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目の前にいる

朝。

 エイヤが目を覚ますと、見慣れない天井があった。


「…………」


 しばらく見つめる。


「あ、兄貴んちか」


 身体を起こす。

 大樹の姿はなかった。


「兄貴?」


 返事はない。

 テーブルを見ると、紙が置いてあった。


『仕事行ってくる。』

「仕事か……」


 エイヤは部屋を見回した。

 床には脱いだ服。

 空になったペットボトル。

 コンビニの袋。

 読みかけの漫画。


「…………汚っ」


 エイヤはしばらく部屋を見ていた。


「…………」


 ゴミ袋を手に取った。

 ペットボトルをまとめる。

 コンビニの袋を捨てる。

 脱ぎっぱなしの服を集める。

 棚の横に積まれていた漫画を戻していく。

 大樹から借りていた総合格闘技のDVDを手に取った。


「…………」


 スマホを取り出す。


『部屋片付けといた』


 送信。

 続けて打つ。


『DVD、ジムに持ってっていい? ジムのみんなにも役立つかもしれないし』


 少しして返信が来た。


『ok』

「早っ」


 ゴミを出して、玄関の鍵を閉める。


「よし」


 DVDを持ってジムへ向かう。

 明日は試合。

 最後の練習。

 そう考えると、少し胃が重くなった。


「エイヤ!」


 聞き覚えのある声がした。

 顔を上げる。


「けい太」


 向こうから、けい太が歩いてきた。

 隣にはグラビア雑誌で見た麗花《れいか》がいる。


「この前はごめんね」


 麗花がエイヤに言った。


「え?」

「けい太のこと」

「いや、俺は大丈夫」


 麗花が少しうなずいた。


「今日は大学休み?」

「うん、休み。今からジム」


 エイヤは答えながら、麗花の方を見ようとした。


「…………」


 見れなかった。

 けい太が口を開いた。


「試合いつだっけ?」

「明日」

「明日!?」

「うん」

「マジで出んのか! すげーな!」

「出るよ」


 けい太が笑った。

 エイヤも笑う。

 麗花の方は見れなかった。


「来る?」

「え?」

「試合」


 エイヤがスマホを取り出した。


「場所ここ」


 けい太が画面を見る。

 隣から麗花も覗き込んだ。


「…………」


 エイヤはスマホだけを見ていた。


「行く行く!」

「ほんと?」

「私も行くよ」


 麗花が笑った。


「明日頑張って!」

「ありがとう! 頑張る!」


 けい太が歩き出す。

 麗花もその隣を歩いていく。

 エイヤは手を上げた。

 二人が遠ざかっていく。


「…………」


 一度だけ振り返る。

 けい太の隣を歩く麗花が目に入った。

 すぐに前を向いた。


 KUROWADA FIGHT GYM。


「こんにちは」

「おう」


 黒和田が振り返る。


「今日は来たか」

「はい」


 黒和田はエイヤを少し見た。


「もう体調は大丈夫か?」

「はい」

「そうか」


 それ以上は聞かなかった。


 エイヤは袋からDVDを取り出した。


「会長、これここに置いていいですか?」

「なんだ?」

「総合格闘技のDVDです」


 黒和田がケースを見る。


「兄貴から借りたやつなんですけど、みんなの役に立つかなって」

「そうか、ありがとう」


 エイヤは棚にDVDを並べた。

 黒和田がエイヤを見る。


「あのお前が、本当に明日試合するのか?」

「しますよ」

「がっはっはっは!」


 黒和田が笑った。

 シャドー。

 軽いミット打ち。

 前蹴り。

 タックルへの反応。

 いつもの練習より早く終わった。


「今から前日計量だ! 行くぞ!」

「はい」


 ジムを出て、数分で会場に到着した。

 中には、明日試合をする選手たちが集まっていた。

 しばらくしてエイヤの名前が呼ばれる。

 体重計に乗った。


「張切エイヤ選手、100kg。クリアです!」

「…………」


 エイヤは体重計を降りた。

 次に対戦相手が呼ばれた。


「地場源太《じばげんた》選手、115kg。クリアです!」

「…………」


 エイヤが顔を上げる。

 初めて見る対戦相手だった。

 地場がエイヤの方へ歩いてくる。

 手を差し出した。


「明日はよろしく」

「よろしくお願いします」


 エイヤもその手を握った。


「…………」


 エイヤは一気に不安になった。

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