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55.日本人の魂

 心臓は早鐘を打っていた。私の理性は吹っ飛び、フラフラと従業員専用の部屋のドアを潜る。完全に不審者だったが、関係ないと私の本能が叫んだ。衝立から中を覗くとそこにはオーナーさん、オーナーの奥さん、そしてその息子と思しき人が3人夕飯を食べている。食事中であるにも関わらず、私は何かに取りつかれたかのように部屋内に入り込む。その食卓の汁物を見て、私の疑念が確信へと変わった。


「お、お味噌汁…」

「お嬢さん、味噌汁を知っているのか?」


 オーナーさんが吃驚したように訊ねてくる。


「私の故郷の食べ物です」

「まさか、異世界人?」


 私はコクコクと頷いた。


「なんてことだ。そうか、だから黒髪なのか。私の祖父も黒髪だったんだ、遺伝はしなかったがね。いやそんな話はどうでも良い。オリヴィア、味噌汁をついでやってくれ」


 オーナーさん一家は食事中にも関わらずとても優しかった。完全に不審者である私を咎めることなく、奥さんのオリヴィアさんは急いで私に味噌汁を渡してくれた。野菜具だくさんのお味噌汁だ。お椀ではなくスープカップで渡されたのがちぐはぐに見えたが、そんなことはどうだって良かった。


「良いんですか?」

「祖父の遺言でね。異世界人が訊ねてきたら振る舞ってやれと言われている」

「い、頂きます」


 私は恐る恐る口にした。


(み、味噌汁だ…)


 だしが一般的な味噌汁とは少し違う。この世界では昆布とかつお節のだしは難しかったのだろう。代わりに別の魚のだしの味がする。煮干しとかだろうか?それでもこれはまごうことなき味噌汁だった。

 俄かに鼻の奥がつんとしたと思ったら泣いていた。味噌汁を飲んで泣くなんて馬鹿げていると思ったが、私はそれくらい和食に飢えていたのだ。


(もう飲めないと思っていた)


 今日のお昼ご飯を終えてから和食の希望は潰えていた。諦めていた矢先の僥倖だったのである。


「美味しいかい?」

「はい、もう飲めないと思っていたので、凄く美味しいです」

「そうか。やはり和食はニホンジンの魂なんだな」

「そうですね。こちらの世界の料理も美味しいのですが、和食は何だかほっとします」


 私は涙を拭った。


「お祖父さんは味噌の作り方をご存じだったのですか?」


 手前味噌という言葉があるように昔は味噌は各家庭で手作りされていた。江戸時代後期の人なら作れるのかもしれない。他にも醤油やどぶろくのようなお酒は各家庭でも作られていたと何かで読んだことがある気がする。


「元の世界では醸造業を営んでいたらしくてね、一般人よりも詳しかったはずだ」

「醸造業!ということは、もしかして他のものも?」

「ああ、味噌の他にも醤油、日本酒、焼酎、食酢を残していったよ。ミリンとやらはモチゴメがないから作れなかったと言っていた」

「凄い!」


 こんな奇跡が起こるとは夢にも思わなかった。


「もしよろしければ、作り方など教えていただくことはできませんか?」

「ご飯を食べてからで良ければ構わないよ」

「そうですよね、突然お邪魔してすみません…」


 急に不躾だったことが恥ずかしくなった。

 私はお味噌汁を飲みながら改めてオーナーさん一家を見る。オーナーさんは30過ぎくらいの見た目で長身、やや骨ばっているが人柄が良さそうな顔つきをしており、バンダナがトレードマークだ。瞳は南の島の海くらい真っ青で美しい色をしている。とても日本人の血が混ざっているようには見えない。奥さんのオリヴィアさんは同じく30過ぎくらい、明るい茶色の髪は緩くウェーブがかかっており、長い髪を後ろで1つに束ねていた。少しふくよかでオーナーさんと同じように人の良い顔をしている。息子さんは30手前くらいに見え、お父さんから瞳の色と長身を、お母さんからは髪を受け継いでいて親子なのだと分かる。大きな丸眼鏡が特徴的だ。髪はお母さんと同じような髪型をしていた。両親が人が好さそうな分、息子はしっかりした顔つきをしているように見える。


(こっちの人たちの成長曲線が分からないわ)


 オーナーさん夫婦と息子さんの見た目の年齢が少ししか変わらなかった。人によって老け顔、童顔などあればもしかしたら両親よりも老けて見えることもあるのではないだろうか。


「お嬢さんお名前は?」

「アリサです」

「アリサちゃんか、自分で何か作ってみたりは?」


 オーナーさんがご飯を食べながら訊ねてきた。


「お恥ずかしい話ですが、私は調味料の作り方を知らないのです」


 時代が進んで各家庭で作るのではなく、購入することが当たり前になったことを説明した。


「そうだったのか。じゃあ味噌汁も本当に久しぶりだったんだな」

「はい」


 私が泣いて喜んだ理由が分かってもらえたみたいだった。


「うちので良ければいくつか持って行くと良いわ」

「よろしいんですか?」

「また仕込めば良いだけよ」

「ありがとうございます」


 奥さんが嬉しい提案をしてきてくれた。


「それより作り方を知りたいってことは自分で仕込むつもりなんだろうから、種麹と大豆も持たせた方が良いんじゃない?」

「ああ、そうだなライアン」


 息子のライアンさんも話に加わって何だかトントン拍子に話が進んでいく。

 3人のご飯が終わるとそこそこ良い時間になっていた。どのみち海はかなり荒れていて明日も帰れそうになかったので、明日の日中に教えてもらうことにした。調味料一式と大豆と種麹というものは私がこの島を出る時に渡してくれることになった。



 翌日、指定の時間に食堂裏口前に行くとライアンさんが待っていた。


「親父もお袋も忙しいから僕が案内するよ」

「お忙しい時にすみません」


 全く恐縮である。


「いや、僕は手が空いているから大丈夫。傘持ってる?」

「いえ」

「まぁ大した距離じゃないから」


 そう言ってライアンさんは食堂裏口に立てかけてあった傘を1本取ると外に出た。


「さぁ入って」

「え?」


 裏口には傘が2本立てかけてあったので1本貸してくれれば良いのにと思ってしまったが、まぁ大した距離じゃないなら良いだろうと考え直し、私はライアンさんに肩を抱かれながら歩いた。結論から言うとかなりの暴風雨で傘はあまり役に立たず、2人とも結構濡れてしまった。これなら走った方がマシだった気がする。

 ペンションの裏手には倉庫のようなものが建っていた。そこに連れ立って入る。どうやら中は蔵のようで、いくつか樽が置いてあった。


「じゃあ早速1つずつ説明していくね」


 そう言ってライアンさんは説明を始める。まず米麹について教えてくれた。これはどの調味料にも必要になってくるとても重要な材料のようで、麴菌によって発酵を手助けしてくれるものだ。米麹を作るには種麹と呼ばれる麹菌を繁殖・増殖させた素の材料が必要らしい。


「この種麴だけは秘伝というか、作るのが難しいから、なくなったらまたうちに来ると良いよ」


 雑菌が混ざると身体に有毒なものを摂取することにもなりかねないため、種麹を作るのは非常にデリケートな作業なのだという。

 その種麹を蒸したお米に混ぜ合わせて発酵させることで米麹が出来上がるとのことだ。


「味噌は簡単に説明すると茹でた大豆に米麹と塩を混ぜて発酵させるとできる。今日教える調味料の中では一番簡単だよ」


 工程は簡単かもしれないが熟成におよそ3‐6か月はかかるらしい。

 醤油は茹でた大豆、炒った小麦と種麹を混ぜて発酵させる。それに塩水を加えたものを諸味と言い、さらに熟成、発酵させる。半年ほどの熟成を経て濾過し火入れをしたら完成だ。


「本土には大豆がないみたいだね」

「え?そうなんですか?」


 確かに言われてみれば他の豆はよく食べるが、枝豆も大豆も食べていないかもしれない。


「気付かなかった?」


 ライアンさんはクスクス笑った。


「はい。言われてみればお見かけしていないかもしれません」

「曾お爺ちゃんは本土にいた頃、ひよこ豆から味噌を造り、そら豆から醤油を作っていたらしい」


 大豆以外でも代用可能なのか。奥が深い。


「あれ?じゃあ昨日の味噌汁は?」

「大豆だよ。曾お爺ちゃんが旅行で偶々この島に来た時に自生している大豆を見つけて、以降ここに住み続けたんだって」

「なるほど」

「大豆も分けてあげるけど、足りなくなったらひよこ豆とそら豆を代用して作ってみると良いよ」

「分かりました、ありがとうございます」


 ここに大豆があったから生涯南の島で暮らしていたのかと納得した。

次回は明日の12時台に投稿予定です。

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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。

※WEB小説独特の改行に悪戦苦闘中です。試行錯誤しながら編集しております。ご容赦くださいませ。


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