第二章『散策』Ⅵ
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今日で連続投稿五日目となります。
「やめてッ――!!」
ネーヴェの叫びが、眠りの底に沈んでいたリィンの意識奥底に響き渡る。
いつも穏やかな筈のネーヴェの心が酷く揺れ動くのを、悲痛な叫び声を上げ泣いているのを感じる。
泣いて、いる――
ネーヴェ、が――?
そう、理解した瞬間。
眠りの底に沈んでいた意識は一瞬にて現実へと引き戻され覚醒――。
碧の瞳を見開き、ネーヴェをその目に捉えてリィンは目を、見張った。
腕を、ネーヴェの側にいる人物が腕を振り上げ、勢い良く振り下ろそうとしている。
誰に――?
一体“誰に”その腕を振り下ろそうとしている――?
音が掻き消える。
腕を振り下ろそうとしている人物の側にいるネーヴェに視線を向け
ダメダ――。
ダメダ、ダメダ、ダメダ――!
ネーヴェを傷付けるなんて、絶対にダメダッ――!!
思考が、一色に染まる。
身体を跳ね上げ、出せる最大の速度で瞬時にネーヴェの元まで駆け走る。
低い書架の上に置かれていた本達が突如、通り過ぎる身を切り裂くような風でページを一斉に音を立てて捲っていく。
恐らく、常人の目にはリィンの姿が掻き消えたかのように映ったことだろう。
目では追えない速さでネーヴェの元へ駆け走るリィン。
すれ違いざま、側で振り下ろされる腕――。
それを駆け走る速度のままネーヴェの身体を抱き寄せ、少しずれた場所にて回転。
腕が振り下ろされるであろう場所へ身体を、視線を、その場へと向け見ると不意に――
“青い瞳”と視線が、ぶつかった――。
酷く、世界が緩やかに流れる感覚。
振り上げられた腕はネーヴェにではなく、知らない誰かへと向かい振り下ろされていって――。
徐々に、徐々に、青い瞳の人物へ近づいていく。
それをリィンはただ呆然と緩やかに時間が流れる世界の中息を呑み、青い瞳を見詰めていた。
綺麗な、今までに見たことの無い、何処までも透き通った《魔素》を凝縮したようなその青い瞳を――。
ただただ魅入って、見詰めていた――。
「ッ――!!」
逸らされ、閉じられる青い瞳。
緩やかに感じられた世界は突如正常な動きを取り戻し、勢いよく振り下ろされた腕が青い瞳の人物の頬目掛け迫る。
吸い寄せられるかのよう迫る手の平に――
(しまッ――)
反応に遅れ胸中で言葉を漏らすリィン。
ネーヴェに、ではなかった――。
振り下ろされた手の平はネーヴェではない別の人物に振り下ろされて。
青い瞳の人物に迫る手の平を目の当たりに見て、リィンは後悔した。
この人は、避ける気がない――
あの手の平を、暴力を、受け入れる気だ――と。
直後。
酷く乾いた、肌を打つ音がやけに、リィンの耳に響いた――。
「やめてッ!! その人に酷いことをしないでッ!!」
「答えなさいッ! 此処へ何をしに来たのですッ!!」
重ねるよう叫ぶ、ネーヴェとシスターケイト。
黄昏色に染まる世界の中で二人の叫びが響く。
「何とか言いなさいッ――!!」
憤怒の形相で青い瞳の人物に腕を伸ばし掴みかかろうとするシスターケイトと、それをリィンの腕の中から抜け出し二人の間に割って入り必死に止めるネーヴェの姿。
これ程心乱すネーヴェを見たことなど、遠いあの日の一度きりで――。
眠りに落ちる前まで、酷く優しげに自分達に接していたシスターの面影は今は無く。ただただその顔に憎しみの色を乗せ叫んでいる。
一体、何がどうなっているんだ――
混迷する思考と、眼前に広がる現状にどう行動すべきか、困惑するリィン。
何がこの三人にあったかは分からない。
だがまず、シスターケイトを止め落ち着かせなければ、聞ける話も恐らく聞くことが叶わない。
そう思い掴みかかるシスターケイトと、青い瞳の人物の間にネーヴェと同じよう割って入り止めに掛かるリィン。
「シスター! 何があったか分からないけど一旦落ち着いてッ!」
叫び、シスターケイトへと落ち着くよう促す。
しかし――
「どいて頂戴お二人共ッ――!!」
聞く耳を持たず、更に掴み掛ろうと腕を伸ばすシスターケイト。
どうする?
一旦気を失って貰うか?
思考の片隅で、シスターケイトを落ち着かせる為の強行手段を思索しつつ目を細める。
このままじゃ、埒が明かない――
シスターケイトとの物理的押し問答に対し、一時的処置を考えるリィン。そしてそれを実行に移そうと、拳を握り――
「……申し訳ございません。少し、折悪かったようですね――。日を改めまた、参らせていただきます店主様――」
酷く凪いだ静かな声に、打ち込もうとした拳がぴたり、と止まった――。
青い瞳の人物を首を反らし覗き見る。
まるで、何事も無かったかのよう言葉を紡ぎ、退出の挨拶をする青い瞳の人物。
さらりと漆黒の髪が揺れ動く。
打たれた、陶器のような白い肌はこの人物が人であることを物語るよう痛々しく赤く染まり、その薄い形の良い唇の端には血が滲んでいるのが見える。
静かに、視線をリィンへと向ける青い瞳の人物。
「御二方も、お騒がせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした――」
彼はそう謝意の言葉を紡ぐと、綺麗な所作にて頭を垂れる。
その姿に、表情に。胸がズキリと痛むリィン。
頬を打たれた筈のこの青い瞳の人物は、シスターケイトを怒るでも、傷を痛がるでもなくまるで、他人事かのように自身の傷を気にも止めず、感情をどこかに無くしてきたような表情にて謝意を述べてきた。
そんな彼に、胸が、酷く痛んだ――。
本当に、この三人に何があったのかリィンには分からない。
全く、分からない――が……
「どうしてそんな」
「ケイトちゃん――!」
紡ごうとした言葉が、メグの発した言葉によって遮られる。
足の悪い老店主のメグが、店先で起こる騒動に足に鞭打ち、シスターケイトへと近付き言葉を発し止めに入る。
小さな身体でシスターケイトを優しく包み込むかのように抱くメグ。
大丈夫。大丈夫だから――と。優しく声を掛けながら辛抱強くとん、とん――と背を優しく叩いて同じことを繰り返す。
「……では、失礼致します」
静かに、胸に手を当て会釈をして退出する青い瞳の人物。
黒衣の裾が翻る――。
その背には、神の青い焔を模した模様が背に浮く十字の象徴――《神焔教会》信徒の証。
(この人も、教会関係者――)
少しずつ、リィン達から離れ遠ざかるその背。
本音を言えばあの背を追い掛けたい。今すぐにでも追い掛けて、打たれた頬の怪我をちゃんと治療して言葉を掛けたい。
でも――
「待ちなさいッ! この悪魔ッ――!!」
冷静さを失い半狂乱状態に陥り叫ぶこのシスターを、このままにして置くことも出来ない。
何より、自分と同じ碧の瞳に零れんばかりの涙を湛え、シスターケイトに寄り添うことを選んだネーヴェを置いて、あの背を追うことなど出来なかった――。
遠ざかる青い瞳の人物の背に呪詛を吐き、嗚咽を漏らしシスターケイトが地面へと崩折れる。
傾く日に照らされ、赤く黄昏色に染まる地面――。
涙の雫が黄昏に包まれる地に零れ落ち、静かに広がっていく。
「メグおバアちゃん……」
力無く地に座り込むシスターケイトの背を、優しく擦る老店主のメグへ言葉を掛ける。
もう、青い瞳の人物は古書店のあるこの噴水広場からは見えなくなった。
シスターケイトも少しずつだが落ち着きを取り戻して来ている。
今なら何か知っていそうなこの老店主に話を聞くことが可能だろうか。そう思い、言葉を掛けたのだが――
「可愛らしいお客様方――。今日はもう、お帰りなさいな。ケイトちゃんのことは、お婆ちゃんがちゃあんと面倒を見ますから――」
空に視線を向け、静かに語り掛けてくるメグ。
《霧》が出て来る正確な時間が分からずとも、もう直《霧刻》が迫ってきていることの分かる空模様に、気遣っての言葉だと分かった。
店奥に視線を向けてみる。
横になり休んだことで体調が大分良くなったのだろう。先程までの騒動で目が覚めただろうと思われるシエルが、心配そうに上体を起こしこちらを見詰めている。
(エルも起きたし、確かにそろそろ戻らないと。それに――)
ちらり、とメグと共にシスターケイトの背を優しく擦るネーヴェをのぞき見る。
酷く暗い表情には少しの疲労と、先程までいた青い瞳の人物を憂う色。
シスターケイトを心配してもいるだろう。だがそれよりも、今はもう此処には居ないあの人物を想い心を痛めている。
今までにもネーヴェが誰かの為に心を痛めていたことなど、それこそ数え切れない程あった。
しかし、今回は今までとどこか違う。
速く《止まり木》へと戻り、ネーヴェをゆっくりと休ませたほうがいいだろう。ここを借りることも出来るだろうが、今はシスターケイトと同じ空間に居させるべきではない。
そっとネーヴェの肩に手を添え、言葉を掛ける。
「……戻ろう、ネーヴェ。戻って、今日はもう休もう――」
「………………」
少しした後、小さく頷くネーヴェ。
その身体を静かに立たせ、ゆっくりと横抱きに抱え上げ――。素直に腕の中におさまるネーヴェを見てリィンはその後、メグへ頭を下げ挨拶をした。
「メグおバアちゃん。今日は休ませてくれて、どうもありがとうございました。また来ます。それじゃあ行こっか、エル――」
店奥で身支度を終えていたシエルへと言葉を掛け。黄昏色に染まる世界の中、しっかりとネーヴェを抱きリィンは、静かに古書店を二人と共に後にした――。
お読みいただきありがとうございました!




