第70話 呪われた
フェアリーだけの問題じゃなかった。
俺は彼女を支えながら、自分の頭の中もぐるぐる回っているのに気づいていた。
強烈なめまいがある。
船の上に立っているのに船が揺れているのは感じられず、それでも体だけが、どこか一方向に傾いていくような――そんな感覚だった。
横に目を向ける。
サチが咳をしている。
だんだんひどくなっていた。手の甲で口を覆っているが止まらず、咳をするたびに体が前に折れていた。
ユウキはくしゃみが止まらない。
連続して、何度も何度も。
眉をひそめて、片手で鞘を支え、もう一方の手で鼻の付け根をつまんでいる。
重いアレルギー発作が出た人みたいな様子だった。
ワカナは、しんどいとは言わなかった。立ち姿はしっかりしている。
けれど、首筋と腕に、はっきりと赤い発疹が浮き出てきていた。
一面に広がっていて、皮膚の下から何かが滲み出しているみたいに見える。
ワカナも俺の視線に気づいて、自分でも腕を見おろした。
「うわっ……」
彼女は顔をしかめた。
「これってさあ、まさか呪術師の呪い?」
俺はすぐに知恵の書を開いて、自分のステータスを確認した。
新田真澄 Level 12
EXP 8980 / 204800
HP 709 / 720
MP 204 / 260
反応 17524
筋力 13522
霊感 15326
運 24
自由分配 8
外付けみたいなあの攻撃力は、まるで嘘みたいだった。今この戦況には、何の役にも立たない。
俺のHPは七百二十から七百九に減っていた。
減りは速くない。
ただ、攻撃を受けているということだけは、はっきりした。なのに、あの呪術師がどうやって俺たちに手を出しているのか、まったく見えない。
呪術師の呪いは、効果そのものは強くない。けれど、ずっと続いている。
少しずつ、少しずつすり減らしていく。場所のわからない、ゆっくりとした漏出みたいに。
胃のあたりから、危機感がじわじわと這いあがってきた。
『待って!HP減ってる!!』
『呪い!?』
『フェアリー気を失ったぞ!!』
『主、はやくそこから離れて!!』
『ワカナの発疹こわすぎる』
『サチがずっと咳してるの心配……』
俺はまずフェアリーをしっかり抱き支えてから、秘醸蜜の小瓶を取り出した。
口をこじ開けて、ゆっくりと飲ませる。
彼女のHPが少しずつ戻っていくのが見えた。呼吸が安定してきたのを確認して、ようやくほっと息を吐く。
それから、ピクシーの奴工を一人呼び出した。フェアリーを観の門まで連れて帰ってもらうつもりだった。
ところが、その子が転送口から出てきて、空中に二秒ほど浮いた瞬間――急に様子がおかしくなった。
体ががくがくと震え出し、口から泡を吹いて、落ち葉みたいに落ちていく。
手を伸ばしたが間に合わず、その子は地面に落ちた。全身を何度か痙攣させて、それから――止まった。
俺はしゃがんで確かめた。
死んでいた。
全員が、息を呑んだ……
早すぎる。
「この呪い、ピクシーへの影響、私たちよりずっと重い……」
ユウキの声は低く抑えられていた。地面のその子を見おろす表情は、明らかに沈んでいた。
「この呪いがどう発動してるのかが、わからないんですよ」
俺は立ち上がり、無理やり意識を集中させた。
「こいつから一定の範囲内にいたら呪われるのか、それとも、一度かかったら、そのままずっとついてくるタイプなのか」
「どっちにしろ、まずはここから離れよっか」
ワカナが言った。
腕の発疹をわざと視界に入れないようにしていた。
「ここに居続けたら、新しいピクシーは呼べないし、私たち自身もどんどん悪くなる一方じゃん」
「うん、離れたあとに、その呪いが一定の距離内でしか効かないかどうかも、ついでに確かめられるしね」
ユウキはそう言ってまたくしゃみをし、ぐっと息を吸い込んだ。
「早く行こう!」
彼女は涙目で、鼻にかかった声でそう促した。
俺たちはピクシーのタトゥーを起動して、空に舞い上がり、距離をとっていった。
あの「山林」から離れていくにつれて、めまいや吐き気の感覚が、確かに少しずつ和らいでいった。
さっきの高度まで戻ったところで、俺は秘醸蜜と秘醸酒を両方取り出した。
「飲んで」
みんなが順番に、それぞれ一口ずつ口にした。
しばらくして、ワカナの腕の発疹は薄くなりはじめ、サチの咳も止まった。ユウキは大きく深呼吸して、ようやく鼻が通ったのを確かめると、いかにも気持ちよさそうにため息をついた。
俺のめまいも、止まっていた。
フェアリーはまだ完全には目を覚ましていなかったが、顔色は先ほどよりだいぶ良くなっていて、まぶたが軽くぴくりと動いた。
俺は自分のステータスをちらりと確認する――HPの減少は止まっていた。
どうやら呪いの効果には、有効距離があるらしい。
『ステータス戻ったー!!』
『あの秘醸蜜、ほんと万能すぎ』
『フェアリー大丈夫??』
『ワカナの発疹も消えた!!』
『主、さっき全滅一歩手前だったぞ』
『秘醸蜜なかったら……考えたくない』
「もし秘醸蜜と秘醸酒がなかったら……」
俺の声には、紙一重で逃げ切ったというのが、まだ残っていた。
「たぶん、そんなに経たないうちに、あそこで全滅してましたね」
「あの呪いは、ほんとにずるいよね」
ユウキが言った。立ち姿も元どおりで、いつもの澄んだ表情に戻っていた。
「ゆっくりすり減らしていくの。まだ耐えられるって思わせておいて、気がつかないうちに全部、削りきっちゃう」
「呪いに作用範囲があるのは間違いないんですけど、その範囲をどうやって測ればいいかが、わからないんですよね」
俺は言った。
「近づきすぎると危ないし、遠くから撃っても急所には届かない」
「とりあえず、もう近づかないでおこ?」
サチがやっと普通に呼吸できるようになった声で言った。
俺の隣にすこし寄ってきて、下をゆっくり進む巨体を見おろす。
俺たちは高空をしばらく漂いながら、それぞれ黙って考え込んでいた。
「みんな……あいつをどうやって倒すか、何かアイデアあります?」
「うまくいくかは、わたしも自信ないんだけど……」
ユウキが先に口を開いた。
「あの体に生えてる木を、どうにか取り除けないかな? 本体は、たぶんあの中にいる。外側を全部剥いでしまえば、ようやく本物の弱点が見つかるかもしれない」
「とりあえず、できそうなのはそれくらいだよね」
ワカナがうなずく。
「でも、どうやって?」
サチの問いは、いちばん核心を突いていた。
俺は少し考えて、手持ちの攻撃手段を、頭の中でざっと並べてみた。
風魔法で木を吹き飛ばす?
葉っぱが何枚か散るくらいだろう。
ミストキャノンは、さっき試した。
当たっても効かないし、すぐに塞がる。
ピクシーはあの範囲内で数秒も持たない。そもそも近づけない。
「セバスチャン相手に使った、あの手を使ったとしても」
俺は首を振った。
「ピクシーを一人犠牲にして、あの大岩みたいな体に穴をひとつ増やすだけ。数秒もしないうちに、また塞がっちゃいますよ」
「じゃあさ、燃やすってのは?」
ワカナが言った。
言い方がまるっきり軽くて、今夜はすき焼きにしようかどうしようか、と相談してるみたいな調子だった。
「どうやって燃やすんだよ」
俺は彼女を見やった。
「ここに、火属性の魔法使える人なんていないだろ」
「マスミってさあ、ほんとに頭固いよね」
ワカナは長年連れ添った夫婦みたいな口ぶりで言った。
語尾には、ちょっと「もう、しっかりしてよ」という呆れが混じっている。
「あんた瞬間移動できるんだから、今すぐ戻って、ホームセンターで買い込めばいいじゃん――灯油、木炭、カセットボンベ、着火剤、ティッシュ、よく燃えそうなやつ全部。あの山の上にばらまいてさ、ライターでぽちっと火つけたら、まとめて燃え尽きるって」
「言うのは簡単だけどさ」
俺は言った。
「で、誰がその火をつけに行くんだよ? あの山の上で、ピクシーが数秒も持たないの見てたよな? 近づいたら死ぬのに、誰が灯油まきに行くんだよ」
「あんたの部下、ピクシーだけじゃないでしょ」
「あー……」
俺は少し考え込んだ。
「アンドリアス・サピエンスとか風霊鳥が、ライターの使い方わかるとは思えないんだけど」
「でも」
ワカナの口角が、すっと持ち上がった。
「ボカ.デ.クペで配下にした、あのチンピラの集団なら、わかるんじゃない? 山に火つけて回るのなんて、あの人たちの十八番でしょ?」
ワカナは、それはもう楽しそうに笑っていた。
『ワカナ天才!!!』
『マフィアに山焼かせるってwwww』
『ワカナ、さすが元ヤン草草草草草』
『毒をもって毒を制す、悪党には悪党だ!』
『この発想はワカナにしかできない』
『マスミの顔wwwwwww』
俺は頭の中で、その作戦を一通り走らせてみた。いけるんじゃないか?
やっぱり、面倒なことは卑怯な奴らに任せるに限る。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
面白いと思っていただけたら、
よろしければ ブックマークや評価、感想 をいただけると嬉しいです。
あなたの応援が、
これからの執筆の励みになります。




