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それから彼は、週に1.2回私の家に訪ねてきた。
日曜日と、他の曜日。もしくは日曜日だけ。
時間の決まりはないが、必ず日が沈んでから。
まるで私の生活スタイルを知っているかのように。
「あれ、もう一回聞かせてよ。気に入った。」
そうそっけなくそう言いながら、毎回彼の歌を彼の携帯で聞いた。
発売前の、まだ世間が知らない彼の声を独り占めしている気分だった。
そんな穏やかな日常だったが、そろそろクニさんが戻ってくる。
「来週は忙しいからうち来ないで。あとさ、今さらだけど来る時連絡くれない?ほら、番号知ってるんだし。」
そう笑いながら言い終えたあと、彼の顔を確認した。
彼は、私の目をしばらく見つめた。
何か言いたそうな顔で。
そして、瞼を伏せて、
「だよね、ごめんごめん。気が利かなかったわ。」
と笑って言った。
少しだけ心の距離が遠くなった気がして、胸がざわつく。
妙な罪悪感。
別に付き合ってるわけでもないのに、隠し事をしているような気分。
わかりやすく傷ついたような顔をしないでほしい。
クニさんとは、切れない関係なのだから。
それに、あんたには関係ないでしょうが。
どうせ自分だって、いまだに童貞なわけでもないだろう。
今はだだ、私が彼の弱った姿を知ってしまったから。
少しだけ心を許してしまっただけ。
そうでしょ?
私たちの仲は、期限付きだ。
「俺、来月から少しだけ忙しくなる。まあ、連絡するよ。」
帰り際にそう言って、携帯を持ち上げる仕草をした。
私は閉じられた玄関の扉の前から、なかなか動き出せなかった。
次に会うのは、いつだろうか。
確実なのは、この扉を次に開くのは彼じゃないこと。
カランコロンーーー
「おはよー凛ちゃん。」
もう聞き慣れた低い声で、アイちゃんが私を出迎えた。
「ねえ、ひいの引っ越し先聞いた?遠すぎね?もう辺り海しかねえじゃん。」
「あー聞いた聞いた。でも電車乗ったら割とすぐじゃない?」
「まあそうだけど…今まで歩ける距離にしかいたこと無かったから…」
そう、ため息を吐くアイちゃんを鏡越しに見た。
きっとアイちゃんは、瞳さんが心配で仕方ないのだろう。
「アイちゃんは…まだこの街にいてくれる?」
アイちゃんが、髪を巻きながら私の顔を確認する気配がした。
「うーん、まだいるよ。とりあえずはね。凛ちゃんが引退するまではいると思うよ。」
「ほんと?…よかった。」
私はほんの少しだけ安堵した。
私にとってはもう、アイちゃんは師匠のようなものだ。
愛を知る人。
数少ない、素のままで話せる人。
「なんかあったー?最近やけに楽しそうだったのに、今日はしおらしいじゃん。」
この男は、本当に敏感に人の心を見抜く。
私は何も言わずに、ただ笑って見せた。
「まあいいけどさ、なんでも。誰かに聞いてほしかったら言いなよ。あいつ絡みだったら他に話せる人もいないだろうし。」
アイちゃんは休まず手を動かしながら、そう言った。
目を合わせるわけでもない。
でも、その優しさが、距離感が、私には心地がいい。
「うん。ありがと。」
カランコロンと鳴った扉から、次の予約の人が入ってきた。
「おはよ〜!ちょっと待っててね〜!」
すぐさまスイッチの入るアイちゃんは、プロ意識が高い。
つい、先ほどまでとの変わりように吹き出してしまった。
アイちゃんが張り付いた笑顔で私の背中を小突く。
笑ったおかげで、私の仕事のスイッチも入る。
アイちゃん様様。
仏を拝むような仕草をして、店の扉から出て行く私を、アイちゃんは眉間に皺を寄せながら見送った。
コツコツとヒールの音を足元で鳴らしながら歩いていた時、ポケットに入れた携帯が震えた。
“藤村さん”
今日の同伴相手からの連絡だ。
この客と初めて会ったのは一昨日の土曜日。
急に空いた月曜日の同伴に、断られる前提で誘ってみたが、二つ返事で承諾された。
“少し早く着いてしまったので、先に店に入ってます。”
15分前厳守の私よりも早い到着。
確かに真面目そうな雰囲気ではあったが、早すぎる。
“あと5分で着きます!(ハート)”
文末には、多用しすぎて予測変換で出てくるようになったハートをもちろん入れ込んだ。
夜の店には慣れていなさそうだけど、他にお金も使わなさそうな堅実な印象。
きっと溜め込んでる。
この手の客は、私の得意分野だった。
ハマれば月2、3。同伴オーラス。
たまにシャンパンを入れてくれたら尚よし。
そのためには、会話の内容や好みをメモして忘れないようにしなければならない。
気合を入れているうちに、店へと辿り着いた。
早く会いたくて走ってきましたよ。と、いう風に今さら小走りを始める。
「お待たせしました!早かったですね〜!」
「あ、や、うん。緊張しちゃうから先お酒飲もうと…り、凛ちゃんも早かったね。」
「うん!早く会いたかったもん!まだ会うの2回目だし、私も緊張しちゃうからお酒頼んじゃお〜っと!」
小柄で短髪、シルバーの細縁メガネ。年齢は30代半ばくらいだろうか。
一昨日のボヤけた記憶を鮮明に塗り替えた。
藤村さんは、わかりやすく女慣れしていないようだ。
ニコニコと向かいに座って笑っているだけで、照れたように目を背ける。
私が他のものを見ていると、視線を感じる。
よしよし。この調子。
予想通り、藤村さんは店でも延長を重ねた。
お酒が入るとどんどん饒舌になり、私と目を合わせることができる。
「凛ちゃん、今日のお店美味しかったね。またご飯行きたいな。」
「嬉しい!私もまた行きたい!次は何食べる?」
「うーん…次は和食がいいかな。凛ちゃんは?」
「いいね!私も和食好き〜。美味しいお魚が食べられるところがいいな!」
そうして、次の同伴の約束もできた。
順調すぎるほどだったが、ラスト1時間で少し様子が変わった。
「お酒、遅くない?」
顔を赤らめた藤村さんが、眉間に皺を寄せ始めた。
確かに少し遅い。しかし混んでいるから仕方ない。
まだ許容範囲だ。
「うん。ちょっと遅いかも。ごめんね!私持ってくる!」
立ち上がろうとする私を、
「いや、なんで凛ちゃんが行くの?凛ちゃんじゃなくて、悪いのは黒服だろ?」
貧乏ゆすりを始めた藤村さんの膝の上に、そっと手を重ねた。
「ごめんね。今ちょっと混んでるみたい。」
そう言って、上目遣いで見つめる。
少しだけ頬が緩んだ隙に、黒服に手を上げて合図をする。
「もしよかったらボトル入れる?そしたら、私がここで作るから待たせないよ。」
「いや、早く飲みたいからっていうか…あー、まあいいけど。ボトル入れても。」
きっとこの人は、早く飲みたくて不機嫌なわけではない。
早く運ばれないことで、自分が軽視されているようで気が悪いのだ。
しかし、この程度の待ちは今後何度もあるだろう。
その度に不機嫌になられては困る。
私は慎重に、1番安いボトルを提案した。
少しだけ、厄介かもしれない。
私には優しいが、酔うと気が大きくなるタイプだ。
そして藤村さんは閉店後、黒服からアップの声がかかるまで居座り続けた。
「よし、行こう!今日はありがとう!」
と、何度も言ったが、全く立とうとしない。
時間を惜しむように、話し続けた。
次は早めにアップをかけてもらうよう、黒服に頼まなければ。と、私は静かに学んだ。
まあ、少々面倒だが、対処できないレベルではない。
この調子だと、回数を重ねればシャンパンも入れてくれそうだった。
少しだけ疲弊したが、今後の売上を考えれば余裕で頑張れそうだ。




