第74話 二十万苗頭軍
ダンジョンの道標灯がない以上、当然次の階層へは進めない。
そしてそれが意味しているのは――俺たちがさっき倒したあの呪術師は、この階層の本当の主ですらなかった、ということだ。
「あれだけ苦労した相手が、ボスじゃなかったとはねえ……」
ワカナがため息をつきながら、火炎放射器を肩から下ろした。あの代物は、見た目どおり、相当ずっしりしていた。
「サチちゃん、これまで見た予言の中に、今日に関係しそうなのって、ある?」
ユウキが振り返って訊いた。
サチは首を振った。
「うーん、わたしの予言って、そこまで便利じゃないんだよね。今夜、わたしたち、豚の丸焼きが食べられるってことしか見えてないの」
「……その予言、めちゃくちゃ具体的なんだけど」
ユウキが言った。
「ふふっ、そうみたいだよね。あのゴブリンたち、本当に山豚の丸焼きを貢ぎに来るんだ」
ワカナが笑った。
「ってことは、この階層では、俺たちは大ごとにはならないってことですよね」
俺はちょっと安心した。
『サチの予言「今夜、豚の丸焼きが食える」』
『予言システムの精度が絶妙すぎる』
『ゴブリンが貢ぎに来るwww』
『この予言能力、いったい何の役に立つんだろうwwwww』
『今夜の晩メシ、豪華!』
「ワカナ、ちょっと聞きたいんだけど」
俺は話題を戻した。
「乙姫からもらった真理の鏡って、こういう場面で使えそうな能力、なにかある?」
ワカナはちょっと考えて、鏡をぶら下げているローズゴールドのチェーンを指でなぞった。
「あの能力たちが、この場面で役立つとは思わないんだよね」
彼女は言った。
「でも、試してみたい方法が、ひとつあるんだ」
「どんな方法?」
「うまくいくかわからないから、まず試してみる」
ワカナは操られている多脚土塊を一体、こちらへ引っ張ってきた――
さっきの、彼女がボクサー風に仕立て上げたあの個体だ。あの土塊たちの中では、かなり目立つ存在だった。
こいつはずっと「殴る気満々」みたいな構えを保っていて、いま呼ばれてやってきたときの動きにも、その鋭さがにじんでいた。
ワカナはその前にしゃがみ、土塊のてっぺんに生えた小さな苗にそっと触れて、目を閉じ、意識を集中させた。
俺は隣で数秒見守った。
邪魔をしないように。
「どう? なにか、見つけ方を教えてくれた?」
俺は声を落として尋ねた。
ワカナは目を閉じたまま、首を振った。
「訊いてるんじゃなくて、こっちが指令を出してるの」
そう言い終えるか終えないかのうちに、操られた土塊はもう、ぎこちない足を踏み出して、よろよろと山の下のほうへ駆け出していた。
「面白そう。どんな指令出したの?」
サチが、駆け去っていく土塊の後ろ姿を、興味津々で眺めた。
「ダンジョンの道標灯を探してきて、って」
ワカナは目を開けて、苗から手を引っ込めた。その表情には、いま自分の予想がひとつ実証された、という満足感がにじんでいた。
「でもさ……」
俺はそいつが走っていった方向を見た。
「漸の台、こんなに広いのに、あの一体だけで見つかるかな?」
「だから、もっと出すんだって」
ワカナは当然のように言った。
「うん、じゃあ、もう少し作るか」
俺はもっと木霊の樹根を取り出そうとした。
「ちょっとちょっとちょっと!」
ワカナが慌てて、俺の手を押さえた。
「そんな贅沢しないの。これね、売れるんだよ。しかもけっこう高く売れる」
俺は手を引っ込めた。
「じゃあ、誰を使って探させるんだ?」
「あんた、倒した敵を従者として召喚できるんでしょ?」
ワカナはさっき焼け落ちた山の斜面を指差した。
「私たちがさっき焼き殺した木霊、ざっと見て……二十万体は下らないと思うけど」
俺は一瞬、固まった。
二十万。
ワカナにそう言われて、急に意識がはっきりした――
俺の手駒は、いまや二十万の兵力を擁している、と言っていい。
『二十万!!!!!!』
『主の部下、また増えたw』
『木霊軍団』
『ワカナ、頭の回転えぐい』
『この数字、大学生のバイトが持ってていいやつじゃない』
俺は知恵の書を開いて、従者召喚のページを探し当てた――これは神器が俺に与えた能力で、倒した敵を従者として召喚できる、というものだ。
中孚堂では使わなかった。
ボカ・デ・クペでも使わなかった。
そもそも敵を殺してはいなかったし、アンドリアス・サピエンスとピクシーがいれば、たいていの場面はもう間に合っていた。
だが、今回――俺は山ひとつぶんの木霊を、まるごと焼き払った。
俺は意識を集中させ、木霊たちを召喚した。
最初は、地面のあちこちにぽつりぽつりと現れた、いくつかの緑の光。出はじめの小さな火種みたいだった。
それから、その緑の光が、面となってつながっていきはじめた。
焼け落ちた山の斜面が、ゆっくりと青々とした緑に覆われていく――速度はだんだん上がっていって、一寸また一寸と、緑が押し広がっていった。
黒く焦げた土の中から、木霊たちが一体、また一体と姿を現した。
どの個体も、地中に根を張り、焦土から小さな土の塊を抱きあげ、それを自分の体としてまとっていく。
なにせ数があまりに多いせいだろう。
一体あたりの取り分は、悲しくなるくらい少なかった――
俺の二十万の大軍は、そのほとんどが、握りこぶしぐらいの大きさで、まんまるしている。
てっぺんには頼りない小さな苗がぴょこんと立っていて、まるで誰かが家庭菜園のプランターから掘り出した苗が、なぜか歩き方を覚えてしまった、みたいな見た目だった。
斜面ぜんたいが青々とした緑に覆われていて、まるで草原のようだった。遠目には、そこがついさっきまで真っ黒な焦土だったとは、ちょっと信じられないくらいだった。
チャットの女性陣がはしゃぎだした。
『うわぁ――――――』
『緑の海』
『かわいい!!』
『ちっちゃい木霊!!!』
『ミニ盆栽20万体召喚した』
『この絵、癒される!!』
『土を抱えてる姿、もはや反則レベルで尊い』
その小さく愛らしい姿で、あちこちを駆け回っていた。
地面でくるくる回っている子もいれば、隣の子の頭の上によじ登ろうとしている子もいる――焦土から生まれてきたばかりで、自分の現状をまだ把握しきれていないせいか、全体としては、にぎやかではあるが、秩序のかけらもない混沌の様相を呈していた。
その光景を眺めていると、俺の胸の中にも、なんだかぽかぽかして可愛らしいものがこみ上げてきた。
ほんの数分前まで、こいつらは俺たちを散々苦しめた呪いの源だった。
それが今は、俺の部下になっている――しかも、なんとも無害そうな部下に。
俺は意識を集中させ、指令を一斉に全員へと届けた。
そして、ひとつの念が走り抜けた瞬間――青々とした苗の海が、その場でぴたりと、停止した。
二十万体の木霊すべてが静止していて、まんまるな小さな体を、揃って俺と同じ方向へ向けている。
その光景の壮観さに、俺自身も一瞬、見入ってしまった。
二十万の小さな命、二十万の混じり気のない緑色の影が、全員、静かに俺の言葉を待っている。
チャットも一秒、ふっと止まった。それから――
『全員ピタッて止まった!!』
『そろい方が鳥肌レベル』
『二十万体が同時に主を見つめてる』
『ご主人さま威風堂々』
『マスミ、いま自分のこと、百万の兵を率いる大将軍みたいに感じてるんじゃない?ww』
俺は本当に、これだけの命を指揮できるのか……
この感覚、現実味がなさすぎる!
考え込むのは、やめておこう。
俺は深く息を吸って、指令を伝えた。
「行け!ダンジョンの道標灯を見つけ出せ――」
そこで一拍置いて、二つ目の指令も加えた。
「この漸の台の、真の主を探し出せ!」
俺たちの目の前に広がっていた、青々とした苗の海が、その瞬間、いっせいに散らばっていった。
俺たちが立っている場所を中心に、波紋のように四方八方へと広がっていく。
一体一体が、揃った速さ、揃った方向感覚を持って、それぞれ違う角度に分かれ、漸の台のあらゆる隅へと駆けていった。
その光景には、なんとも言いがたい壮観さがあった。
風が山の上から吹き下ろしてくる。焦げた匂いを運びながら、それでも、生まれたばかりの緑の葉のような、もう少し新鮮な香りも、わずかに混じっていた。
俺は二十万体の小さな、忠実な姿が遠くへ散らばっていくのを眺めながら、胸の中に、どっしりと落ち着いたものが湧いてくるのを感じた。
「マスミ……」
サチが俺の隣で、そっと口を開いた。
「あなた、今、もう大将軍だね」
「その肩書きは要らないって」
「緑葉軍団大統領?」
「それも要らない」
「苗頭軍総帥?」
「お前、面白がってるだろ」
「うん」
彼女はとても嬉しそうに笑った。
『サチが完全に乗っかってるwwww』
『主、断るのちょっと遅かった、もうそう呼ばれてるw』
『二十万の青き苗の主』
『頭から苗が生えてる兵士www』
『苗頭軍総帥マスミ!!』
『この肩書き、採用!』
ワカナは、散らばっていく青々とした波を眺めながら腕を組んでいた。その目つきが、だんだん真剣になっていく。
「あの子たちが見つけ出してくれれば、目標がはっきりするよね」
彼女は言った。
「でもさ、なんか不安なんだよなあ」
「どうした?」
「この呪術師ですら、これだけ手こずったのに、それがこの階層の雑魚って……じゃあ、本物のボスって、どんなのよ?」
「ワカナの言ってること、わかるよ。俺もすごく心配」
俺は彼女の視線を追って、遠くへ続く山の稜線を見やった。
風はまだ吹いていて、火も完全には消えていない。遠くで、煙がまだ立ちのぼっている。
俺たちが送り出した二十万体の小さな木霊たちが、いま一体一体と、漸の台のあらゆる隅へと駆け込んでいるところだった。
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