第189話 牧場の新しい仲間
戦場は一瞬で静まり返った。残ったのは俺たち自身の荒い息遣いだけだった。俺は知恵の書を握りしめ、あの見慣れたメッセージが現れるのを待った。
ページがゆっくりとめくれ、金色の光が灯る。
『撃破:風沢の毒ヒドラ
経験値+410,000
ドロップ入手:風沢の毒ヒドラの毒触手』
「経験値、とんでもない量!」
ワカナが目を見開き、身を乗り出してその数字を覗き込んだ。
「あわや全滅しかけたことを考えたら、この難易度にしてはこれくらい妥当な気もする」
ユウキが苦笑しながら、まだ痛む腕をさすった。
ページがまためくれ、見慣れた文面が現れる。
『知恵の書の力により、風沢の毒ヒドラをあなたの――化身、従者、武装、どれにしますか?』
俺はページに並んだ三つの選択肢をじっくりと見つめ、慎重に考えた。
「今回のこいつの能力は危険すぎる。あの引力とあの馬鹿げた再生の仕組み、正直従者として側に置いておくのは気が引ける」
「じゃあ武装か化身?」
サチが首を傾げながら尋ねた。
「武装にしよう。少なくとも使うタイミングは俺がコントロールできる、暴走する心配もない」
俺は頷き、その項目を指先で軽く叩いた。
乾ききった泥からゆっくりと柔らかな光が立ち上り、少しずつ凝縮し、縮んでいったが、最終的にできあがったのはぼんやりとした、はっきりしない形の何かだった。空中に静かに浮かび、かすかな光を放ちながらも、頑なにはっきりとした形に落ち着こうとしない。
「あれ? なんでまだちゃんと形になってないの?」
ワカナが興味深そうにその光を突いてみたが、かすかな冷たさを感じるだけで、触れられる実体はなかった。
「もう少し時間が要るのかもな」
俺はまだ霞んだままのその姿を見て、ひとまずそのままにしておくことにし、代わりにそばに転がっているもう一つのドロップに目を向けた。
数本の切れた触手の断片が、乾いた泥の上に静かに横たわっていた。表面はかすかな淡褐色の光沢を帯び、細かい毛のような先端が時折震えている。
「これもまだ結構危なそうだな」
ユウキが警戒しながらその触手を見つめた。声に慎重さが滲んでいる。
「説明にはなんて書いてある?」
俺はページの補足文をじっくりと読んだ。
「携帯すると自動で毒のカウンターが発動する。近づいて攻撃しようとした者は勝手に絡め取られて反撃を受けるらしい。ただ――」
俺は一旦言葉を切った。
「切ると同じように出芽で増殖して、新しい個体になる」
「それ、めちゃくちゃ危なくない? 誰かがうっかり切っちゃったらどうするの?」
サチが不安げにその触手を見つめた。
「近接で戦う人に装備させて、カウンター武器として使うか?」
ユウキが提案した。
「少なくとも反応する時間は稼げる」
ワカナの目が不意に輝いた。何か素晴らしい考えを思いついたかのようだった。
「ねえ、これ、お金の匂いがしない?」
彼女は興奮気味に言った。
「お金?」
俺は瞬きをし、それから疑わしげに彼女を見た。
「また何か企んでるのか?」
「へへっ!」
ワカナが張り切って説明を始めた。
「益の回廊のこと覚えてる? あれ、もう完全に牧場になってるじゃない。風霊鳥が卵産んで孵化させて、ピクシーたちが育てて、安定してドロップ供給できてるでしょ。もしこの触手が出芽で増えるなら、それってつまり――」
彼女はわざと間を置いた。
「無限に再生産できる資源ってことじゃない!」
「つまり、益の回廊に持ち帰って養殖しようってことか?」
ユウキが考え込みながら言った。
「そういうこと!」
ワカナが得意げに片眉を上げた。
「渙之泉庭の栓を使えば必要な水は作れるし、益の回廊でヒドラを養殖して、ピクシーとゴブリンに世話させればいい。それにもっといい使い道もあるよ――これ、標準装備で毒のカウンターがついてるんだから、護身用グッズとして商品化したら絶対売れる!」
「護身用グッズ?」
サチが困惑しながら聞き返した。
「考えてみてよ、防犯スプレーとか防犯ブザーとか、めちゃくちゃ売れてるでしょ? 攻撃してきた相手に自動で巻きついて麻痺させる触手なんて、市場性やばいって!」
ワカナは話しながらどんどん興奮していき、目には商機を見出したような輝きが宿っていた。
「しかも供給の心配は一切ない、勝手に増え続けるんだから!」
俺はそんなワカナの意気込みを見て、思わず笑ってしまった。
「お前、一体どれだけ商才を隠し持ってるんだ?」
「ふん! 十九年間タダで貧乏やってきたわけじゃないんだから!」
ワカナが得意げに片眉を上げた。自信に満ちている。
イヤピースの中のコメントも興奮に沸き立った。
『ワカナの商才、鋭すぎる』
『毒触手護身グッズ、この時点で話題性ある』
『益の回廊牧場、また拡張されてく』
『これ普通に商品欲しくなってきた』
『食べられかけてから起業まで、この落差すごい』
「実際売れるかどうかは置いといて、益の回廊に持ち帰って養殖するのはいい考えだな」
俺は頷き、ピクシーに合図してその触手の断片を丁寧に回収させた。
「これで誰がこれを使うか揉める必要もない。みんなに一つずつ行き渡るまで量産すればいいだけだ」
「これ、実際にかなり経済的なやり方だね」
ユウキがワカナの企みに素直に感心しながら言った。
俺は知恵の書を握りしめ、経験値の数字が上がり続けるのを見守った。そしてついに、あの見慣れた光る通知が現れる。
『レベルアップ!
新田真澄――レベル24』
「レベル上がった!」
思わず笑みがこぼれた。馴染み深い力の高まりが内側から湧き上がってくる。
「私も!」
ワカナが興奮して叫んだ。ワカナ、ユウキ、サチのレベルアップ通知が同時に灯り、温かな力の高まりが一人ひとりを包み込んでいく。
「これぞ大漁だね」
サチが肩を回しながら微笑んだ。声には満足感が滲んでいる。
俺たちはしばらく戦いの後片付けに時間を費やし、それぞれピクシーの秘蜜を一口ずつ飲んだ。
サチの腕の痺れはすでに消えていて、残っているのはかすかな赤みだけだった。ユウキの怪我もほとんど問題なかった。ワカナは真理の鏡をのんびりと物色し、使い切った松明とナイフを補充する品を選んでいた。
「そういえば」
俺は少し離れたところで静かに立ち、翅を少し垂れさせているフェアリーに目をやった。胸の中に申し訳なさが湧き上がってくる。
「今回の戦い、本当にお前のおかげで乗り切れたようなものだ。あの栓を見つけて間に合わせてくれなかったら、たぶんそんなに長くは持ちこたえられなかった」
「本当にそう!」
ワカナが強く頷いた。声には本気の敬意が滲んでいる。
「一人であれを探しに行って、あの引力に逆らって飛んで戻ってくるまでしたんだから。本当に大変だったと思う」
サチも歩み寄り、フェアリーの頭をそっと撫でた。
「ありがとう、フェアリー」
フェアリーは一瞬固まり、頬をわずかに赤らめた。翅がまた新しい元気を取り戻したように動き始める。
「わ、私がやるべきことをしただけです! こういう時に何もしないなんて、ピクシーの女王としてどうなんですか!」
「でも実際に戻ってきた時にはもう戦いは終わってたよな。そのギャップ、なんか可愛いよな」
ユウキが我慢できずにからかった。みんなの間に小さな笑い声が広がる。
「そ、それはもう言わないでください!」
フェアリーは顔を赤らめながら抗議したが、口元に浮かぶ笑みは隠しきれていなかった。
雰囲気が和らぎ始めた矢先、一匹のピクシーが空中の光の裂け目から慌てて飛び出し、顔を強張らせたまま俺たちのもとへとまっすぐ飛んできた。
「主様! 緊急のお知らせです!」
ピクシーが息を切らしながら叫んだ。
「どうした?」
俺はすぐに身構えた。
「フィヨルニル様からのご伝言です、海民を通して届きました!」
ピクシーは深く息を吸い込み、言葉をはっきりと伝えようとした。
「フィヨルニル様が海民に仰ったそうです、今回は本当に巽之塔の主が変わるかもしれないと!」
「主が変わる――」
ユウキが微笑みながら俺を見た。
「乙姫様がその知らせを聞いて、主様の味方である以上、海民として何もせず黙って見ているわけにはいかないとお考えになったそうです」
ピクシーが伝言を続けた。
「すでに、以前私たちに挑んできたあの五人の戦士たちを、今回の助力として差し向けてくださいました!」
「あの五人?」
ワカナが一瞬固まり、それから目を輝かせた。
「まさか――」
「ニャリク、プルートゥンシャ、アラユ、マファガイス、それにセバスティアン」
俺は自分でも止められないほど自然にその名前を口にした。胸の中に、長らく感じていなかった懐かしさと興奮が湧き上がってくる。
サチも微笑んだ。
「また会えるなんて思ってもみなかった。不思議な縁を感じるね」
「あのヤシガニの人、相変わらず気が短いのかな?」
ユウキが笑いながら尋ねた。
「それは私には分かりませんが、すでに準備を始めていると聞いています。我が同胞がまもなくお連れするはずです」
ピクシーが正直に答えた。
イヤピースの中のコメントが興奮に沸き立った。
『ロブスター外交官セバスティアン、ついに来るのか?』
『ニャリク絶対喜んでる、いつも暇で仕方なさそうだったし』
『援軍来た、次のボス少し楽になりそう』
『中孚堂の懐かしい面々、久しぶりだね』
俺は戦いの跡が残る、少しずつ乾いていくその泥の一帯を見つめた。複雑ながらも、どこか地に足のついたような感情が胸に湧き上がってくる。ここまでの道のりは決して楽ではなかったが、どういうわけか、危機に見舞われるたびに、思いがけない支えが増えていく気がした。
「これからは、もう一人で戦うわけじゃなさそうだな」
俺は相変わらず風に覆われた果てしない先の景色を見つめ、知恵の書を強く握りしめた。胸の中に、長らく忘れていた励ましの感覚が湧き上がってくる。




