西暦2023年6月 妻の様子がおかしい①
最近、妻が新しいパートをはじめた。
しかし様子がおかしい。
毎日元気に家事をこなしていたのにそこかしこで肩を落としていたり、洗濯機のある脱衣所で何かあった?とその肩に手を置くと「触らないで!」と強く拒んだり、そういわれて、浮気でもしてるのか?と俺がムッとしていると突然、「ねえ、みて!最近色んなところにあざが出来ててさ!なんだろうね?」と足を見せてきたり。
「急にあざが出来たりするか?」
と返すと
「よく分からないけど。でもたまーにあるんだよねー。前にもこういうことあったの知ってるでしょ?」
と自分でも分からぬような素振りをしている。
「うん。スネのとことか、昔出来てたりしてたなー。でも今回は何カ所かできてない・・・?」
昔から妻は自分の事は俺に気にさせないようにする振りをする節がある。
そして隠し事が上手い。隠し事が上手いやつは本当のことを少し、話に織り交ぜる。
「そうなんだよね。痛くないから平気だけど。」
このあざの原因はきっと、妻は知っている。長年一緒にいると声のトーンで何となくわかるのだ。
妻が後ろに振り向いたその直後、しかしそれは確信に変わった。
・・・見えてしまったのだ。
後頭部下の首に帯のようなあざがあるのを。
鏡に映らぬ首の後ろまでは、本人も気づいてないのだろう。
戦慄した。
パート先か、その内部の人間と浮気か何か、乱暴にされている何かがあるに違いない。
「麗美、お・・・」
お前、誰かに何かされてるのか?
・・・と言ったところでかえって警戒されるだけだ。
「お前おっちょこちょいだからなー!」
「うるさい!早く仕事にもどれ」
「へーい」
これは誤魔化しであって隠し事とは少し違うけれど、俺も隠し事は上手いと思っている。
でも、父が掲げていた我が小島家家訓である「自分の為だけの薄っぺらい嘘はつくな」は守っているつもりだ。
誤魔化しだって自分の為だけにしたりしない。これは俺のポリシーだ。
気にしていない素振りで、書斎に戻る。リモートワーク中だ。
妻の仕事はバッグや時計などの買取を行う業界の事務作業と聞いている。
以前、某有名なアパレルの店長の仕事をしているときや、転職してスキンケア器具の小売り店長をしている時は、もう嫌になるくらい上司の愚痴を聞かされたものだが、久々に数年置いてこのパートを始めて3か月、まるで愚痴が無いので名刺はもらっているものの、会社名すら意識していなかった。
それも怪しい点の一つだ。
昔からの友達に誘われて始めたパートだが、本当に店長とか管理職をやっていたのに今更事務なんて長続きするのか?と少し気にはなっていた。だがそれ以上は詮索しなかった。
彼女の人生の主人公は彼女であって、彼女の道を俺が指図するのは無粋というもの。
もう大人だ。自分で判断して、事が起こったら自分で責任をもって納得できる方向に歩むべき。
自分の機嫌は自分で取れるようにならなくてはならない。そう思っていた。
・・・でも、あの首のあざは放っておけない。
何か、実はそういう癖があるとかで、好きでやってるならいいのだけど明らかに元気がないのは目に見えている。例え浮気をしていても別にいい。それを本人が納得して楽しんでいるなら。そんなことはするような女じゃないと思うのだけど、人間である以上それは100%とは言えない。
でもあれは間違いなく、首輪のような・・・気味の悪いその直線帯は気づかぬうちにつくようなあざではない。
流石に危険だ。妻の危機は地球の危機より、嫌だ。
書斎でロス平がリモートワーク中のPCに映し出された会社のチャットツールのやり取りを読み漁っていた。
「こんな話題、そもそもこの会話の途中で必要か?xx社はxxをしたくてこの会話持ち掛けてるってこいつはわかってるのか?・・・ブツブツ」
と、何やら言ってる。
「人は不完全なんだよ。」
「分かってるよ。俺もこういう形だけどまだ人間やっててね。『空気を読め』とか『行間を読め』言われたらこいつは『え?空気は読むものでは無く吸うもの』とか『行間?文字なんて無い』とかそういうタイプだな。そういうのって・・・・」
「あーーーもういいから。あ、ロス平。そんなに仕事したいなら、やってみるか?言いたいことがあるほどに業務の内容把握してるようだし。このITの仕事で顧客に満足を与えられるならやってもらっていいよ。ロス平の中身は俺であって特にセキュリティ的には問題無いと思う。意識の共有もできるし。」
「・・・元々ITやってたから、こういう会話の違和感が気になるんだよな。もう言いたいことが沢山あり過ぎて。ペリロイドの構築もほぼ終わったしちょっとやってみようかな。ちょっと人知を超えた面白い会社にしてみたい。」
「・・・俺は普通がいいけど・・・まあいい。そこの関係者が全員納得してやるならな。なんか業務に進展とか予定が立ったら共有はしてね。俺ちょっと行きたいところがあって。」
「へえ。どこへ?」
「気になるならこの体に接続して、俺が見てる様子を見ながら仕事したらいいよ。できるだろ?それか、今日は俺のこの体のペリロイドを椅子に座らせてその意識はお前に渡す。うん。その方がいいな。TV会議で顔を出さないといけない時はその方が都合良いしなー。外に出る用に別のペリロイドを借りるよ。」
「いいね!退屈なんだよこの仕事。そういうのが無いと、きっと鉄平のようにゲームしながら仕事することになるだろうし。ほら、頭の回転が以前の比にならんから。」
そうして俺は、適当な服装や荷物を見繕って20代そこそこに見える若者のペリロイドに意識を同期した。
ロス平がリンクしてきた。
「この体は北陸地方に住む荒川鉄男の若かりし頃のの姿だ。今本人は55歳で小さな工場で働いてる。お前とは無縁だからよっぽど目立ったことにならないかぎり本人や知人なんかに気づかれることはないだろう。」
今現存する本人より若かりし姿のペリロイドがあるのは、いつかエクソダスする際にペリロイドは若い方がいいだろうという勝手なロス平の独断によるもので、造られているペリロイドはみんな若い。俺は反対したのだけど、何歳時点の体つきにするかはいつでも自由に数分あれば変えられるからということで、とりあえず同意している。数が多すぎるせいで後で面倒にならなければどうでもいいことだが。
「んで、どこに行くんだよ。鉄平。」
「この名刺の会社に。」
「麗美の行ってる会社に?何故?」
「んーちょっと最近様子おかしいだろ?麗美。それがさ・・・」
見たことの状況をロス平に共有した。
「そうか。。。あるね、これはなんか裏が。」
「んじゃ行ってみるわ。麗美はしばらくパート休みだし。」
怪しまれないように、そして興味本位でパテック・フィリップの時計っぽいものを持って行くことにした。もちろん偽物だ。中身の構造は把握しつつ、しかし部品の一つ一つの合金素材まで細かくは把握せず見様見真似の即席でつくってみた。かなりの高額だから、親からのもらい物ということにしよう。
見抜かれるかな?
そうして、会社の最寄り駅の、身体が不自由な方用トイレへ転移した。
もちろん誰も観測していない地点だ。転移候補はこういうトイレが一番HITしやすい。
会社についた。
株式会社イバリュエーション。
1階には店舗を出していて2階から上が会社の事務所らしい。
黒に金色の「Seulement」という文字。"セレモ"と読むらしい。お金はかかってそうだが少々ゲスい感じがする。そういう客が寄り付く、そういう業界なのかも。
とりあえずこの店舗に行ってみるか。
「いらっしゃいませ。」
品の有る店だ。既に顔を少し下に伏せて会釈する若い男。バッチリ頭は7,3分けだ。20代だろうか。
「これ売りたいんですが見てもらえますか?」
「有難うございます。・・・!どちらでこれを?まずは身分証明するものを何かお持ちですか?」
「あー、今は無いのですが売るのがダメなら査定だけお願いします。」
「かしこまりました。私、本日担当させていただく須藤と申します。こちらにおかけになって、この用紙にお名前とご住所、連絡先を記載の上お待ちください。一度お持ちの物を拝借いたします。少々お待ちください。」
手慣れた手つきで手元の白い手袋をしてそっと袋の中身を手に取って店の奥へゆく。
・・・そうか、身分証を偽装するのはアレだなー。
まあ売る売らぬもどうでも良いし。
・・・と考えながら彼の姿を追っていたら、須藤がデスクの周りを掃除しているおばちゃんの脇を通る時に鋭い目で「チッ・・・!」と一瞥するのを見た。
はっとした表情でおばちゃんはそそくさと店舗の裏口から出て行った。
「鉄平。お前、掃除係のバイトしろよ」
ロス平が接続していた。
もちろん周りにはその声は聞こえない。
「見てたか。俺もそれがいいと思ってた。」
須藤から、真贋(偽物か本物かを見極めること)ができる担当が今で払っているらしくすぐには査定が出来ないということだったので贋作のそれはしばらく預けておくことにした。
話を手短に済ませて、ビルの入り口の方へ回ったらそのおばさんがまだ居たので、鼻の穴と目が見開いた。ポストを掃除している。
「こんにちは!すみません、こちらの方ですか?この」
さっそく物腰を低く、やわらかくにこやかに話しかけた。
「ん?いえ、私はただの掃除の係で別の会社です。どうされました?」
「あの、ここの掃除のアルバイトをしたいなと。」
するとおばさんはソワソワと周りを見渡す。
そして片手で口元を隠しながら続ける。
「やめておいた方がいいよ。ここは特に人の扱いがひどいの。私は慣れてるからいいんだけど。」
「知り合いがここで働いてまして。掃除のバイトからここに転職したって聞きました。同じ流れにならないかなーと。就職こまってるんすよー。」
「ここ厳しいよ。なんか柄が悪い成金みたいな社員とか客を適当にあしらうスタッフも沢山いるの。特に新人さんや私みたいなババアにはしょっちゅう怒鳴ってさ。まだ若い会社なんだけどね。売りに来た物が高級なら丁寧なんだけど、どうでもいいものを持ってくる客にはどうのこうの――」
おお。このおばちゃんはよく見ている。
この物言いじゃ、自分も日頃からさぞ辛い目に合っているのだろう。
そうでなければここまで知らぬ青年に内部事情を吐き出せないはずだ。
「大丈夫です。そういうの得意なので!おねえさんの鬱憤も溜まってるようですし、話聞きたいっす。おねえさんの鬱憤を吸収するのも得意なので!」
「あっはっは!面白い子ね。気に入った!ちょうど人手が足りてなくてね。特にここはみんな来たがらないのよ。8階建てで毎日全フロア、しかも・・・えっと、細かい指示をされてるのを知ってるからさ~」
そして、そのおばちゃんこと、ひとみさんがいる清掃業あっせん会社に夕方訪れて、株式会社イバリュエーションを希望しているからなのか、身分証もいつでもいいからと履歴書だけ書いて、とんとん拍子にその日にバイト採用され、俺はそこの清掃員になった。
数日働いて一通りの作業ルーチンを覚え、掃除屋としては完璧にこなせるようになった。そして人の眼にはほぼ見えない盗聴器もそこら中に設置。盗聴器の電力は・・・まあそれはいい。いつでもどの場所にいても音声は記録される状態に準備した。音は目的の音声だけ絞って拾うのがちょっと難しいのだ。
しかし酷い会社だ。新人にも容赦なく
「ちんたらしてんじゃねえよ?おめえ。小汚ぇ掃除屋がよ。いくつだ?目障りなんだよ。ここは学校じゃねえんだぞおいこら。聞いてんのかああ?」
などなど、いきなり喧嘩売ってきたときは怒りを通り過ぎ呆れて唖然とした。
ひとみさんは俺を引っ張って背を向けてはすぐ慣れるから、謝っておけば済むから、と俺を諌めた。
そいつはスキンヘッドでいかにもあっちの人のような、ホストのような恰好の出で立ちで名前は蝶名林豪。この会社の東京松浜町支店長だ。
副社長の蝶名林源の息子らしい。
本社は登記上、ここが住所になっている。
資本金4億、従業員1500余名程。このオフィスにはおよそ50名ほど勤務している。
数日たった今はひとみさんからの指示通り、目が合ったらすかさず「すみません!すぐ済ませます!」と何も考えずハッキリ言うようにした。
それもここでの仕事なのだ。
「いってきまーす!」
朝、一緒に食事を済ませて明るい声で出ていく妻。
あざは増えている気がする・・・しかし辛そうな素振りは一切見せない。
「いってらっしゃい。気を付けてね。」
優しくお見送りする。
あざについては干渉しない。疑っていることを悟られない為だ。
お前は俺が守る!そう心で叫けんでいた。
妻が出た後すぐに、若い荒川鉄男のペリロイドに乗り移って清掃服に着替え、朝は大概誰も居ない8階の男子トイレに、いつもの通り転移した。先回り。
この会社は色んな主要都市に店舗展開しているのだが、しかし一般顧客との取引は真贋ができるスタッフが全国各地を駆け巡っておりとても会社が成り立つような売り上げでは無いことを、俺がバイト採用決定したその日にはロス平が調べていた。
物販としてネットで通販をしていたり、真贋を機械的に行えるように様々なブランドの撮影をAIのディープラーニングで覚えさせようとしたりしているもののこの従業員数と給与構造、普通に経営が成り立つような状況には見えないとのこと。明らかに裏がある。
海外にも支社があって広く手掛けているようだが、同じような塩梅だ。なぜこんなに大きくなったのか。法人の口座も調査済み、銀行から定期的に資産として必要な分なのか、謎の入金がある。
キャビネットの上掃除をしていると、ついに、別のフロアに妻が出社した。
「おはようございます。」
4階から我妻の声をしっかりとキャッチした。毅然とした態度だ。
がんばれ!と心の中で叫んだ矢先、衝撃の一言が蝶名林の口から出た。
「よし、今日は小島か。早くこっちきて磨け」
「はい。すぐに。」
なんと妻は、おそらく蝶名林の靴を磨いているのだ。
ペリロイドの視覚にはある程度の厚さなら物理的な壁も透視したりズームしたりする機能がある。
煮えくり返る気持ちでズームした時、その怒りでズームが少しずれて、さらに肝が冷えた。
靴を磨くために跪く妻の服の内側、その背には、ここの日記に書くのも嫌気がさすほどに見るも無残な文字があった。
「人妻で雌豚の小島です」
これはこいつの仕業か?正気を保つのがやっとだ。
これはただの落書きではない。墨で彫られている!
触らないで!と怒鳴った意味が分かった。
麗美は俺の妻として清廉潔白で居たくて必死だっただろう。
墨は消したくても消せず、写真や動画を撮られ、バラしたら亭主やSNSに晒すと脅され、会社は辞めたくても辞められず・・・この3か月ほどどんなに辛い悔しい思いをしただろうと考えるとちょっと冷静ではいられない。
蝶名林は椅子にふんぞり返り、あー、と言いながら天井に向かって遠い目をしながら薄っすらニヤニヤしている。まるでこちらを見ているかのようで余計に殺意を覚えた。
「あ、そういや3、4日前に新しい掃除屋の若い男が来るようになったからアイツも定例に混ぜようか、小島ぁ。」
「・・・」
黙々と靴を磨く妻。
「唐沢の奴はもう歳なんだろうなありゃ。あいつはもう別のとこに飛ばそう。あ、あと最近A〇Bの篠宮まり、知ってるだろ?あれのパトロンと取引があってさ。それもこないだみたいにまた、宜しく頼むわ、小島。篠宮を連れて移動のためにジャンボジェットのファーストクラスをフロアごと全席予約したんだと(笑)。VIPだよな。上空12000mでお前、したことある?」
さて、こいつをどうしてくれようか。




