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次の日。
「凛ちゃん、何?これ。」
早速来店した芝さんは、昨日のハンカチを持って来た。
「見たらわかるでしょ?“幸せの”四葉のクローバー!」
私の言葉に、芝さんは声をあげて笑った。
四葉すげえ…
本当に帰ってきた。
私は心の中で何度も感謝の言葉を唱えた。
「こんなの渡してくるキャバ嬢はいないよ。はあ、面白かった。」
「私も初めて!ていうか、四葉のクローバーを摘んだのも初めて!」
「そんなことあるか?子どもの時はよく探すだろ。」
芝さんが疑うような目で、私を見た。
「あー。私にはその時代がなかったみたい!昔ね、毎日ピアノしか弾いてなかったの。」
グラスにワインを注いでいると、芝さんの視線を感じた。
もしかして今、芝さんは私に興味を持ったかもしれない。
全てを話してしまおうか?
いや、求められているのは違うこと?
慎重になればなるほど、余計な思考が増える。
「ふふっ。芝さん、私の話興味ある?」
ど直球すぎたかもしれないけれど、もはや本人に判断を委ねた。
しかし、反応がない。
恐る恐る顔を見ると、芝さんはにっこりと笑って頷いた。
私は腹を決めて、息を吸い込んだ。
「私ね、昔ピアニスト目指してたの。毎日ピアノに触る時以外は手袋してさ、結構本気で。コンクールでも何回も優勝したことあるよ。」
芝さんはワインを片手に、私の話を静かに聞いていた。
私は少し安心して、また話し始めた。
借金を背負ってこの街に来たこと。
大事な弟がいること。
だから、お金が必要だということを。
「そっか。大変な人生なんだね。」
わかっていた。
芝さんは、こういう人だ。
同情するわけでもなく、応援するわけでもなく、ただ受け止めるだけ。
その上で、私を試してる。
私はとっくの昔に、覚悟を決めていましたよ。
「うん。なので、今日アフターいきましょう!」
私の誘いに、芝さんは顔色を変えなかった。
「うん。いいよ。」
ただそう言って、微笑んだ。
私は今日、芝さんの言う“愛”に応える。
愛…あれ、ちょっと待って。
愛って、芝さんじゃない人の口からも聞いたことある気がする。
えっと、誰だっけ…えっと…
私は酒に浸かっている頭を、必死に動かした。
“凛ちゃんの愛に会った”
あ、アイちゃんだ。
ふと、前にアイちゃんが言った言葉が脳内を過ぎる。
あれ、芝さんの愛ってセックスで合ってた?
私は咄嗟に、携帯で“愛”という言葉の検索をかけていた。
愛:相手や物事をいとおしみ大切に思う深い心情や、その対象を大事にしようとする態度を指す語。
…ん?
夜の世界に染まり切った思考で、芝さんの愛を決めつけていたかもしれない。
少し頭が混乱してきた。
「あー、精力剤買って行かないとね。ほら、俺ももういい歳だから。」
ぐるぐると思考を巡らす私をよそに、芝さんはそう言って笑った。
機嫌が良さそうに、ワインを次々と飲み干していく。
うん。私の解釈は、合っていた?
「早く閉店時間にならないかな〜。」
そう言って、私の頭からつま先までを目でなぞった。
「もう!気が早いよ。あと少しだから!」
そう言って芝さんの手を握ると、芝さんは初めて私の手を握り返した。
そしてニコニコと笑いながら、またワインを口に含んだ。
迎えた閉店時間。
私と芝さんは手を繋いで、芝さんの泊まるホテルに来た。
ドアが閉まるなり、芝さんは私のお尻を撫でた。
振り向くと、口角が上がりっぱなしの芝さん。
こんな笑顔、初めて見た。
いつもはもっと意地の悪い顔で笑うか、面白い時は大きな口を開けてのけぞって笑う。
こんな…こんな絵に描いたような笑顔は初めて。
いや、これが下心が見え透いた男の顔なのかもしれない。
芝さんは部屋に入って、早速ベッドに身を投げた。
「凛ちゃんも、おいでよ。」
手招きをされた方へ歩き、そっと腰を下ろす。
「凛ちゃん、触って。」
芝さんは私の手をとって、股間に当てた。
芝さんのそれは、ニヤけた表情とは裏腹にまだまだ元気が足りないようだった。
「凛ちゃん…安心して。俺、勃たないから。」
芝さんはそう言って、私の手をどかした。
「はははっ。俺、もうだめなのよこっちも。でも、ここまで来た凛ちゃんの気持ちは汲むよ。」
また、お手本のような笑顔だ。
この人は、誰?
「もう帰っていいよ。タクシー代。」
そう言って、1万円札を握らされる。
「ねえ芝さん。違うよね?」
「ん?なんのこと?」
芝さんは背中を向けたまま、返事をした。
「芝さんって、愛が欲しいわけじゃなかったんだね。」
私は気づいてしまった。
芝さんの顔つきが変わる時。
それは、人の成長、人との再会、人との別れ。
「愛が足りないなんていうから、勘違いしてた。芝さんって、愛してほしいんじゃなくて愛したいんじゃん。」
勢いよく振り向いた芝さんの眉間には、皺が寄っていた。
「ん?何が言いたいの?愛したい?…いや違うな。俺は愛が欲しいよ。」
その言葉に、嘘はないのかもしれない。
芝さんは怒っているのだろうか。
頭を捻りながらも、顔の節々が震えるように動いている。
「うん。でも芝さんは、見返りが欲しいようには見えないよ。」
細めた目に、眉間の皺がより濃くなった。
「私の目には、愛することを原動力にしているように見える。うーん、上手に言葉にならないな…」
なんて言ったら伝わるんだろう。
腕を組んで唸っている私を見て、芝さんは急に吹き出した。
「なんだそれ。そんなんじゃ、伝わらないよ。」
そう言って、また背中を向けた。
「何が言いたいかというと…私、覚悟できてるよってこと!」
「…ん?覚悟?」
「うん。芝さんから逃げない覚悟。」
芝さんは小難しい顔をしながら首を捻った。
「だからさ、芝さん。私のこと、愛してみない?」
ああ、そうこれ!
私が言いたかったのはこれ!
芝さんの愛は、多分男女とかそういう類のものじゃない。
人と人。
きっと、“愛が足りない。”と言いながら、愛してもいいのか伺っていたんだ。
芝さんは私の言葉に、ゆっくりとこちらに体を向けた。
そして、私の目を見る。
静かな部屋で、ただ見つめ合った。
何も言わない芝さんに少し不安になって、私の目は泳いでは芝さんの目を捉える動作を繰り返した。
ゆっくりと口を開いた芝さんは、
「俺は…本当は愛したいのか…」
そう、呟いた。
目をつぶって、おでこをポリポリと掻く仕草をしている。
そして次第に、口角が上がっていく。
「そっか…うん。そうかもしれないな。ははっそれを、凛ちゃんが言うんだ。」
小さな声でポツポツと話しながら、笑い声が段々と大きくなる。
私はただ、そんな芝さんを見ているだけだった。
「そういえば昔、サキも似たようなこと言ってたなぁ。」
芝さんはそう言って、私の顔をゆっくりと見た。
まただ。
みんな知っていて、私だけが知らないサキさん。
「ははっ。うん、いいよ。うん。凛ちゃんに賭けるよ。」
そう言った芝さんの笑った顔は、少し照れくさそうに見えた。
私は答えるように頷いて、安堵の息を静かに吐いた。
これは私にとっても一種の賭けだった。
冷たくなっていた指先が、先ほどまでの緊張感を表していた。
「…聞いてもいい?サキさんって、どんな人?」
間を繋ぐように、質問を投げかけた。
芝さんの中のサキさんも知っておきたかったからだ。
「サキか。そうだなあ。一言で言うと、お節介なやつだったよ。でもそのお節介で、数えきれないほどの人を救った。」
「そう、なんだ…やっぱり私も、会ってみたかったな。」
「見たことはあるだろ?あの本通りのでっかい看板。」
私はすぐにピンと来た。
あの女性のことだ。
通ると必ず見入ってしまう看板。
「えっあの人が、サキさんなの?」
「そうだよ。サキだ。サキはね、死んでも尚、愛したこの街に残り続けるんだ。サキの魂が、出会った人の心に棲みついて、きっとずっと受け継がれていく。」
聞けば聞くほど、サキさんという人が気になる。
叶うことなら、一度だけでいいから話してみたい。
愛し、愛され続けるサキさんと。
「凛ちゃんはね、やっぱりサキに少し似てるよ。」
「…え?いや、私そんなタイプじゃないっていうか…」
「ああ、性格は全然違うね。だけど根っこのところに、きっと近しいものがある。」
帰り道、私は本通りにいるサキさんを見に行った。
相変わらず一際目立つ大きな看板。
「サキさん、わたしもあなたに会ってみたかったです。」
目の前に立って、1人でそう呟いた。
永遠に返ってこない答えが、心を切なくさせる。
「あら〜?いつでも会えるわよ?あなたのこ・こ・ろ・の・な・か・で!」
予想もしていなかった返事が耳元から聞こえて、勢いよく振り返った。
そこには、知らない女性がいた。
ニューハーフかもしれない。
おそらくルル・ミラージュの。
「って、サキさんなら言うと思うよ!」
そう言って、手を振りながら颯爽と歩いて行ってしまった。
こういうこと、か。
サキさんの看板を再び見上げて、笑みが溢れた。
なぜだろう。
さっきと同じ写真のはずなのに、サキさんの笑顔がほんの少しだけ近くなった気がした。




