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無い

三熊は俯いたままだった。

 黒和田が口を開く。


「三熊」

「はい」

「このヘッドギア、ジムのだよな?」

「…………はい」

「DVDも?」

「……はい」


 大樹が三熊を見る。


「なんで?」


「…………」


 三熊はしばらく黙っていた。


「お金が必要で……」

「だからって売る?」

「……本当にすみません」

「ごめんですまないっすよ」

「大樹」


 黒和田が止める。


「こんなことしたらダメだろ」

「……はい」


 黒和田は三熊を見る。


「他にもあるのか?」

「……あります」

「何売った?」

「グローブと……ヘッドギアと、トレーニング用品をいくつか……」

「他には?」

「それだけです」


 エイヤは黙って聞いていた。

 黒和田が口を開く。


「ギャンブルか?」

「……競馬です」

「借金があんのか?」

「……はい」

「どれくらい?」

「…………」


 三熊は俯いたまま答えなかった。


「最近もやってたのか?」

「……はい。この前の天皇賞で負けて」


 大樹が三熊を見る。


「それ、エイヤの試合の日じゃないですか」

「…………はい」

「三熊さんが出るはずだった試合ですよ?」

「……本当にすみません」

「こいつ、3週間しか練習してなかったんですよ」

「…………」

「三熊さんの代わりに試合出て、自分は競馬やってたんですか?」


「……」


「普通ありえないですよ」


「…………」


 黒和田は三熊を見る。


「三熊」

「はい」

「これは犯罪だ」

「……はい。本当に申し訳ありません」

「うちとしても騒ぎにはしたくない」

「…………」

「売った物は全部弁償してもらう」

「はい」


「それと」


 黒和田が三熊を見る。


「もうジムには来るな。解雇だ」


 三熊はしばらく俯いていた。


「……分かりました」


「わかったらもう行っていいから。帰れ」


 立ち上がる三熊。


「本当に申し訳ありませんでした」


 三熊が深く頭を下げた。

 大樹にも頭を下げる。

 三熊がエイヤの横を通る。


「三熊さん」


 三熊が止まった。


「寝技教えてくれて、ありがとうございました」


 三熊がエイヤを見る。


「エイヤ君」


「はい」


「ごめんね」


 三熊はもう一度、深く頭を下げた。


「今までありがとうございました」


 そしてジムを出ていった。

 扉が閉まる。


「…………」


 エイヤは何も言えなかった。


 その日、大樹はずっと機嫌が悪かった。

 そして誰も、大樹とスパーリングをしたがらなかった。


 三熊がジムを去って3日後。


 道を歩くエイヤ。


「エイヤ!」

「ん?」


 振り返る。


「けい太!」


 けい太が一人で歩いてきた。


「今日一人?」

「うん」

「彼女さんは?」


 けい太が少し嫌そうな顔をした。


「別れた」


「え!?」

「声デカいって」

「なんで?」

「喧嘩した」

「何で?」

「色々」

「色々って何?」

「色々は色々だよ」

「そっか……」


 二人で歩く。


「マジかぁ……めちゃくちゃ可愛かったのに」

「そう?」

「もったいない」

「うるせえよ」

「ごめん」


 けい太が笑った。


「エイヤは彼女いるの?」

「作れるなら作ってるよ」

「大学にいないの?」

「うん」

「そっか」

「…………」


 けい太が立ち止まった。


「俺、今度試合決まったんだよね」

「マジで? いつ?」

「3週間後の土曜日」

「よかったじゃん! 応援行くわ!」

「マジ?」

「うん」

「ありがと」

「頑張って」


 エイヤは笑った。

 一瞬、自分の試合が頭に浮かんだ。


「…………」

「どうした?」

「いや、なんでもない」

「そっか」

「じゃあまた」

「おう」


 けい太と別れた。


 家に帰る。


 机の上に置いてあった雑誌が目に入った。

 エイヤは久しぶりにページを開いた。

 麗花のグラビア。


「別れたのか……」


 水着姿の麗花が、こちらを見ている。


「やっぱ可愛いな」


 ベッドに寝転がる。

 目を閉じる。


 その夜。

 エイヤは、けい太と麗花の試合を想像した後に眠りについた。

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