27
しばらくして目を開けた私は、ドレス姿のまま店のソファに横たわっていた。
辺りを見渡すと、そこにはタバコを吸う瞳さんが座っていた。
「あ、起きた?凛、今日は本当にありがとうね。」
そう微笑む瞳さんを見て、目をこすりながら姿勢を正した。
「瞳さん…本当に美しかったです。今までありがとうございました。」
深々とお辞儀をする私の頭を、瞳さんが優しく撫でる。
「辞めるってなると、なんだかんだ寂しいな〜。もうこんな歳なのにね。今日、凛のおかげでお客さんもみんな笑って帰ってくれた。私、幸せ者だわ!」
瞳さんの言葉に、本当に終わってしまったのだと実感させられる。
これが、瞳さんの生き方なのだ。
自分で選択し、新しい道に進むその顔は澄んでいた。
「綺麗な、終止符でした。瞳さんらしい。私もあとに続きたいですね。…いつか。」
いつになるかわからない自分の終止符を思うと、闇の中に1人取り残された気分になる。
喜ばしいことなのに、まだまだ自分の弱さが憎い。
「凛はまだ、きっとこの街に残らないといけないんだよね?でもね、ここもいいところよ。わかってると思うけどクニさんだって、怖い人だけど悪じゃない。今日、この人凛を守ってるんだなって分かっちゃった。」
瞳さんの言葉に、私は笑った。
瞳さんは、きっと悟っている。
借金があることも、私とクニさんが金だけの関係ではないことも。
「アイのことだけど、凛のおかげでわだかまりが解けた。話すと長いけどね、聞く?」
私は静かに頷いた。
きっと、この話の中に皆が知るサキさんがいる。
会ったことのない。恐らくもう会えない人。
「アイと初めて会ったのは、もう20年くらい前かな。サキちゃんの店で働いてて、でもノンケだった。まあ、サキちゃんが無理言って働かされてたんだと思う。ほら、あいつ、綺麗な顔でしょ?」
そう言って遠い目をして笑う瞳さんを何も言わずに見ていた。
瞳さん曰く、アイちゃんはサキさんと家が近く、仕事終わりによく3人でご飯を食べたと言う。
そのうち、3人でいることが当たり前になった。
きっと、瞳さんにとっての家族のような存在だったのだろう。
知らず知らずのうちに、瞳さんはサキさんに家族以上の愛を求めた。
「でもさ、わかるんだよね。好きな人の好きな人って。私が見つめる先のサキちゃんは、いつもアイを見ていたから。」
そう、瞳さんは少し悲しそうに笑う。
「私はまだ若かったから、アイのこと大っ嫌いになったよ。口も聞かなかった。サキちゃんはアイにそんな態度を取る私を怒った。だから、離れたの。私は、ここには必要ないって思ったから。」
そのあと、自分の意思でLacisの門を叩いた瞳さんは、性を売るこの仕事に嫌悪したと言う。
体を触ってくる鼻の下が伸びた客をビンタしたり、金をちらつかせてホテルに誘う客の胸ぐらを掴んだ。
酔い潰れて黒服を殴ったこともあるそうだ。
その度に、どこからか聞きつけたサキさんが謝りに来て、一緒に家に帰った。
結局家がない瞳さんの帰る場所は、サキさんの家しかなかったのだ。
「でも、なんだかんだサキちゃんが迎えに来てくれるのは嬉しかったんだよね〜。たまにアイが来て嫌だったけど。」
そう言って瞳さんは、げんなりした顔を見せた。
そして悟ったそうだ。
学も金も身寄りもない私が生きていくには、この世界しかないのだと。
そこから必死に働き、たまに問題を起こしてはサキさんを待ち、ついに貯まったお金で一人暮らしを始めた。
「いつまでも子守をさせてたら、サキちゃんの幸せを邪魔しちゃうから。」
そう言って、少しずつ少しずつ距離を取っていったと言う。
でもサキさんとアイちゃんの距離は一向に変わらなかった。
だから、もう会うことを完全に絶った。と。
それから間も無くして入った連絡は、サキさんの訃報だったそうだ。
サキさんは長年病気だったらしい。
そのことを誰1人にも相談せず、たった1人で旅立ってしまったのだと。
「後悔した。なんで離れたんだろうって。で、そのうち、アイはなんで気づかなかったの?アイはなんでサキちゃんを幸せにしなかったの?1番側にいたでしょ?って。全部アイのせいにしたの。未熟だよね。そうしないと、壊れそうだったんだろうね。」
瞳さんはまるで他人事のように、整理をした。
その顔からは、やり切れない思いが見える。
アイちゃんは全てをぶつけられても、ただ静かに飲み込んだそうだ。
そんなアイちゃんの態度にも腹を立てた瞳さんは、ヘアセットを変えたのはもちろん、全ての関わりを無かったことにして、他人のようにさっきまで生きてきたと言う。
「ちゃんとわかったの。アイは悪くないって。アイはノンケだし、たとえサキちゃんが生きてたとしてもサキちゃんの求める答えを出せないって。でも、腹が立ったのよ。だってそれは、私が唯一欲しいものだったから。」
瞳さんは吐いた煙を力のない目で見つめた。
そして、一度目を瞑ったあと口角を上げて切り出した。
「今日やっと、アイに謝ることができた。アイは変わんないわ。なんも言わずにただ、ニコって笑うの。あいつ、今までどんな思いで生きてきたんだろう。」
あっけらかんと笑って、空気を変えようとする瞳さんにつられて私も笑顔を作った。
「…話してみたら、いいんじゃないですか?これからは、また一緒の時間を共有できるでしょ?」
“だって、アイちゃんは生きてるんだから。”そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
瞳さんは笑って、「それもそうだわ!」と、言った。
瞳さんもアイちゃんも心に深い傷を負っているのに、私は不謹慎にもその関係性が羨ましかった。
嘘がなく、共有できる気持ちが、仲間がいることが、なんだかとても羨ましく思えたのだ。
しばらくして瞳さんと店を出ると、ビルの下でクニさんがタバコを吸っていた。
私たちに気がつき、吸っていたタバコを地面に叩きつけたあと靴で火を消す。
「邪魔したか?」
「いいえ、お互い帰るところですから。クニさん、今日はありがとうございました。」
クニさんの言葉に瞳さんがにこやかに返事をした。
「じゃあ凛、また連絡するね。」
そう言って、瞳さんは颯爽とタクシーに乗り込んだ。
見送る私をよそに、クニさんはさっさと歩き出す。
小走りで追いついた私は半歩後ろに落ち着いた。
「クニさん、この時間まで飲んでたの?」
クニさんは顔を伺うように話す私を一瞥したあと、「…まあ」とだけ、短い返事をした。
「瞳さん、綺麗だったね。あのあとアイちゃんがヘアセットしてね、もーっと綺麗になったんだよ!」
「ふっ。アイちゃんか。」
「うん!………1人になっちゃったな。」
つい、小さな声で本音が漏れ出た。
クニさんは聞こえなかったのか、いつも通りなのか、何も言わなかった。
そういえば瞳さんは、クニさんが私を守っていると言っていた。
私には、そうは思えない。
あるのは、主従関係だけ。
寂しさを紛らわせるための男を断ったところで、クニさんとの関係はまだ終わらない。
この街を出る時、やっと清算できるのだ。
そんな疎ましい存在のはずなのに、私の過去も今も全てを知っているのは、たった1人。この男だけ。
この男の前でだけ、私は丸裸なのだ。




