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「今度、スグルがこっち戻ってくるんだ。」
芝さんが口に出した名前に、必死に記憶を漁った。
今日の売上で、私の未来が変わる。
芝さんは今まで2人の枝を連れてきた。
どっちだろうか…
「一回事業に失敗したけど、また戻ってきたんだよ。今度連れてくる。」
芝さんはスグルを唯一の弟分だと話した。
この歳になって、まだ遊んでくれる貴重な男だと。
若い方か…
「そっか、楽しみ!」
「同伴しよう。スグルの気に入ってた子と。名前はなんだったかな…あの、よくNo. 1になる子。」
「うん、覚えてる!言っておく!」
「スグルはな、摘発されて捕まったけど、頭がキレる。また新しいことを始めそうだ。」
そう言って、芝さんはニコニコと笑いながら酒を飲んだ。
私も芝さんに合わせて、にっこりと微笑む。
先日とは違い、目に輝きが戻っていた。
芝さんとスグルの昔話を聞きながら、私はワインの本数を数える。
今日の芝さんは酒を飲むスピードも悪くない。
水面下で、酒を強請るタイミングを見計らった。
いっそ抱かれてもいいが、できることならまだ出し惜しみたい。
このまま同じワインを飲み続けるならば、あと5本は飲まなければいけない。
1つランクを上げれば、3本。
ラストまでいてくれるならあり得ない数字ではない。
時計ばかりが気になって、肝心な会話になかなか身が入らない。
「いつ頃?葵ちゃんに予定聞いてみる!」
不意に芝さんのグラスに伸ばされかけた手が止まった。
にこやかな私に、ゆっくりと向けられた冷ややかな目。
「凛ちゃん、葵ちゃんを気に入ってたのはタカヤだよ。…さっき、あの人気の子だって話をしたはずだ。」
サーっと血の気が引いていく。
大事なところで、私は2択を間違えた。
やってしまったかもしれない。
そんな話を、さっき確かにしていた気がする。
「やだ!ごめんなさい。スグルさんは凪沙ちゃんだったね。」
染みついた癖のように、私の手が芝さんの膝に伸びた。
芝さんは顔色を変えずに、自分の脚に置かれた私の手を見ていた。
違う。また間違えた。
先ほどまでの明るい空気とは裏腹に、沈黙の時間が流れる。
また、言われてしまう…
「凛ちゃん、今日ずっと何を考えてた?」
冷や汗が出そう。
こんなこと、キャバ嬢失格ではないか。
会話に集中できていなかったことなど、決して見抜かれてはいけないのに。
「何って、芝さんのこと…」
「心ここに在らず。」
…図星だ。
芝さんは目を瞑って小さく息を吐いて、
「凛ちゃん、やっぱり、“愛がない”ね。」
そう言い放った。
いつもは不機嫌そうに言うセリフ。
思い違いかもしれないが、今日はどことなく悲しそう。
静かに息を吐いた芝さんに、私は返す言葉が見つからない。
そんな私に呆れたように、芝さんは呼び出しボタンを押した。
しばらくして現れた黒服に、「チェック。」とだけ言って、席を立つ。
私は帰路へ向かう芝さんの後ろを、ただ付いて歩いた。
絶望、後悔、黒い渦に飲まれそう。
「芝さん、また来てね。」
見送り際に、そう言うのが今は精一杯だった。
芝さんはチラリとだけ私の顔を見て、何も言わずにエレベーターを閉めた。
なぜだか今日は、芝さん1人だけを乗せたエレベーターが広く見えた。
控え室に戻る途中で立ち止まり、その場にしゃがみ込んだ。
現実が、恐れていた未来が迫っている。
返済額が足りなさすぎる。
数万なんてかわいい数字ではないのだ。
こんな金額、クニさんは許してくれないだろう。
私たちの間には金があって、初めて平和な関わりを維持できるのだから。
1番恐れてきた、律の人生が壊される未来が近い。
来店予定を見ても、飛び込みの客を想定しても、全然足りない。
運任せにできるほど余裕もない。
今からでも芝さんを追いかける?
追いかけてどうする?ホテルに一緒に帰る?
もう、未来のことなど考えたくない。
目を瞑って、このまま消えてしまいたかった。
いや、だめだ。
まだ終わっていないなら、足掻くしかない。
足掻いて、自分で捕まえるしか方法はない。
絶望したところで、状況は何も変わらないのだ。
携帯を開くと、営業をかけている無数の客からの返信。
私の営業は、来店頻度に合わせて営業連絡をすることで定期的に私を思い出させる手法。
瞳さんと雪也から見習ったものだ。
まず誰から返そうか考えたながら、一通り目を通したあと手を止めた。
一度に大金を使ってもらうなら、あの人しかいない。
まだ未知数の男。
藤村だ。
「もしもし、藤村さん?」
スリーコールで、藤村は電話に出た。
「り、凛ちゃん?どうしたの?」
「なんもないんだけど、なんとなく声聞きたくなっちゃった!」
「あ、あれ、え、今日はお休み?」
「ううん。まだお店だけど、ちょっと時間空いたから。」
「あ、そっそっか」
「また会いたいな。」
焦ってはいけない。
逃せない。
慎重に、けれど大胆に、踏み込む。
電話の向こうで、口をもごつかせる藤村の声とも言えないような音がする。
「ねえ、明日ランチに行かない?」
昼なんて、本当は適当に営業連絡を返したあと夜に備えて寝ていたい。
「え、え、ランチ?ど、同伴じゃなくて?」
「うん。同伴はもう予定があるんだけど、仕事じゃなくて、会いたいから。」
「……うん。ランチ…うん、行こう。」
「うん!あ、呼ばれちゃった!また連絡するね!」
電話を切って、深呼吸をする。
大丈夫。まだ巻き返せる。
今日を入れて残り5日の営業日。
漏れでそうなため息を、唇を噛み締めて堪えた。




