第22話 渡河
足元を這い回る巨根が、まるで消化器官のようにゆっくりとうごめき始めた。
元は硬かった木の床が、今は無数の湿った深い隙間を無音で作り出している。
無惨に残された骸や、地面を覆っていた粘ついた血は、地底からの強烈な引力に引きずり込まれるように、腐植土の臭いが漂う闇の中へとゆっくり沈んでいった。
壁に垂れ下がっていた青蔦は、我先にと下方へ伸び、まだ熱を帯びた肉体に鋭い先端を突き立てる。そこからは、背筋が凍るような微かな吸い上げる音が響いた。
一分も経たぬうちに、大広間からは硝煙の臭いと火薬の焦げ跡を除いて、血痕一つ、衣類の一片すら残らなかった。
裂けていた樹根は再び固く結ばれ、以前の平坦さを取り戻した。
唯一の違いは、周囲の樹が大量の養分を吸収したことで、先ほどよりもさらに不気味で透き通るような、鮮やかな輝きを放っていることだ。
この塔は魔法の産物であると同時に、生命体でもある。
それは「食事」をし、しかもかなりの大食漢だった。
配信チャット欄は一瞬の静寂の後、かつてないほどの驚愕と騒動に包まれた。
『迷宮が……死体を「食べた」のか? 衝撃が強すぎる……』
『物理的な証拠隠滅だ。火葬場より綺麗に消しやがった』
『DNAすら残ってないだろうな。これじゃ誰が死んだのかも分からない』
『助けて! 若菜の配信見ながら昼飯食おうと思ってたのに、吐き気がしてきた』
『上の奴、若菜の表情を見てみろよ。今にも泣き出しそうだぞ』
若菜の顔は、確かに蒼白だった。
この迷宮の内容を独占配信している実況者として、彼女は多くの奇妙な光景を見てきたが、人間を「肥料」として貪り食う原始的な生物本能には、精神的に限界を試される光景だった。
彼女は深呼吸をし、震える声を絞り出してカメラに向かった。
「皆さん……こ、これが『巽の塔』の真実です。心の準備をしてください。この配信は、どんなホラー映画よりも気分が悪くなるかもしれません」
俺は雷霊鳥の化身を解除し、霧散する電光の中で人間の姿に戻った。
サチは俺の衣の裾をぎゅっと掴んでいる。明らかに先ほどの光景に気分を害したようだ。
傍らの祐希さんは、まだ呆然としたままでいた。
彼女の前には三つの「観の門」がある。
先ほどの招かれざる客たちの狂乱によって、
彼女は進退窮まっていたのだ。
一人でなければ、
塔の仕組みを動かすことはできない。
塔の胃袋は大きい。
人数が増えれば、それだけ食欲も増すのだ。
震える彼女の背中を見つめ、少しからかってやろうかとも思ったが、今は心が和らぎ、口調も穏やかになった。
「さて、祐希さん」俺は彼女の隣に歩み寄った。
「邪魔な羽虫どもは追い払った。今は俺たちだけだ」
祐希さんは顔を上げた。その瞳には、まだ迷いと恐怖の残滓があった。
「俺たちは『観の門』の向こう側で待っている」
俺は彼女の肩を叩き、信頼の眼差しを向けた。
「君にその剣を振るってもらうことは、もう決めているんだ。迷うことはない。プレッシャーを感じる必要もないさ」
言い終えると、俺はサチとフェアリーを連れ、振り返ることなく光り輝く扉の中へと足を踏み入れた。
間もなくして、背後の光の霧が揺れた。
祐希さんが入ってきたのだ。
その足取りは先ほどよりも力強く、瞳には守護者としての意志が再び宿っていた。
同時に、ひときわ目を引いたのは、彼女の手に握られた、虚空から現れた長剣だった――
「勇気の剣」
剣身は深く、不吉な深紅を呈している。
光の下にあっても反射一つせず、まるで周囲の光とエネルギーを吸い尽くす細長いブラックホールのようだった。
「成功したの?」サチが興味津々に歩み寄る。
「その剣……すごく重そう」
「上出来だ」
俺は頷き、無駄なお世辞は言わなかった。
祐希さんは俺の淡白な反応を見て、何かを証明しようと焦っているようだった。
彼女は一歩踏み出し、細い指で俺の手首を掴んだ。その力は予想外に強かった。
「あの扉の向こうで、
私が何を経験したのか、知りたくないの?」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ、
切羽詰まったような口調で言った。
不意の身体接触に、
場の空気は一瞬で凍りついた。
サチとフェアリーが同時に顔を向け、四つの目が重なった俺たちの手を凝視する。
「君が話してくれるなら、
もちろん聞きたいと思っているよ」
俺は軽く咳払いをし、
さりげなく距離を置いた。
祐希さんは自分の失態に気づき、
顔を赤くして手を離すと、
深く息を吐いて説明し始めた。
「この剣は……握った瞬間、私に語りかけてきたの。
新しい敵と対峙するたびに、三つの『勇気』の中から一つを選んで加護を得られると」
「三つとは?」俺は尋ねた。
「覚悟の勇気、未知に立ち向かう勇気、
そして万全の準備の勇気」
俺はしばし沈黙した。
「具体的な内容は? 加護の効果は何なんだ?」
「そ、それは……まだ分からないの」
祐希さんは恥ずかしそうにうつむいた。
「能力の名前を教えられただけで、説明は何もなかったから」
「構わないさ」
俺は慰めた。
「俺の『知恵の書』も、
手に入れた当初は説明なんてなかった。
戦いながら、能力を試していけばいい」
俺はサチの方を向いた。
「君も『幸運の指輪』の能力を共有してくれないか?」
「いいよぉ!」
サチは楽しげに右手を掲げた。
その素朴な指輪は、
幽かな緑色の光を放っている。
「これね、
勇気の剣と同じで三つの選択肢があるの。
定められた運命、呼び寄せられた運命、
そして覗き見られた運命」
勇気の剣よりも、
さらに神秘的で危険な響きだ。
「今は『覗き見られた運命』の使い道しか分かってないんだけど」
サチは申し訳なさそうに首を傾げた。
「毎日一つだけ、
『必ず起こる』預言を見ることができるの」
「でも、
預言が実現するまでの時間がバラバラだし、
内容もいろいろで。
来年のどこかの日の天気だったり、
三十分後の道端の花のことだったり……
実用性は、
なんとも言えない感じかなぁ……」
「いや」
俺は彼女の言葉を遮った。
真剣な彼女の表情を見つめ、
確信を持って告げる。
「気づいていないのか?
君はすでに最も有用な預言を見たんだよ。
君が103歳で天寿を全うするまで、君はこの預言に守られ、実質的な『不死身』を得たんだ!」
サチは呆然とし、
すぐに顔を真っ赤にして慌てて手を振った。
「ええっ? 不死身?
なんだか凄くかっこいい!」
「これからは、毎日預言を記録する習慣をつけるんだ。できるだけ細かくね」
「うん、わかったぁ!」
配信チャットは再び熱狂的な議論を始めた。
『不死身の預言! この指輪、やっぱりチートすぎるだろ!』
『定められた運命……因果律兵器みたいな響きだな。サチが真の主人公か?』
『真澄の知恵、祐希の勇気、サチの運気。このパーティー、マジで無敵だろ』
俺たちはフェアリーの案内で、
再び「渙の泉庭」の、
内海のように広大な大河のほとりに辿り着いた。
河の流れは急で冷たく、
遠くには巨大な森林が地平線の向こうまで続いているのが見える。
悪意に満ちたこの環境で川を渡るのに、
泳ぐのは明らかに最も危険な選択だ。
「ご主人様、法術研究所の研究が完了しました。
浮空移動の結晶が構築されましたわ」
フェアリーは優雅に俺の前へ飛び、
小さな手で二つの緑色に透き通る魔術結晶を差し出した。
中には淡青色の気流が流れている。
「これは巽の塔内の風元素から派生した魔術結晶です。これを握れば、皆様のMPを吸収して浮空移動の魔法を発動させますわ」
彼女は二つの結晶をサチと祐希さんに手渡した。
二人は慎重に結晶を握り、自らの魔力を込める。
淡青色の風が彼女たちの足首を優しく包み込み、その体を軽々と地面から浮かび上がらせた。
「わぁ! 本当に飛んでる!」
サチは空中でアヒルのように手足をバタつかせ、興奮を隠せない。
祐希さんは対照的に慎重な様子で、
体勢を安定させると、
右手に深紅の勇気の剣を握りしめ、
警戒を露わに周囲を見回した。
俺に関しては、結晶は必要ない。
俺は再び「知恵の書」を起動し、
鋭い鳴き声と共に雷霊鳥へと化身した。
金属質の羽翼が力強く展開され、
青い電弧が水面にさざ波を立てる。
俺は上空を旋回し、この三人組の偵察と護衛を兼ねてとして位置についた。
俺たちはゆっくりと対岸へ向けて移動を開始した。
しかし、河の中央に差し掛かったその時、穏やかだった水面下に無数の巨大な影が浮かび上がった。
「気をつけろ! 水底に何かいる!」
俺は上空から雷鳴のような警告を発した。
ほぼ同時に、激しく流れていた河の水が、まるで巨大な力によって沸騰させられたかのように跳ね上がった。
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