第87話 巨大なる美食家
「ただの決闘でしょ? なんで命を落とすことになるの?」
ロールキャベツがフェアリーを見つめた。その眼差しは、まるで未開の地から来た野人を見るようだった。
「というか……」
横でトンカツが続けた。口調はずいぶん真面目だった。
「相手を殺してしまったら、勝負がつかなくなってしまうじゃないですか」
名乗りを上げて飛び出したフェアリーも含めて、俺たちは全員、頭の中が真っ白だった。
「えーと……」
サチが、戸惑いいっぱいの顔で訊いた。
「じゃあ、どうやって勝負を決めるの?」
「ふん!」
ロールキャベツが首を振り、やれやれという調子で言った。
「こんなことも知らないで、よく天下一を競う気になれたものですわね」
「特別に、教えてさしあげましょう!」
トンカツが胸を、どん、と叩いた。体のパリパリの衣が、ぱらぱらと床にこぼれ落ちた。
彼は気前よく、革袋を一つと、ナイフを一本、取り出した。
「我々二人がまず雌雄を決します。あなたは、残ったほうとお戦いください」
トンカツが進み出てきたのを見て、ロールキャベツは警戒の目で、その革袋を見やった。
左手にはペッパーソルトの容器、右手にはキッチンペーパー。慎重に一歩、前に出る。
『えっ、決闘のルールってなに?』
『マスミたち、ちゃんと覚えとけよw』
『この世界観、ヤバい』
『ペッパーミルとケチャップで決闘wwwwww』
「では」
和牛リブアイがペッパーミルの高みから、よく通る声で言った。
「この、名も知れぬ侵入者殿に、この対決の立会人を務めていただく、ということでいかがか」
彼の視線が、俺へと向いた。
「……俺?」
「ふん!」
サラミがそのしわがれた声で、この勝負を受け入れた。
「俺はそれでかまわねえ。だがな、最終的な勝ち負けは、美食家の言うことが絶対だぞ」
俺はとうとう、なんだかわけのわからないまま、この勝負の立会人になってしまった。
「わかった――」
俺は肩をすくめて一歩前に出た。なんとか立会人らしく見える姿勢を作ろうとした。
「じゃあ、俺がこの勝負を見届けるよ。なにか、これは絶対にやっちゃいけない、っていう卑怯な手はある?」
「ゴキブリ!」
「ハエ!」
「カビがいちばん許せねえ!」
「泥を塗っちゃダメ!」
「動物の毛!」
「賞味期限切れは使えねえ!」
食材たちが口々に義憤の声を上げた。あちらこちらから飛び交うその声は、ものすごい勢いで、まるで俺が何か禁忌に触れる質問をしてしまったかのようだった。
「わかった、わかった」
俺は急いで両手を上げて、なだめにかかった。
「わかったよ、君たち、衛生面、めちゃくちゃ気を遣ってるんだね……」
彼らの思考回路、なんとなく掴めてきた気がするが、それでも全体の雰囲気は、奇妙で、どこか滑稽に感じてしまう。
「では、安全で、健康的で、なおかつ美味しい、という前提のもと――」
俺はロールキャベツとトンカツの間に立ち、左右を見渡した。両者ともに、もう準備万端、という顔をしていた。
俺は深く息を吸って、手を高く挙げた。
「決闘、開始!」
手を勢いよく振り下ろした――
二人の食物の戦士が、そのまま、ぐるりと向かい合った。
『始まったー!!』
『主、立会人っぷりが堂に入ってるな』
『食材決闘、開幕』
『これから何が起きるのか、もう全然読めん』
ロールキャベツは小型のペッパーミルを片手に、もう一方の手でナイフを振りかざし、自信たっぷりに相手を見据えていた。ペッパーミルをぎゅっと握り込んでいて、どうやらそれが彼の隠し武器らしい。
トンカツの行動は、素早くて、迷いがなかった。
こちらも片手にナイフを持ち、もう一方の手で革袋の中をまさぐると、押し出して使えるタイプのケチャップを取り出した。
その動きはたいへん俊敏で、ダン、ダンと二度地面を蹴って、たちまちロールキャベツに肉薄した――
ナイフを翻して、ばっと斬りつけた。
ロールキャベツの下半身が、すぱっと削ぎ落とされた。
切断面から、香ばしい肉のスープと、菜汁が流れ出した。
俺はふと、いつの間にか後ろのほうで、誰かが直径二メートルを超える大きな陶皿を引きずり出していることに気づいた。
トンカツが力強く一蹴り。削ぎ落とされたロールキャベツの下半身は、その皿の上へと蹴り飛ばされた――
切り口からは、まだ濃厚な肉のスープと菜汁が流れ続けている。
トンカツのもう一方の手が、ぎゅっと容器を握りしめると、酸味の効いたケチャップが、ぷしゃっと音を立てて、そのロールキャベツの上に降りそそいだ。赤いソースがすぐに金色の肉汁と混じり合って、色彩がたいへん鮮やかだった。
「香ばしさに、甘酸っぱさを合わせよう!」
トンカツが即座に天を仰いで咆哮した。その気迫は、戦士のようでもあり、料理人のようでもあった。
『あいつ料理してる!!』
『戦闘がそのまま料理なのかw』
『この階層、おかしすぎる!!』
『でも、ほんとに美味そうに見える』
『あのケチャップの掛け方、めっちゃプロっぽい』
「く……くっ! まさか、先手を取られるとは……」
ロールキャベツは下半身を失ったというのに、勇ましく、まったく怖じ気づくことなく、両手で自分の体を支えて起き上がった。
彼はぐっと地面を押して、ふわりと宙に飛んだ。
トンカツは勝利の咆哮の真っ最中で、まさか敵が自分の頭上にまで飛び上がっているとは、思いもしなかった。
彼は目を見開き――
頭上のロールキャベツが、ペッパーミルの蓋を開けるのを、目撃した。
灰白色がかった淡い緑色の粉末が、空中でぱっと舞い上がった。
毒ガス?!
いや、ペッパーだ!
ロールキャベツはトンカツの上に、たっぷりと、ペッパーソルトの粉末を振りかけていった。粉末はトンカツの金色のサクサクの衣に、これ以上ないほど均一に降りつもり、たちまちより濃厚な香りを放ちはじめた。
脂の香り、衣の香り、それにペッパーの香り――三つの匂いが空気の中で溶け合って、台所全体の雰囲気が変わってしまった。
「これは!」
トンカツが驚いた声を上げた。
「ただのペッパーじゃない!」
彼は驚愕と、それと同時に敬意のこもった目で、上方のロールキャベツを見つめた。
「これには、ワサビの粉が混ぜてある!」
周りの食材たちから、いっせいに賞賛の声が漏れた。
「おお――」
「ワサビ・ペッパーソルト!」
「ロールキャベツ、お前なかなかやるじゃねえか!」
「ふふっ」
ロールキャベツが、宙で得意げに笑った。
「ずっと、楽しみにしていましたわ。あなたなら必ず、この一騎打ちを受けてくださると思っていましたもの。これは、あなたのために、わたくしが特別にご用意したワサビ・ペッパーソルトですわ!」
トンカツは、ピリッとした辛みをわずかに含んだワサビ・ペッパーソルトを、全身にたっぷりと浴びた。
彼は自分の体を、ぺろっと舌で舐めてみた――自分の現在の味を確かめたのだ。
「ふぅ」
彼の声が変わった。さっきまでの戦意に満ちた調子から、ほとんど敬虔とも言える、穏やかなものへと。
「この勝負、決まったようだな……」
この味を口にして、トンカツは、戦に敗れた者が、覚悟をもって受け入れる、という表情を浮かべた。
「お見事!」
ロールキャベツが地面に降り立った。葉はあちこちで乱れ、肉汁もそこらじゅうに流れている。
「君の勝ちだ。さあ、自分のキャベツの葉、ちゃんと巻き直しておけよ。今のままじゃ、まったく美味そうに見えないからな」
トンカツは仰向けに倒れ込んだ。手にしていたケチャップが、彼の背後の皿の上に、大きくどばっと飛び散った。
『ちょっと待って待って』
『下半身斬られたほうが勝ったの??』
『負けたほうは、ただ粉をかけられただけ』
『この理屈、まったくついていけない』
『その場の食材たち、みんな困惑顔wwwwww』
俺は本気で意味がわからなかった――
下半身を斬り落とされたほうが勝ち、で、負けたほうは、ただ全身に粉を振りかけられただけ、と?
「えっと」
俺は周りの食材たちに目を走らせて、おそるおそる口を開いた。
「彼が負けを認めたわけだから、勝負はもう……」
俺がまさに勝者を宣言しようとしたとき――
サラミと和牛リブアイが、同時に俺へとシーッと音を出した。
「シーッ――!」
「……?」
「あんたを呼んだのはな、この戦いの立会人をしてもらうためだけだ」
サラミが粗野な調子で俺を黙らせた。
「戦いの勝敗は、あんたが決めることじゃねえ」
「じゃあ……」
俺は気まずさのまま、訊いた。
「結局、どっちが勝ちで、どっちが負けなんだよ」
「黙って見てな!」
和牛リブアイが、辛抱強く俺に告げた。
「美食家がいらっしゃる」
全食材の視線が、じっと遠くを見つめていた。
俺もその視線を追って、そちらを見やった――
向こうに巨大な扉がある。台所の入口、いや……出口、というふうに見えた。
「もしかして、今回はダンジョンの道標灯、いらないんじゃない?」
俺はワカナに小声で耳打ちした。
「あの扉までの距離、飛んだら五分くらいかな?」
ユウキもその扉を見ながら、真剣に距離を見積もっていた。
「で、この階層のボスは……」
サチが、そっと声を落として言った。
「来ますわよ!」
フェアリーが警告を発した。翅がぴんと張りつめた。
扉が、開いた。
緑のニットベストを着て、カジュアルパンツをはき、眼鏡をかけた巨大な老人が、ゆっくりと入ってきた。
巨大――そう、彼は確かに巨大だった。だが、前の階層のあの神木のような、桁外れな巨大さではなかった。
背丈はせいぜい七、八メートルといったところだった。
人間にとっては、その身長は、もう神話に出てくる巨人と十分言える代物だ。
だが、あの高さ二十キロを超える神木と比べたら、彼はほとんど親しみすら覚えるサイズだった。
『美食家登場!!』
『この体格は……』
『緑のニットベスト、可愛い』
『眼鏡かけてる!!』
『なんかこの老人、優しそう』
彼はゆっくりと足を踏み出して、こちらへと歩んできた。
一歩一歩には、老人特有の落ち着いたゆとりが漂っていたが、それでも足音は床をかすかに震わせていた。
「おお!」
彼は嬉しそうに皿を見て、レンズの奥の目を細めた。
「今日の朝食は、トンカツかね?」
俺は、これから起こることに対して、すっかり「もう何もかも理屈に合わない」と諦めの気持ちになっていた。
その巨大な老人はナイフとフォークを取り、トンカツに突き刺してから、ひと口大に切り分けた。
さっき和牛リブアイが言っていた、あの美食家、というのはこの人で間違いないらしい。
「ううっ!」
ロールキャベツが、絶望してその場に膝をついた。
「なぜ、彼なんですか!」
一方、トンカツの表情は、聖なる霊感を受けたかのように見えた。
穏やかで、満面の幸福に満ちている。
「すまんな、ロールキャベツ」
トンカツは、昇天するかのような至福の表情を浮かべて、喜びとともに老人のナイフとフォークを迎え入れた。
「今回、美食家が選んだのは、どうやら、私らしい」
『ちょっと待って……食われるほうが勝ち組??』
『この勝負の理屈、いったいなんなの』
『なんで食われてないロールキャベツが、こんなに悔しがってんの』
『食われてるほうが、むしろ幸せそうな顔してる』
『この世界観、ほんとに不思議すぎる』
美食家は、まずひと切れを口に運んだ。
目を閉じて、味わいを楽しんでいる。
「うむ」
彼はそっと言った。
「熱もまだ十分にある、油の匂いも飛んでおらん」
「サクッ、サクッ……」
彼が一口噛むと、その音はじつに小気味よく響いて、聞いているこちらの口にまで、自然と唾が湧いてくるほどだった。
「衣はずいぶん、サクサクとしておるな」
「脂のバランスは……うむ」
彼はぐっと飲み下した。
その表情から察するに、ワサビの辛みが鼻の奥にちょっと抜けてきているようだったが、彼の顔には、その辛さの心地よさが、はっきりと浮かんでいた。
「ふう!」
彼は笑顔で、もうひと切れを取り分けた。
「ワサビ・ペッパーソルト、絶妙な味付けじゃないか。あのほのかな辛み、まったく癖になる味じゃのう!」
今度は、横のケチャップにも、ちょいと付けてみた。
「ほのかな酸味、ほのかな甘味」
彼はじっくりと味わっていた。
「このケチャップが、トンカツの脂っこさを、見事に中和しておる」
彼はうなずいた。その顔には、本物の美食家にしかない、満ち足りた色が浮かんでいた。
「実に良い。食材自身に、自分を料理させる、というやり方は、やはり正しかったのう」
『食べ方が、もうプロ!!』
『これが本物の美食家か』
『あの表情、見て見て』
『俺も食べたい』
『画面越しに、もう匂いがしてくる』
美食家は皿の上の料理を眺め、もう一切れ口に運ぼうとした。
そのとき――
ロールキャベツが、自分のフォークを抱きしめて、横から駆け寄ってきた。
「どうしてですか?」
彼は心の底から絞り出すように叫んだ。
「どうして、わたくしではなくて、彼だったんですか?」
葉はあちこちで乱れ、肉汁もまだ切断面から流れ出していて、全体としては、相当にみすぼらしい有り様だった。
「おやおや、お前さんか」
巨大な老人は顔を向け、地面に膝をついているロールキャベツを見やった。口調はとても穏やかだった。
「ずいぶんと、めちゃくちゃになっておるなあ」
彼は一本の指を差し伸ばした――
指先から、ふわっと緑の光が放たれた。
「最上級回復魔法――」
美食家がそっと呪文を唱えた。
ロールキャベツの下半身が、すうっと吸い寄せられて、もとの上半身と接ぎ合わさった。
その過程は、なんとも不思議なものだった――飛んでいたほうの部分が、見えない手にやさしくつまみ上げられて、もとの場所にぴたりと戻されていく。葉の筋の模様まで綺麗に合わさり、流れ出ていた肉汁まで、逆に流れ戻っていく。
ロールキャベツは、地面に膝をついていた。
その表情は、神の恵みに感謝する者のそれだった――それでも、まだ理解できていない、というふうだった。
「どうして、わたくしではなく、彼だったんですか」
彼は泣きじゃくった。その声には、切実な悔しさがにじんでいた。
「わたくしのほうが、彼などより、ずっと料理の腕は確かなのに!」
巨大な老人は、ただにこにこと、目の前のたっぷり盛られた料理を眺めていた。
彼は、それ以上、何も言わなかった。
そして――
彼の視線が、すうっと俺たちの上に合わさった。
「ヨホホ!」
彼は朗らかに一声笑った。だが、その笑い声には、別の何かが混じっていた。
「どうやら、食えないやつらまで、ここに紛れ込んでいるようじゃのう――」
彼は少し首を傾けた。眼鏡がきらりと光を反射する。
「お前さんたち、何をしに来た? お前さんたち、まさか、害虫じゃあるまいな?」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
面白いと思っていただけたら、
よろしければ ブックマークや評価、感想 をいただけると嬉しいです。
あなたの応援が、
これからの執筆の励みになります。




