が分岐点に迫った時、司令部テントにいた彼自身も「死」を確信したのだろう。彼にとって我々は使い捨ての駒だったはずだが、今回ばかりは自分の命を直接救われたという事実が、彼の冷徹な官僚主義の仮面を剥ぎ取ったのかもしれない。


「恐れ入ります、大佐」


 シュタイナー大尉が戸惑いを含んだ声で答えると、レーマン大佐は頭を上げ、再びいつものような厳格な作戦参謀の表情に戻った。


「さて、見舞いの言葉はこれくらいにして、貴官らに現在の状況を伝えよう。貴官らが命懸けで切り拓いたあの穴の奥だが、結果的にあの通路は、第三階層の分岐点からさらに深層へと繋がる正規のルートであることが判明した」

「つまり、あの機械そのものが、本命の通路を隠すための巨大な壁だったのですね」


 私が呟くと、大佐は頷いた。


「その通りだ。先行した偵察機が、破壊された機械の奥に新たな空洞が続いていることを確認した。我々が『第四階層』と呼称することにしたその場所は、かつてないほど広大な平地となっている」


 大佐の言葉に、私は胸の高鳴りを感じた。ついに、この果てしない隕石孔のさらなる深淵へと通じる道が開かれたのだ。ギリギリではあるが、どうにか撤収期限前に活路を見出すことができた。

 が、レーマン大佐の顔には浮かれた様子はなく、むしろ重苦しい影が落ちていた。


「しかしだ、一つ厄介な問題が発生した。その第四階層の平地の入り口に、五匹のワイバーン級が立ち塞がっているのだ」

「五匹ですか? その程度の敵であれば、我々の戦力で容易く排除できる数かと思いますが」


 シュタイナー大尉が疑問を呈する。第一から第三階層に至るまで、我々は数十、時には八十匹という途方もない大群を相手にしてきたのだ。数匹のワイバーン級など、もはや前哨戦にすらならないはずだ。

 だが、大佐は忌々しげに首を振った。


「ワイバーン級が問題ではない、その場所を飛んだ偵察機に搭載された『魔力探知機』が、その五匹の敵に対して全く反応しなかったのだ」


 その言葉に、病室の空気が凍りついた。

 魔力探知機が反応しない。それは、未だかつてない異常事態だった。

 我々が使用している魔力探知機は、機体に搭載された魔石が、空間に存在する他の魔力と「共鳴」する原理を利用している。翼竜どもが展開する「防御魔力障壁(シールド)」は膨大な魔力を放っているため、魔力探知機で容易にその存在を捕捉することができた。あの、光学迷彩で姿を隠した不可視のワイバーン級でさえ、魔力探知機の反応まで消すことはできなかった。

 それが反応しないというのだ。これがどういうことか、私はすぐには理解できなかった。


「まさか、そのワイバーン級は魔力を持っていないと言うのですか?」


 私の問いに、大佐は重々しくこう返す。


「いや、それはないだろう。我々の魔力探知機の原理を完全にすり抜ける未知の魔力をまとっている可能性の方が高い。魔力なしに、重さが数トンはあるワイバーン級が空を飛ぶことはできないからな。問題は、魔力探知機だけではない。もっと深刻な問題が、そのばしょにはあるということだ」

「もっと、深刻な問題……?」

「貴官ら魔導士が放つ『魔導砲』というのは、魔石を共鳴することで魔力を高エネルギーの光に変換し、それを使って魔力で覆われた敵を撃退できるという兵器だ。魔力探知機が反応しないということは、魔力によって共鳴する現象が、その場所では無効化されるということになる。それがどういうことか、分かるか?」

「まさか、魔導砲が撃てない可能性がある、と」


 シュタイナー大尉が、絞り出すような声で言った。

 魔導砲が使えない。それは魔導士である我々にとって、最大の武器を封じられたに等しい。

 翼竜の鱗には、通常の機関銃や戦車の徹甲弾すら弾き返す強固な力が備わっている。我々はそれを「魔力障壁」と呼んでいる。魔力障壁を破るためには、同じ魔力を用いた魔導砲でしか倒せないのだということも知っている。

 だが、もしその前提が崩れたとしたら? その場の五匹のワイバーン級が我々とは別の次元の魔力を持っており、魔導砲が撃てない我々がそのワイバーン級と対峙したらどうなるか?

 考えるまでもない。たかがワイバーン級だといえ、魔導砲が封じられればそれはもはや我々が倒せる敵ではない。無敵の存在と化す。


「現在、軍の技術部が対策を考えている。が、いずれにせよ、あの第四階層を突破するためには、貴官らの力をまた借りることになるだろう。それまで、十分に英気を養っておいてくれ。では」


 そう言い残し、レーマン大佐は軍帽を深く被り直すと、再び硬質な足音を響かせて病室を立ち去っていった。

 大佐が去った後、病室には重苦しい静寂が降り降りた。

 魔導砲が効かない敵。そんな相手に、どうやって対抗すればいいのか。物理的な攻撃をすべて弾き返す障壁を持ち、さらにこちらの最強の魔導攻撃すら無効化された状態で戦えという。取るに足らないと思っていたワイバーン級が、ここにきて途方もない脅威に変わろうとしていた。

 私の胸の奥底で、かつて感じたことのない種類の不安が渦を巻いた。

 この隕石孔の奥に潜む「敵」は、単なる野生の魔物などではない。明らかに、我々の進化と戦術を学習し、それに対する「カウンター」を用意してきている。まるで、我々の理解を超えた巨大な意志が、意図的にこの試練を与えているかのようだ。


 とはいえ、今ここで悩んだところでどうにもならない。

 私は魔力によって生じた火傷を直すための包帯で巻かれた、自身の両腕を見つめた。魔力の過剰放出による重度の火傷。神経まで焼け焦げたような痛みが絶え間なく続いており、指先を少し動かすだけで冷や汗が吹き出る。とてもではないが、操縦桿を握り、魔石に魔力を注ぎ込める状態ではない。

 その後、検診に現れた医師からは、私の腕が使えるまでに一週間はかかると告げられる。けがの状態のわりに早く治るのは、やはり上級魔導士ゆえの治癒力の高さがあるからだという。普通の者であれば、ふた月は治療にかかるレベルだと告げられた。どのみち、その間は軍司令部も作戦会議で紛糾していて動けまい。その間は、けがの治療に専念すべきと医師からは忠告された。

 今は、己の無力さを噛み締めながら休むしかないのだ。私はゆっくりと息を吐き、ベッドの背もたれに深く身体を沈めた。

 ふと横を見ると、シュタイナー大尉の姿が目に入った。彼の左腕もまた、肩から手首にかけて分厚い包帯が巻かれていた。

 あの時、猛烈な風圧の中でキャノピーを開け放ち、自らの杖から私の機体の障壁へと直接魔力を注ぎ込んでくれた代償だ。私という「他者」の展開した魔導術式に、無理矢理自らの魔力を同調させ、限界を超えるエネルギーを流し込んだのだ。魔力注入にどれほどの負荷がかかったか、想像を絶する。

 私を救うために、彼もまた満身創痍になっていた。その事実が、申し訳なさと同時に、胸の奥に温かいものを灯した。

 そんな隊長が、不意に口を開く。


「ところでお前は、この戦いが終わったら、どうするつもりだ?」


 妙なことを言い出す。あまりに唐突な質問に、私は目を丸くした。


「戦いが、終わった後……ですか?」


 オウム返しに呟きながら、私は思考を巡らせた。

 この隕石孔調査作戦が終わった後のことなど、今まで一度も考えたことがなかった。

 私は強大な魔力を持って生まれたが、そのせいで故郷の田舎町では少し浮いた存在だった。魔導士としての力を世の中の役に立てたい、自分の存在証明を示したいという一心で軍に志願し、予科練での過酷な航空訓練を耐え抜き、この新型機「撃竜」の操縦席を勝ち取ったのだ。

 私にとって、空を飛び、魔力で敵を撃ち落とすことこそが生きる意味だった。だから、この地獄のような迷宮でも、恐怖を押し殺して前線に立ち続けることができた。

 だが、それが終わったらどうするか? まったく考えたことがない。


「隊長、実は何も考えておりません。私が故郷の田舎に帰っても、せいぜい小娘ができることなんてたかが知れていますし、かといって田舎では強力な魔力など使う機械すらありません。できれば、このまま軍に残って、戦闘機隊の操縦士として空を飛び続けたいと、そう思っています」


 自分でも驚くほど、しどろもどろな回答だった。明確なビジョンがないことを突きつけられ、急に自分の人生が空っぽに思えて、視線を泳がせた。

 大尉は私の返答を聞き、わずかに目を伏せた。


「俺は、この戦いが終わったら軍を辞めて、故郷に帰ろうと思っている」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 シュタイナー大尉といえば、第二対竜戦闘隊の要であり、軍人中の軍人だ。彼が軍を去るなど、全く想像もつかなかった。


「えっ、隊長ほどのお方が、軍を退役されるのですか?」

「魔導専用の航空隊だからこそ、俺の力は発揮される。が、地上での魔物相手や人間同士の戦いでは、こんな過剰な兵器は不要となる。となれば、俺自身が軍に残る意味もなくなるだろう」

「はぁ……ところで、故郷とはどちらなのです?」

「ザクセン共和国の首都、ルートリンゲンだ」


 隊長は包帯の巻かれた左手を庇いながら、ゆっくりと窓の外――と言っても、見えるのは仮設病院のテントの布地だけだが――をじっと見つめながら語り出す。


「俺の実家は、ルートリンゲンの中心部にある、魔道具の製作と販売を手掛ける大きな工房だ。代々、生活に役立つ様々な魔道具を作り、国中の貴族や富裕層に納めてきた」

「魔道具の、工房ですか……?」

「そうだ。炎魔導の特製を持ちながらも炎を出せない者でも使えるフライパンや、水魔導の特性を使って卵の殻と中身をきれいに分ける道具など、多種多様な道具を作り出している、そんな工房だ」

「はぁ、そんな魔導の使い道があるんですね」

「そうだ。で、俺の上には優秀な兄貴がいて、工房を継ぐはずだった。だが、十年前の隣国との戦争で、陸軍の歩兵として徴兵され、戦死した。それ以来、両親からは俺に工房を継がないかと、何度も手紙が来ていたんだ」


 大尉の横顔には、これまで見せたことのない深い悲哀と、どこか安らいだような色が混在していた。

 彼が過去の作戦で多くの部下を失ったトラウマを抱えていたことは知っていた。だが、彼自身もまた、家族を戦争で失った過去を背負っていたのだ。だからこそ、彼は誰よりも命の重さを知り、理不尽な作戦に反発し、部下を死なせまいと必死に戦ってきたのだろう。


「そ、そうなのですね。では、故郷に帰って工房を継がれる、と」

「そうだな。もし、この隕石孔の調査が無事に終わり、俺が五体満足で生き残ることができたなら、両親の願い通り軍を退役して、その工房を継ごうと考えている」


 大尉はそう言うと、こちらに向き直り、私を真っ直ぐに見つめた。

 いつもは冷徹で威圧感すらある彼の瞳が、今は信じられないほど不器用に、激しく揺れている。


「その時、お前……じゃない、フィッシャー軍曹、いや、マルガレーテよ」


 急に名前(ファーストネーム)で呼ばれ、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。


「……はい、なんでしょうか?」

「その、なんだ。魔道具というのはだな、戦闘のための武器ばかりではない。人々の生活を豊かにし、平和な日常を支えるためのものだ。だが、高度で精緻な魔道具を作り出すためには、それに見合うだけの強力で純粋な『魔力』を持つ者が、必要不可欠なんだ」

「はぁ……そうなのですか」

「そ、そういう意味で、貴官は……その……私と共に、そのルートリンゲンの工房で暮らすには、もっともふさわしい人物だと……俺は、そう思っているのだが」


 隊長の言葉が途切れ、病室の中に再び静寂が落ちた。

 私は、自分が今、何を言われたのかを理解するのに、数秒の時間を要した。

 ルートリンゲンの工房で、共に暮らす。その言葉の意味することは、たった一つだ。

 言葉の裏に隠された、あまりにも不器用で、遠回しな、事実上のプロポーズだった。


「…………えっ!?」


 ようやく意味を理解した瞬間、私の顔から一気に火が出るような熱さを感じた。

 火傷の熱ではない。顔中が真っ赤に茹で上がり、耳の先まで熱を帯びているのが自分でもわかった。心臓がかつてないほどの早鐘を打ち、両腕の火傷の痕から血が噴き出すのではないかと思うほどに血圧が跳ね上がっているのが分かる。


「た、隊長……それ、は、その……ご、軍命、でありますか?」


 パニックに陥った私は、自分でも何を言っているのか分からないような馬鹿げた質問を口走っていた。

 大尉もまた、耳まで真っ赤にして咳払いをした。


「い、いや、軍命ではない。これはあくまで、俺個人の願いだ。強制はしない。が、今すぐに返事しなくてもいい。この戦いを最後まで生き延びて、全てが終わった時に、改めて答えを聞かせてほしい」

「あ……はい……」


 私は俯き、シーツをぎゅっと握りしめた。

 今まで、泥と血とオイルにまみれ、男たちの怒号が飛び交う殺伐とした世界しか知らなかった。誰かから一人の女性として、そんな風に見られていたなんて、想像すらしていなかった。

 だが、嫌な気は全くしなかった。むしろ、あの強くて厳格な隊長が、あんなにも不器用に自分を求めてくれたことが、むず痒くもうれしいと感じた。

 ならばこの場ですぐ、返事をするべきではないか。


「あの、隊長……」


 ところがだ、そう言いかけた時、横やりが入る。


「いやあ〜、お二人の熱〜いところを、お邪魔しちゃって申し訳ないですねぇ〜!」


 突如、病室の入り口から、わざとらしいほど明るい声が響き渡った。

 ビクッとして顔を上げると、そこには両手いっぱいに差し入れの菓子や瓶入りコーラを抱えたヨハンナが、ニヤニヤと笑いながら立っていた。


「ヨ、ヨハンナ! い、いつからそこに!?」

「さぁて? 『俺は故郷に帰ろうと思う』あたりからだっかかなぁ〜。いやー、シュタイナー大尉ってば、部隊じゃあんなに鬼みたいに怖いのに、プロポーズの時はまるで、乙女のようにたどたどしいんですねぇ!」

「お、おい、立ち聞きなど、軍紀違反だぞ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るシュタイナー大尉に対し、ヨハンナは全く悪びれる様子もなくベッドの脇に差し入れを置き始めた。


「軍紀も何も、私、民間人ですからねぇ。ぜーんぜん違反じゃないですよぉ。それにしてもマルガレーテ、よかったじゃない! で、どうするの? もう返事しとく?」

「ちょ、ちょっと、ヨハンナ、からかわないで!」


 私は照れ隠しにヨハンナを睨みつけたが、彼女はケラケラと笑うばかりだった。

 静かで重苦しかった病室が、一気に賑やかで明るい空気に包まれる。

 ヨハンナがいれてくれた冷たいコーラをちびちびと飲みながら、私はこっそりと隣のベッドに視線をやった。大尉はまだ顔を赤くして、そっぽを向いている。

 この隕石孔の深淵には、まだまだ想像を絶する脅威が待ち構えている。魔力を持たない未知のワイバーン級。軍上層部の隠された思惑。そして、一番奥に何かが待っている。

 だが、不思議と恐怖は薄らいでいた。

 私には今、明確な未来の青写真ができつつある。この戦いを終わらせ、生き延びて、あの光あふれるルートリンゲンの街へ行くという、確かな「生きる意味」を見出した。

 そういう生活も、悪くないな。

 私は包帯に巻かれた両腕をそっと胸に抱き寄せ、穏やかな未来の前に、来るべき次なる戦いへ向けて、静かに覚悟を新たにした。

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