安心
タオルで顔を押さえながら歩くエイヤ。
その後ろを、大樹が悔しそうに歩いていた。
「エイヤ、相手に的を絞られないように動かないと」
「……」
黒和田が声をかける。
「たった3週間でここまで来たんだ。お前はまだ若い」
「……」
「これから! ここから上がればいいんだから!」
「……はい」
エイヤには、まだなぜ負けたのかが分からなかった。
試合後のメディカルチェックを受け、会場を出た。
左脚が痛い。
顔も痛い。
スマホを取り出す。
連絡が何件か来ていた。
画面を眺める。
返す気になれなかった。
そのまま閉じようとして、指が止まった。
母親との画面を開く。
最後のメッセージ。
『今どこにいるの?』
家を飛び出したあとに送られてきたものだった。
エイヤは返していなかった。
「…………」
エイヤは母親に電話をかけた。
「もしもし?」
「試合、今終わったよ」
「どうだった?」
「負けた」
「そっか。でもすごいじゃん」
「すごくないよ」
「そう?」
「家、帰ってもいい?」
「もちろん、帰っておいで」
「うん」
電話を切って、スマホをしまった。
誰とも話したくなかった。
何も聞かれたくなかった。
試合のことも考えたくなかった。
でも。
母親には会いたくなった。
近所の公園。
エイヤは一人でベンチに座っていた。
ぼんやりと前を見つめる。
試合の映像が頭に浮かぶ。
あの時、どうすればよかったのか。
考えても、よく分からなかった。
18時を少し過ぎた頃。
エイヤは家の前に立っていた。
少しだけ立ち止まってから、扉を開ける。
「ただいま」
「おかえり!」
母親の声がした。
リビングへ入る。
テーブルの上に料理が並んでいた。
「唐揚げじゃん!」
エイヤの好きな唐揚げがあった。
母親がエイヤの顔を見る。
「顔が腫れてるけど大丈夫?」
「たぶん」
「たぶんって……」
母親は何か言いかけて、やめた。
「座って食べて」
「うん」
エイヤが椅子に座る。
「いただきます」
唐揚げを一つ取る。
口に入れた。
「…………」
「どう?」
「うまい」
「よかった」
母親も向かいに座った。
エイヤは黙って唐揚げを食べる。
「母さん」
「ん?」
「ごめんね」
母親の箸が止まった。
「嫌なこと言って」
「…………」
母親の表情が少し緩んだ。
「お母さんもごめんね」
「うん」
「…………」
少しして、母親が立ち上がった。
「唐揚げ、まだあるよ」
「うん」
「いっぱい作ったから」
エイヤはご飯と一緒に唐揚げを頬張った。
母親が作る料理の味は変わっていない。
試合のことを考え続けた3週間が、ようやく終わった。
その夜、エイヤは久しぶりに安心して自分の部屋で眠った。




