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「はあ。めんどくさ!」


私の髪をセットしていたアイちゃんが、急にため息と共に大きな声を出した。

ぎょっとした私は、目を見開いて鏡越しにアイちゃんを見た。

そんな私の目を見て、アイちゃんはまた舌打ちをする。


「なんなの最近。ジメジメしてんな。」


「…え?天気?」


そう言った私に、アイちゃんは再び肩を落としながらため息をついた。


「ちげえよ!お前!凛ちゃんがジメジメしてんなって話。俺あんま人の面倒見んの好きじゃねーし、どうでもいいけど一応聞くわ。なんかあった?」


「え?いや、なんもないけど…」


「いやなんもないわけねーだろ。前はうちの店でも笑顔貼り付けてたくせに、あの一件からすっかり本性だしやがって元気ないの丸わかり!」


アイちゃんは心底興味のなさそうな顔で、私の心配をした。

…本性を曝け出しているのはお互い様だろうに。

ああ、さては後ろに誰かがいる。


「瞳さんでしょ?もしかして、私のこと頼まれてる?」


「御名答〜。困んのよこっちも。」


呆れたような顔で髪を巻き続けるアイちゃんの姿に、つい笑ってしまった。

アイちゃんの愛は、深い。

面倒くさいことでも、瞳さんに言われれば気にかけるくらいには。

そんな私を見て、アイちゃんはまたため息をついた。


「ごめんごめん。まあ確かに最近フリーばっかよ。売上やばくて悩んではいる。」


「そうか。それは悩ましいな。で?足りないの?」


「え?」


「借金でしょ?見ればわかるよ。クニさんといるとこ見てるし。」


アイちゃんは、清々しいほどストレートに物を言う。

呆気に取られている私を見て、


「俺、まわりくどいの嫌いなんだよね。聞いたところで金の工面もできないけど。まあ話すだけでもスッキリすることあんじゃん。」


と、顔色も変えずに淡々と話した。


「ああ、まあそう。今んとこ足りなくて焦る。はあー!私も早く夜辞めたーい!」


久しぶりに大きな声を出して、勢いのまま椅子にもたれかかった。

私の髪にコテを当てていたアイちゃんが、珍しくアタフタする声が聞こえる。

心の渦巻いていた本音を、初めて声に出した気がする。


「いや、あぶな!普通に!」


そう怒るアイちゃんの姿を見て、「ごめんごめん」と笑いながら謝る仕草をして見せた。

少しだけ、心がすっきりとした気がする。


「今度飯行く?日曜でも。」


「あー日曜はちょっと…」


言葉に詰まった私を見て、アイちゃんはまた舌打ちをした。


「…あいつかよ。」


少し気まずそうに笑った私に、アイちゃんは「まあいいわ」とだけ言って見送った。

今日は久しぶりに芝さんとの同伴だ。

私の今の売上は、芝さんと藤村さんにかかっている。

あとの客はもう通う頻度も限度も知っている常連ばかりだからだ。

無意識にため息が漏れる。

芝さんの“愛”を追及する時が近いのかもしれない。

金のためなら、体を差し出せる。

芝さんはいつも身綺麗にしているし、そこまで抵抗はない。

ただ、クニさん以外との関係を切った今、本音を言うと少しだけ怖い。




芝さんを待っている間、少しだけ強張った顔の緊張を解くように、空を見上げて息を吐いた。

今日こそ、決めよう。

とっくに育てる時期は過ぎている。

それに、そんな駆け引きなど遊び慣れている芝さんには通用しない。

使わせる金額を変えるなら、関係を変えるしかないだろう。

ただのキャバ嬢と客の関係から、一歩進んだ関係に。


そう気合を入れて待ち構えていたはずだったのに、久しぶりに見た芝さんはまた少し痩せていた。

人の心配などしている余裕はないのに、どうしても頭の片隅に引っ掛かる。

いつも通り軽口を叩いて笑っているように見えるが、明らかに酒の進みが悪いのだ。


「芝さん、体調悪い?」


確信を得ようとしてどうする。

けれど、このままでは酒など強請ることもできない。

私の問いに、芝さんはいつもより優しく笑った。


「体調は悪くないよ。ただね、なんか空っぽなんだよ。使命が終わった気がするんだ。」


「…使命?」


私は、首を傾げた。


「うん。瞳ちゃんが引退した日以来店に来なかったけど、凛ちゃんのとこにだけ来なかったわけじゃない。なんだか抜け殻なんだよ。もう魂が空に帰りたがってるのかもなあ。」


芝さんは、そうぼんやりと呟いた。

サキに頼まれていたことが、終わってしまった。

なんだかんだ、瞳ちゃんを見守ることに生きがいを感じていた。

と、淡々と語る芝さんの話を、私はただ横で聞いていた。

どうしたらこの人の心を動かせるのだろうか。

無い頭を捻ろうものにも、私の経験では難しい。

呆れるほど、何も浮かばない。


「もう商売をする気にもならん。金も要らん。」


「いいんじゃない?」


不意に口を突いて出た私の言葉に、芝さんのグラスを持った手が止まった。


「無理して働かなくても、よくない?」


「え?」


芝さんは笑いながら、私の言葉を聞き返した。


「いや、だからいいじゃん。無理に探さなくても。やりたいこと見つかるまでボーッとしたってよくない?どうしても死にたくなったら死んでもいい。無理することない…と、私は思うけど…」


その言葉に、芝さんは声を出して笑い出した。

先ほどまでの沈んだ雰囲気とは結びつかない笑い声に、私は目を丸くした。


「お前っ、それ、店の女がいうことかっ」


芝さんは、笑いながら途切れ途切れにそう言った。

その言葉に私は少しだけ冷や汗をかく。

浮かばないからと、考えることを半分放棄してしまっていたようだ。

このままでは、また“愛がない”と告げられてしまう。


「あ、いや…」


と、言葉を探す私に、


「久しぶりに笑った。はあ、こんなこと言われたのは久しぶりだ。」


と、笑いすぎた目に涙を溜めながら芝さんは言った。

誤魔化すように、流れに身を任せて私も笑顔を作った。


その日、芝さんは久しぶりにラストまで延長をした。

まだ売上は足りないが、今月また同伴をしてくれるらしい。

予想に反して今日は、“愛がない”と一度も言われなかった。

やはり芝さんの思考回路は理解ができない。

それにしても、“死んでもいい”は失言だった。

巻き返すなら、次の同伴の日。

私はため息をつきながら、今月の売上の計算で頭が爆発しそうだった。

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