西暦2022/1/1(土)
妻と、初詣に行った。
かの有名な、日本人なら大体が知ってるであろう神社だ。
敢えてその場所は語らないことにする。それは意味のないことだから。
鳥居の前でお辞儀をしてからくぐって、二礼二拍手。
心静かに、去年の礼と今年の目標を報告し、一礼。
これは自分がどんな状況でも自分が自分である為に欠かすつもりはない。
「んじゃなにたべよっか。」
妻はのんきにじゃがバターの屋台の方へ走っていった。
もうお金には不自由のない生活をしているのに、何故ここで食べる必要が?と問うと
こういう場所でこういう素朴なものを食べることに意味があるんだよ!と強めに返された。
その時のその行動と言動にハッとした。
記憶ならおおよそ失わないだろう領域に保管できるというのに、こうして日記というものを
キーボードで打って誰に読まれるでもないこの「小説家になろう」に記録を残すことに
いったい何の意味が有るだろう?
・・・という思いで筆を執ることを怠ってきたわけだが、その妻の発言に胸を打たれた。
人には今しか無いのだ。
過去に行ったこともこれから来る未来も実は存在しない。
今その瞬間に思考して、行動を起こすことにあらゆる意味が生まれる。
過去にマザーテレサはこういった。
『過去は過ぎ去りました。
未来はまだ来ません。
私たちには今しかない。
さあ、始めましょう。』
と。
この人はきっと、真実に触れた人の一人なんだと思う。
これは物理学的な見地でも同じことが言える。
蓋のついた箱にボールを入れて、蓋を閉めた瞬間、その箱の中にボールがあるという確率は
人の記憶の中でしかなくなり、可能性は量子の性質上でも100%ではなくなる。
哲学と物理学は考えの辿り方に違いがあるものの、結論、つまり真実は一緒なのだ。
世界5分前仮説という説でも分かる。
今まで何年も生きた記憶があるが、本当にその時間の長さを生きたのかは疑わしい。
なぜなら、この世界は曖昧な記憶付きで5分前にできた世界だったとしたら?
まさに、あらゆる事象には、今しか無いのだ。
時間なんてものはただの人が分からぬことから逃れる為に作った指標だ。
実際は存在しない。
・・・と、何年か前の俺にはこんな思考に至ることはなかったことだろう。
そんな心情になったのはちょうど一年前くらい、2020年に日帰りで行った惑星オラムと、惑星二ビルに訪れてからだ。
それまでの世界観とまるで違う。
それでも、初詣には行った方がいいとロス平はペリロイドの姿にもかかわらず神妙な面持ちで語った。
神社には先祖が祀られているが、人が何かに祈りをささげることには意味が有るのだと言う。
そして神社に祀られた日本神話の「神々」は存在を認識することは出来ないものの、
今も実在していて我々の様子を見ていると。
人が祈るのは、潜在的にそれを認識しているからだと。
その神々が、運命を左右するキーだ。
「はあ、おいしい・・・」
白い息とともに幸せそうな顔をしている妻の顔を見て、今朝はまだ薄明りの寒空の下だったが、
心底ほっこりした。
そんな妻が居なければ今こうして日記を書いたりはしていないだろう。
きっとこの行動には何か意味が有る、そういうある種スピリチュアルな感覚で今これを記録に残している。
この世で起こる事象はまるで、ビリヤードの球。
この世の空間はその球たちが常に動き続けるビリヤード台。
当たって動いては別のボールに当たって、それが少しでも角度が違うと当たるはずのない球めがけて
また少し違う方向に飛んでいく。
その瞬間瞬間の「今」は実に掛け替えのないものだ。失いたくない。
しかし、その時は刻々と迫っている。
事は一瞬だ。そんなことをリヴァイ兵長も言ってたっけ。
「ねえねえ、ロス平。なんか面白い話してー」
「ちょっと待ってね。おもしろデータベースを検索中・・・」
屋台前のテーブルにスっと現れたロス平はこう語った。
(ちなみに他人がロス平の姿を見ても、小さくて、何やら喋る
ロボットのおもちゃとしか思われないだろう。)
「レストランで、男と女が通路を隔てたとなりのテーブルで何やら商談をする様子。」
「? うん。」
「男は『畑と申します。』と名刺を差し出した。
女は名刺を受け取ると
『ごめんなさい、“はたけ”さんでは無いんですね!』と言いました。」
「うんうん」
「男は『はい、“け”が無い方の畑です。』と言いました。」
「うん」
「・・・禿げてた。」
「くっ・・・ぎゃははは!!」
「ぷはは!」
笑った。初大笑いだ。
こんなひと時。なんて幸せなことか。
もし俺ではない別の誰かがこの日記を読むことがあるなら、幸せは今その時、
その瞬間瞬間に宿るものであって、財や安定だけではないということを知ってほしいということに尽きる。
惑星オラムと、惑星二ビルで知った真実から学んだことをここで語るには情報量が多すぎて
とても文字で表すには今の人間に理解してもらうのには時間がかかる。
「彼ら」にとっては人の今までの人生の何十年はおろか、人類史の200万年、
地球史の46億年すら一瞬の出来事。
でもここで得た幸せは今の人間の知能指数にしか味わえない。
ロス平が俺の前に現れた時に「超幸運に思え」と語った意味が今日この初詣で少しわかった気がする。
この感覚はロスにあるデータベースでは得ることが出来ない。
無数にあるパラレルワールドの中で、この初笑いが起こる可能性は奇跡としか言えない程に、低い。
ロト7で当選する確率なんかよりも、だ。
それに代わって、放っておくとあっという間に終末へ向かう可能性の方が遥かに高い。
あと20年もすれば今では想像もつかない技術がもたらされて人類史が変わるだろう。
その前にまた3.11のような大地震が起こってしまうかもしれない。
その前に第三次世界大戦が起こってしまうかもしれない。
それによって中国韓国はロシアに統合され、台湾は日本に、他のアジア諸国はインドになるかもしれない。
しかしそんなものは被災者には悪いけど、ちっぽけな事だ。
とにかくあと20年は、生き抜かねばならない。
その為に、この偶然に訪れる幸せをかみしめて生きる原動力にしてほしい。
危機意識を世界に浸透させるには準備に時間がかかる。
急に今、俺とロス平がもつ真実の情報と未知の技術を広めようとしても妄想と思われるか
証明したとしても法律は覆り、混乱を招くだけだ。
それこそ技術の取り合いで戦争も起きかねない。
まずは生きたいという原動力をもたらさなければならないのだ。
だから徐々に、そして秘密裏に準備を進める必要がある。
ちょっと喫煙所で一服して、トイレの裏にコソコソと移動。
「よし、観測量は0だ。帰ろう。」
ロス平がそういうと一瞬にして家に着く。
「んじゃまたなー!」
「行ってらっしゃい!」
「行ってらっしゃい!」
妻にしばしの別れを告げると、ロス平はお前も行くんだよと、俺を引っ張って一緒に転送した。
ここは南極、地下深くの施設「ES」だ。
休む間も無いのかとため息をつくと、
「疲れた振りするな、ペリロイドのくせに」
と心の疲れに拍車をかけてくる。
妻はこの計画を知っている。
ペリロイドの体にしておけと言うのだが、
「私はこのままでいい。死ぬときは死ぬんだよ。」と頑なに拒む。
一理ある。とにかく普通がいいそうだ。
小型のペリロイドの体は二つの惑星に連れて行こうと妻の分も時間をかけて作ったのだが
これにはロス平も予想がつかなかったようだ。
「しかしそれもまたいい考え方だ。」とロス平は言うのだが、その時はピンと来ず
納得がいかなかったものの、惑星で学んだ今となっては十分に理解できる。
彼女は今の幸せを存分に噛みしめている。それこそが大事なのだ。
安全であること、存命しつづけること、
これらは考え方によってはあまり価値のあることではないことだったりする。
惑星で、生命は死後もちょっと別の形で存続することを知った今だから分かる。
詳しくこの日記で語ろうとしても長くなるし、なにより理解しがたい内容なので割愛する。
真実を一つ語るならば、今でも伝承されている仏教の教えが一番近いということ。
あれから仏典の記述を読み漁ったが、仏典にある内容や事象は100%ではないものの、
概ね正しい。
そしてガウタマ=シッダールタは異星の者であったことだけ書き残しておく。
今日数百体のペリロイドを作った。
多方面へのエクソダス計画のために物理的な作業が毎日、絶えない。
人はいつになったら物理的な制限から解放されるのやら。
眠くなってきた。文字数的にこれくらいでいいかな。また気が向いたら起きたことを綴るとしよう。
家でこうして日記を書く至福に、感謝をしつつ、ふかふかのベッドで寝よう。
もうすぐ隣国が戦争を起こすという歴史は、口にしないまま、ただ今だけはこの幸せをかみしめたまま。




