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倒した敵は俺の力になる 〜魔物だらけのダンジョンを攻略しながら、ドロップ品を配信で売って一気に億万長者へ〜  作者: 上部乱
巽の塔ー風澤中孚

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第45話 ロブスター族のセバスティアン


夕陽が水平線に沈みかけ、島の砂浜はどこか不穏な橙色に染まっていた。


空気中の潮の香りが異常なほど重く沈んでいる。


フィールドの中央では、これまで優雅な紳士の振る舞いを崩さなかったセバスティアンが、仕立ての良い――だが先ほどの衝撃でわずかに乱れた――スーツの袖をゆっくりと捲り上げていた。


それは、ひどく奇妙な光景だった。


人間と同じ服を纏ったロブスターの亜人が、晩餐会でワインを注ぐかのように優雅な所作を見せながら、その身体には不穏な異変が起きていたのだから。


彼の両腕が徐々に膨らみ、変貌していく。

真紅の甲殻が皮膚の下から突き破るように現れ、肘から下の筋肉が激しく脈打つ。

次の瞬間、掌の代わりに、金属光沢を放つ巨大で強靭な二本のはさみがその姿を現した。


「我が遠古の祖――ロブスターの最も優れた点はどこだと思われますかな?」

セバスティアンは顔を上げ、少しだけ嫌そうに自らの巨大な両鋏を見つめた。


その口調は脅しというより、サイズの合わない制服に文句を言っているかのようだった。


「ええっと……ハサミが大きいところ? あとは、食べたら美味しいところとか?」

ユウキは勇気の剣を握りしめ、青く光る瞳で相手の動きを寸分違わず追っていた。


軽口を叩くことで、場に満ちる窒息しそうなプレッシャーを和らげようとしているのだ。


「確かに美味ですが……少々失礼ではありませんかな?」

セバスティアンは溜息を漏らすと、直後、その姿がその場からかき消えた。


『鬼みたいに速い!!』

『助けて、瞬間移動かよ!?』

『これ、絶対に文官の身体能力じゃないだろ!』

『ユウキ、逃げてー!!』


「速いっ!」

私は思わず叫んでいた。

私の視界の中では、セバスティアンはほぼ真紅の残像と化していた。


ユウキの反応も極限まで研ぎ澄まされていた。


影が肉薄した瞬間、彼女の身体は勇気の剣に引かれるようにして、脊椎が折れんばかりの勢いで上半身をのけぞらせた。


「うるさいな、お喋り男!」

ユウキは重心を失った隙を突き、手中の長剣を流れるように跳ね上げた。


剣道の論理とはかけ離れた、言わば曲芸のような繰り出し。


剣先が真っ向から狙うのは、セバスティアンの肘関節の下――甲殻と柔らかい身が繋がる、唯一の隙間だ。


それは、この鉄壁の甲殻における唯一の弱点。


セバスティアンの瞳にわずかな称賛の色が浮かんだが、彼は足を止めさえしなかった。


氷の上を滑るかのような軽やかな身のこなしで腰を捻ると、切っ先は甲殻の表面を擦り、火花を散らすに留まった。


「我々の特技が、速度だとは思わなかったでしょう?」

セバスティアンの声がユウキの耳元で響く。直後、巨大な鋏が低い風切り音を立てて彼女の頭上を薙いだ。


ユウキは再びあの奇妙な低姿勢で回避し、砂の上を一回転。剣先を支えにして、しなやかな猫のように跳ね起きた。


「私……理科の生物は昔から苦手だったんだから、そんな質問しないでよ!」

喘ぎながら反撃に転じる彼女の勇気の剣が、暗がりに幾筋もの鋭い蒼光を描く。


一振りごとに、セバスティアンの関節、脇、鋏の合わせ目といった急所を的確に突いている。


素人の目には神懸かり的な剣技に見えるが、格闘の心得がある者からすれば、その一撃一撃は道理を無視した出鱈目なものだった。


衝突のたび、鈍い衝撃音が周囲に響き渡る。


「我々は確かに、速度で勝負する種族ではありません」

セバスティアンは独り言のように呟きながら、わずかに腕を動かした。


鋏の背に叩きつけられた剣刃は、浅い白い筋をつけただけだった。

――本当に、かすった程度だ。


「この硬さ、反則じゃないの……っ!」

ユウキは奥歯を噛み締め、虎口に走る痺れに手を震わせた。


勇気の剣が微かに震えている。

それはまるで、目の前の敵が揺るぎない要塞であることを告げているかのようだった。


「防御力こそが、我ら一族の長所ですからな」

セバスティアンは攻勢を止め、静かにユウキの手元の剣を見つめた。


「拝見したところ、貴女の剣の使い方は常に意表を突く。人類の生理構造上、本来不可能なはずの動きで戦っておられる。

それが神格の器の力というわけですな?

剣術の未熟さを補うその力……貴女は剣を制御しているのですか? それとも、剣に制御されているのですか?」


「くっ、戦ってる最中にお喋りすぎ! 話がしたいなら、カフェで一杯頼んでからにしてよ!」

痛いところを突かれたユウキは、半ば逆上するように再び剣を繰り出した。


今度は、すべてを賭けた一撃。


彼女は身体ごと突っ込み、剣先にこれまでにないほどの蒼い輝きを凝縮させ、セバスティアンの鋏の付け根、その中心部へと一直線に突きを放った!


リスクはあまりにも大きい。


タイミングをわずかでも誤れば、剣を奪われるどころか、その腕ごと切り落とされかねない。


「この勝負が終わった後、その『コーヒー』という飲み物を是非ご一緒させていただきたいものですな。貴方方の街を訪れた際、一度試してみたいと思っていたのです」

セバスティアンは微かに微笑んだ。


その瞬間、彫像のように落ち着き払っていた彼の動きが、異様な次元まで加速した。

彼は精密な動作で、腕をわずかに引いた。


勇気の剣の剣身が関節を貫く寸前、鋸歯状きょしじょうの鋏の面によって、強引に、かつ完璧に「くわえ込まれた」のだ。


「まずいっ!」

ユウキの顔が瞬時に青ざめるのを私は見た。

彼女は必死に勇気の剣を引き抜こうとしたが、セバスティアンの鋏は施錠された金庫のように、微動だにしない。


「ついでに申し上げますと、我らロブスター一族の怪力は、海民の中でも指折りのものでして」

セバスティアンの言葉は謙虚だったが、その動作は容赦なかった。


彼は両鋏に力を込め、一気に振り抜いた。

巨大な真紅の鋏が、野蛮なまでの力で剣を上空へと放り投げる。


ユウキに抗う術はなかった。

両手は弾かれ、指先は過度な牽引によって硬直している。


蒼い光を放つ勇気の剣は、夕陽の残照の中で回転しながら舞い上がり、最後には「ギィィン!」という音を立てて、数十メートル先の岩礁の隙間に深く突き刺さった。


輝きが、消えた。


セバスティアンはその場に佇み、優雅かつ悠然とした姿を保っている。


彼はユウキの空になった掌を見、そして遠くの剣を見遣ると、外交官特有の慇懃な口調に戻った。


「さて。これでもまだ、コーヒーを奢らせてはいただけませんか?」

セバスティアンは、わずかに一礼した。


「……っ! あの剣だけが武器だと思わないで!」

ユウキは歯を食いしばった。

両手はまだ先ほどの衝撃で震えていたが、その瞳にはまだ鋭い光が宿っている。


彼女は遠くの岩礁に刺さった神器を拾いには行かず、そのまま腰のホルスターへと手を伸ばした。


カチリ。


波の音の中で、冷たく乾いた機械音が響き渡る。

セーフティを解除する音だ。


魔力の満ちた巽の塔の中で、現代工業の結晶であるその物体は、場違いなまでの威圧感を放っていた。


「銃……ですか?」セバスティアンは首を傾げ、鋏を構えたまま言った。


「『観の門』や『渙の泉庭』で、貴女の仲間たちが使っているのを見ました。あのアンドリアス・サピエンスたちには相当有効だったようですな」


「威力がわかってるなら、降参する気になった?」ユウキは両手で銃を構え、黒々とした銃口をセバスティアンの仕立ての良いスーツのど真ん中に向けた。


『現代兵器きたああ!!』

『警察官、最後のプライド!』

『でも……今のあいつの動きを見て、本当に当たるのか?』

『セバスティアンが冷静すぎて怖い……』


「降参?」セバスティアンは低く、喉を鳴らすように笑った。

「……なぜです?」


最後の言葉が落ちた瞬間、空気が刃で切り裂かれた。


セバスティアンの姿が再び赤い閃光と化す。

今度の爆発力は、これまでの戦闘とは比較にならないほど凄まじいものだった。


ユウキの食指が引き金を引き絞るよりも早く、その巨大なロブスターの亜人は、幽霊のように彼女の目の前に立ちはだかっていた。

広い肩が夕陽を完全に遮り、ユウキの視界は一瞬にして影に包まれる。


「遅すぎます」

驚愕に目を見開く人々が見守る中、セバスティアンは鋼鉄をも断ち切るその巨鋏を振るうことはなかった。


代わりに、彼はすべての殺気を霧散させると、ただ一本の鋏の先を伸ばした。それはまるで、幼い子供をあやすかのように、優しくユウキの額を弾いた。


――ピン。


それは、軽やかな「デコピン」だった。


一見、何でもない動作。

しかしそれは、ユウキの大脳皮質における信号連結を、精密かつ確実に遮断した。


ユウキは目の前が真っ暗になるのを感じた。脳が綿菓子の中に沈み込むかのように、意識が瞬時に遠のいていく。


彼女の手から力が抜け、警銃が砂地に落ちて鈍い音を立てた。支えを失った身体は、力なく前方へと倒れ込む。


しかし、想像していた地面への衝撃は訪れなかった。


セバスティアンの、あの猛々しく強靭な鋏が、今は驚くほどの繊細さを見せていた。


彼はユウキをしっかりと、そして静かに受け止めた。その動作は、夜通し読書をして疲れ果てた令嬢を抱きかかえる老執事のように、至極穏やかなものだった。


「お疲れ様でした。優秀なる異世界の戦士よ」


彼は顔を上げ、呆然と立ち尽くす我々の方を見遣った。その口調は、最初に出会った時と変わらぬ、非の打ち所がないほど丁寧なものに戻っていた。


「……これで、勝負は決した。そう思われませんかな?」



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


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