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「ねえ、運命ってあると思う?」
瞳さんがLacisを去って1ヶ月。
この日常にも、もう慣れた。
寂しさは消えない。
けれど、それを感じない夜を私に与えたのはクニさんだった。
「くだらねえ。」
そう気だるそうに言うクニさんを見て、私は笑った。
クニさんはいい。
何も隠さなくていいから。
何も話さなくてもいいから。
わざとらしい甘える仕草も、いつからか癖になった。
クニさんは避けるわけでもなく、答えるわけでもない。
「私とクニさんが出会ったのも、運命かもよ?」
「とんだ悲運だな。」
そう左頬だけを上げて笑う顔も、もう見慣れた。
借金を完済するまで、私たちの関係は終わらない。
クニさんが私を逃すこともなければ、私が逃げることもないからだ。
けれどこの歪な関わりが、奇しくも私の心を安定させている。
「もしさ、やり直せるなら何歳に戻る?」
クニさんにふと、問いかけた。
現実ではあり得ない、馬鹿げた話。
「戻ったところで、変わんねえよ。どうせ俺はこうなる。」
予想に反した答えだった。
また“ありえねえ”や“くだらねえ”と流されると思っていたのに、クニさんは全てを諦めたような顔でそう放った。
「幼少期に戻ったとしても?」
「…そうだな。結局、同じだろうな。それか…」
クニさんは言葉の途中で口を閉じた。
「…それか?」
しばらく待っても続かない言葉に、痺れを切らした。
クニさんは鼻で笑っただけで、そのあとも何も答えなかった。
「でも、いいじゃん。クニさんはさ、なんかかっこいいよ。堂々と生きてて。」
1人でどこでも生きていけそうなクニさんは、私から見ればなんだか羨ましかった。
自立していて、強くて、怯えることもない。
クニさんは私の言葉が聞こえていなかったかのように、またタバコを吸った。
「お前は、この街に来る前に戻りたいのか?」
「うーん。でも、この街に来なければ出会えなかった人も多いからなあ…」
馬鹿げた話だと切り捨てずに、少しだけ真面目に考えてみた。
できることならば、もちろん借金がなかった綺麗な私に戻りたい。
けれど、そうすると瞳さんやアイちゃんと出会うこともなかった。
ここに来なければ、私はピアニストになっていた?
まあ、なっていただろう。
それは、果たして幸せなことだろうか。
その別世界の私は、愛を知ることができた?
偏見にまみれた価値観を持って、当たり前のように綺麗なことだけ好んで、それはそれは狭い世界だったのではないだろうか。
「俺と関わることはなかっただろうな。」
左頬だけを上げていたずらに笑うクニさんを見た。
「ねえ、クニさんって私のことどう思ってる?」
「あ?金だよ。」
迷うことなくそう応えたクニさんに、笑いが溢れた。
そりゃそうだろう。
私はなぜそんな質問をしたのだろうか。
でも、なんだかこの距離感がやはり心地いい。
「俺には守るもんも捨てるもんもねえ。だから、お前の目には強く映るのかもな。」
先ほどの言葉は、やはりクニさんの耳に届いていたようだった。
人は、守るものがあるから強いのだろう。
そう思っていた私は、クニさんの言葉が理解できなかった。
「ふ〜ん。」
そう曖昧に相槌を打った私の目を、クニさんの鋭い瞳が捉えた。
見透かされているような、そんな気分。
いつからか私は、このクニさんの瞳が怖くなくなった。
そう。私は今のあなたの言葉を理解していない。でも、流れを崩さないように相槌を打っているの。
そう、心でつぶやきながら微笑んだ。
しばらく私の目を見ていたクニさんは、呆れたように笑ってまた目を逸らした。
そんなクニさんを見て、私はまた笑いが溢れた。




