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74.甘え

「アリサ、夕飯持ってきた。調子はどうだ?」

「熱は上がり切っていると思う」


 町医者が帰ってから数時間後、夕飯時にやってきたのはカイトだった。感染を防ぐために看病人をカイトに絞ったらしい。


「汗はかいたか?」

「少し」

「分かった。ご飯の後に清潔なものに取り換えよう」

「うん」

「夕飯ここに置いておく。俺は飲み水とこれ交換してくるから」

「ありがとう」


 ベッド脇のサイドテーブルに食事が置かれ、代わりに置いてあった飲み水と経口補水液をカイトが持って行った。

 夕飯はチキンスープに細かい野菜と柔らかく煮たマカロニが入ったいかにも病人食といった感じだった。不味くはなかったけれど、やっぱりお粥とかうどんが恋しくなってしまう。どうやら私は心身が疲弊した時に故郷の味を思い出す傾向にあるらしい。

 しかし食べないといけないことは分かっているのだが、如何せんのどの痛みが尋常じゃない。唾でさえ呑み込むのが億劫なのに、固形物なんてもっての他だった。どんなによく噛んでも痛いものは痛い。これは例えお粥やうどんを出されていても結局喉を通らなかったに違いない。私は少し食べたところで食事を諦めた。


「もう食べられそうにない?」

「うん、ごめん」

「食欲が湧かないか?」

「それもあるけど、喉が痛くて唾を呑み込むのも辛くて」


 戻ってきたカイトはほとんど残っている食事を見て心配しているが、無理に食べさせるのも良くないと思ったのかそれ以上は何も言わなかった。


「…分かった。宿の侍女にベッドメイキングと着替えを頼んであるからもう少し待っていてくれ。俺は夕飯を下げてくる」

「ごめんね、ありがとう」


 カイトが出て行ってすぐに侍女さんがやってきた。魔法でベッドメイキングをしている間、私は濡れタオルで身体を拭いてもらう。浄化魔法で身体を綺麗にしようとしたら風邪の時は魔力の消費を極力抑えてくださいと怒られたのだ。

 一通り終わったのでまたベッドに潜り込んだ。熱が上がり切っているので今度は身体の倦怠感が凄かった。頭も痛くてボーっとしている。

 その時、またコンコンと扉をノックされた。返事をするとカイトだった。


「ごめん、寝ていた?」

「ううん、大丈夫」

「これ少しでも飲めると良いんだが」

「紅茶?」

「ハニージンジャーレモンティー」


 喉に良いものを詰め込んだ飲み物だ。喉が痛いと言ったから持ってきてくれたのだろう。


「ありがとう、いただきます」


 私が受け取るとカイトは少し安堵したようだった。

 紅茶はぬるめで、痛む喉にちょうど良い。


「明日の朝、食べられそうなものはあるか?」

「うーん、じゃあヨーグルト」

「あと1つ」

「ええ?あっ、じゃあ擦りリンゴが食べたい」


 実は小学校に上がるまでは病気しがちで、月に1回は風邪を引いていた。その時に母が必ず擦りリンゴを食べさせてくれたのだ。


「分かった。用意する」

「色々面倒かけて本当ごめんね」

「気にすることじゃない。1番辛いのはアリサだろう」

「…ありがとう」


(あーもう、さっきから色々弱った心にダイレクトにくるなぁ)


 恋心を自覚してしまった分、そういうカイトの細かな心遣いや言葉の1つ1つが心に響いてくるから困る。

 私が紅茶を飲み終わると、カイトは額に手を当てて熱を確認した。途端にまた眉尻が下がる。


「やっぱり熱いな。多分今日と明日が1番キツいと思う。夜にも何回か見に来るけど、真向いが俺の部屋だから、何かあったらすぐに起こして」

「見に来なくて良いよ、カイトも夜はちゃんと寝て」

「病人は看病されるのが仕事。それに俺だって合間には寝るから」

「でも」

「はい、アリサはさっさと横になって寝る」


 半ば強引に話を切り上げられ、私はなす術もなく横になる。カイトは布団をかけ、固く絞った濡れタオルを額に乗せると、何故かそのまま私の頬を軽く触ってきた。


「お休み」

「お、お休みなさい」


 満足したように手を離すとカイトはそのまま部屋を出て行った。


(あれお休みの挨拶なの!?)


 別の意味で体温が上がってしまった。



 カイトは本当に夜に何回か様子を見に来た。宿の侍女さんが営業時間外なので代わりにベッドメイキングをしたり、飲み水や額の濡れタオルの交換をしてくれた。流石に着替えはカイトが部屋にいない時に自分でやった。

 結局夜は症状が辛くて、寝てもすぐに起きてしまったのであまり寝た気はしなかった。それでも朝になると少しだけ熱は下がっていた。


「少しは寝られたか?」

「んー、寝て起きての繰り返しかな」

「日中の時間帯に少しでも寝られたら良いんだが」

「そうね」


 夕方からきっとまた熱が上がってくるからだ。

 朝食はリクエスト通りヨーグルトと擦りリンゴが出た。私はそれらを頑張って飲み下した。その後もカイトは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、ご飯はポタージュなどの流動食で栄養と喉越しに気を使ってくれていた。私はカイトの言う通り日中は少しだけまとまった睡眠が取れたように思う。

 そしてまた夕方頃から熱が上がってきた。多分昨日と同じくらい発熱している。分かっていたことだけれど本当に嫌になってしまう。昨夜と同様に寝られないのかと思うと気持ちが沈んでいる自分がいた。


(治らなかったらどうしよう?)


 馬鹿げた想像だ。よほど免疫力の低い人でない限り風邪は治る。そんなこと大人になった今なら分かりきっていることである。でも子供の頃はよく風邪を引いて、その度にもう治らないんじゃないかと弱気になって泣いては母に慰めてもらっていた。大人になってからは流石に泣きはしないけれど、病気に屈して弱気になる時がある。だから風邪は嫌いだし、なるべく引かないように注意しているのにそれでも時折引いてしまうから猶更嫌いだ。


「どうかした?」

「ん、何でもないよ」


 真夜中、ちょうど弱気になっているタイミングでカイトが来てしまった。しかも目敏く声をかけてくるものだから私は内心吃驚した。

 カイトは気のせいとでも思ったのか、いつものように身の回りのことをしてくれ、私は私で寝間着を着替えた。

 その時ふとエリスさんの言葉が脳裏によぎる。


『風邪の時くらい甘えたら良いんです』


 それは悪魔の囁きのような甘い誘惑だ。


(何考えているんだか)


 すぐにそれを打ち消す。もう十分すぎるほどお世話になって甘えているのに、これ以上何を望むというのだ。

 しかし、弱った心に付け入る甘言は抗いがたいほどに魅惑的だった。

 私はこの時、熱で浮かされ正常な思考や判断ができなくなっていた。そう、まさにそうとしか言いようがない。普段ならそんなこと絶対にしないからだ。

 ベッドに潜り込んで横になり、カイトが部屋を出ようと踵を返した時だった。


「ごめんカイト」

「ん?どうした?」

「少しだけ手を握っていてくれない?」


 カイトは嫌な顔1つせず、手近にあった椅子を引き寄せて座り、布団から出ていた私の手を取ると両手で握った。


「指の先まで熱いな」

「カイトはさっき水の中に手を入れていたから冷たいね。でもひんやりして気持ち良い」


 私がそう言うとカイトは片手を私の頬にくっつけてきた。


「冷たい?」

「うん、気持ち良い」

「…辛いよな。今晩過ぎたら少しは楽になるはずだから、もう少しの辛抱だ」

「うん」


 カイトは底なしに優しい。未だに激しい身体の倦怠感や頭痛、鼻水など風邪の諸症状は何1つ治まっていないが、慮ってかけられた言葉で弱気になっていた心はどこかへ吹き飛んで行った。


「ありがとう、元気出た」

「そうか、良かった」

「もう大丈夫だよ」

「いや、もう少しだけこうしている」

「…ありがと」


 私は幼子のように酷く安心して、それまで全然寝れなかったのにカイトに手を繋がれたままいつの間にか眠りについていた。

 次に目が覚めた時、己のやった所業を思い出して激しく後悔したことは言うまでもない。



 その後、風邪は徐々に快方に向かい、きっかり7日間で離床した。


「ご迷惑とご心配をおかけしました」


 私は皆に頭を下げる。


「ご無事で何よりです」

「治って良かったな」

「大変だったでしょう」

「無理は禁物ですよ、ぶり返すといけないですから」


 皆私の身を案じる言葉をかけてくれた。


「カイトも本当にありがとう。風邪移らなくて良かった」

「どういたしまして。元気になって良かったよ」


 カイトが朗らかに笑う。あの夜のことなど全く意に介していないようでほっとした。


「知らない世界で病気になるって心細いよな。辛かっただろう」

「…カイトがつきっきりで面倒見てくれたからそんなことなかったよ」


 前言撤回。ばっちり覚えられていて私は心の中で悶絶するのだった。

次回は明日の12時台に投稿予定です。

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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。

※WEB小説独特の改行に悪戦苦闘中です。試行錯誤しながら編集しております。ご容赦くださいませ。


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