距離
試合まで、残り1週間。
「エイヤ、エイヤ」
「ん……」
肩を揺らされ、エイヤは目を開けた。
水刀が隣に立っている。
「何?」
「起きろって」
「……?」
顔を上げる。
教室にいる学生たちが、こっちを見ていた。
前を見る。
教授とも目が合った。
エイヤは身体を起こした。
身体が重い。
昨日も遅くまでジムで練習していた。
「大丈夫か?」
水刀が小声で聞く。
「眠い」
授業が終わると、二人は学食へ向かった。
エイヤはトレーを置くと、すぐに箸を持った。
「最近、練習大変そうだね」
「大変」
「毎日行ってんの?」
「行ける日は」
「試合いつだっけ?」
「来週」
エイヤは唐揚げを口に入れる。
「試合、見にきてよ」
「行くよ。俺の母さんも行きたがると思う」
「マジ?」
「エイヤが俺を助けてくれた時から、お前のファンなんだよ」
「俺の?」
「うん。めちゃくちゃ感謝してるから」
エイヤは少し照れながら、ご飯を口に運んだ。
「そういえば、あの時の金髪と友達になった」
「えー!?」
水刀の声が学食に響いた。
何人かが振り返る。
「声でかいって」
「だって、あいつだろ!? 俺から財布取ろうとした!」
「うん」
「何で友達になってんの?」
「偶然会って」
「それで?」
「友達になった。けい太っていうんだけど」
エイヤは、また唐揚げを食べた。
「年いくつ?」
「わかんない」
水刀はエイヤを見つめた。
「……よくわかんねえな、お前」
夕方。
エイヤはジムにいた。
最初はパンチが飛んでくれば目を閉じた。
タックルされれば、そのまま倒された。
今は相手を見て、反応している。
もちろん、大樹にはまだ何度もやられる。
それでも、最初とは明らかに違っていた。
大樹が前へ出る。
エイヤはガードしながら下がる。
大樹が一気に距離を詰めた。
「うわっ!」
身体を組まれる。
そのまま倒された。
「止め!」
黒和田が手を叩いた。
「くそ……」
エイヤが起き上がる。
「今の、何で倒されたか分かるか?」
黒和田がエイヤと大樹の間に入った。
「距離だ」
「距離?」
「ああ」
黒和田がエイヤから少し離れる。
「ここなら俺のパンチは届かない」
一歩近づく。
「ここなら?」
「届く」
さらに近づく。
「ここまで来たら?」
「……組める」
「そういうことだ」
黒和田がエイヤを見る。
「自分の距離で戦うんだよ」
「自分の距離?」
「攻撃を当てながら、相手には当てさせない。組みにも来させない」
「そんなことできるんですか?」
「やるんだよ。だからみんな、その距離を取り合ってんだよ」
黒和田が片脚を上げた。
「蹴りを使え」
黒和田がミットを持つ。
エイヤが構える。
「来い」
右脚を上げる。
ドン!
黒和田のミットが後ろへ押された。
「そう!」
黒和田がミットを下ろした。
「蹴りは倒すためだけじゃない。近づかせないためにも使う」
「近づかせない?」
「相手が前に出たら蹴りが飛んでくる。それだけで入りづらくなる」
「確かに」
「それに、蹴りを気にさせれば――」
黒和田が拳を出した。
「パンチも当たりやすくなる」
エイヤが思わずのけぞった。
「パンチだけじゃなく蹴りも飛んでくるとなったら、意識が散る」
エイヤは少し考えた。
「何か頭使いますね」
「がっはっはっは!」
黒和田が笑った。
「大樹、もう一回」
「はい」
二人が向かい合う。
大樹が一歩前へ出た。
エイヤが前蹴りを出す。
大樹も同時に前へ出た。
ゴッ。
「――っ!!」
大樹が股間を押さえ、その場に崩れ落ちた。
「兄貴ごめん!」
大樹は声も出せず、床にうずくまっている。
「がっはっはっはっは!」
黒和田の笑い声がジムに響いた。
始めた頃とは違う。
構えも。
目も。
動きも。
まだ格闘家とは呼べない。
それでも――
少しずつ、様になってきていた。
練習が終わり、家に着く。
「ただいまー」
靴を脱いでリビングへ入った。
「腹減った……」
「エイヤ」
「ん?」
食卓に母親が座っていた。
「母さん、どうしたの?」
「ここに座りなさい」
エイヤは向かいの椅子に座った。
「…………」
「何か隠してない?」
「隠してること? どうしたの? 急に」
母は手元にあった一枚の紙を――
スッ。
エイヤの前へ差し出した。
「ん?」
大会のチラシだった。
エイヤの目が、その文字で止まる。
『張切エイヤ KUROWADA FIGHT GYM』




