第186話 引き伸ばし戦術
ワカナが自由になると、俺たちは一旦息をつき、安全な距離まで下がって、濃い霧の中に立ち尽くすあの巨大なヒドラの体を見つめた。
「触手一本失ったんだから、しばらくは弱くなるよね?」
サチが泥の中でまだかすかに痙攣しているその切れた触手を見つめた。声には期待が滲んでいる。
だがそう言った瞬間、その切れた触手の根元がかすかに光り始め、傷口の組織が目に見える速さで再生していく。数秒のうちに、同じ傷口から真新しい触手がゆっくりと伸び、柔らかく揺れながら広がっていった。まるで先ほどの綱引きなど最初から存在しなかったかのようだった。
「は――生えてきた?」
ワカナが信じられないという顔で目を見開いた。
「再生能力は昔からヒドラの一番有名な特徴だ」
俺はその新しい触手を見つめながら、胸に重い無力感が広がっていくのを感じた。
「現実のヒドラは、体を切り刻まれても完全な体を丸ごと再生できるんだ」
「でも本物のヒドラって、こんなに速く再生するもんじゃないよね?」
ユウキが眉をひそめた。声に疑いが滲んでいる。
「そういう再生って、数時間、下手すれば数日かかるものだと思ってたけど、数秒で丸ごと触手一本再生するなんて」
「その通りだ……」
俺は新しく生えたその触手を見つめ直しながら、背筋に寒気が走るのを感じた。
「この速さ、まったく理屈に合わない」
「じゃあ、この再生能力も何かの力に支えられてるってこと?」
サチが推測した。背中の四本の機械の爪が、彼女の思考に合わせてかすかに震える。
「そうだとしたら、間違いなくこの場所の力が強化してるんだろう」
俺は歯を食いしばりながら分析した。
「純粋な物理攻撃だけじゃ、こいつを弱らせることはたぶんできない」
「じゃあ、前と同じように水を全部抜けばいいんじゃない?」
ワカナが当然のように提案した。
「そうだ、前のあの栓、まだこの近くのどこかに埋まってるはずだ」
一気に思い当たった。完全なる飛行者との戦いの後、あの栓は地面に落ちてからずっと水を生成し続けていて、誰もそれ以降触れていない。
「まずそれを見つけないと。だいたいどこに落ちたか覚えてる?」
ユウキが周囲を見渡した。声に迷いが滲んでいる。
「あれからかなり歩いてるし」
俺は先ほどの戦いまでの道のりを懸命に思い出し、あの栓がだいたいどのあたりに落ちたかを組み立てた。完全なる飛行者と戦った場所のあたり、水が広がっていった方向を逆にたどれば見つかるはずだ。今俺たちが立っているここからは、まだかなりの距離があるだろう。
「だいたいの方向は覚えてる。そんなに遠くはないはずだ」
俺は来た道を振り返りながら、頭の中で段取りを組み立てた。
「でもそれって、誰か一人抜けて戻って探しに行かせるってことになる。ここに残る人数が減るってことでもある」
イヤピースの中のコメントも落ち着かなくなってきた。
『いつもの手が今回は効かないのか』
『これ、前の二体より明らかに難易度高い』
『あの再生力おかしい、絶対何かに支えられてる』
『みんな落ち着いて考えて、絶対方法あるはず』
フェアリーは空中でホバリングしながら、眉をひそめてその水域の中心に立つ巨体をじっと見つめていた。羽ばたきが止まり、珍しく深く考え込んでいる様子だった。
「私が栓を探しに行きます」
彼女が不意に口を開いた。声には決意が滲んでいる。
「お前が?」
俺は驚いて瞬きをした。
「私はピクシーの女王です。誰よりも速く飛べます。水が広がった方向をたどれば、地上を歩くより私のほうがずっと早く見つけられるはずです」
フェアリーの羽が再び動き始めた。そこには頑固な決意があった。
「みんなはここに残って、あいつを食い止める方法を考えていてください。見つけたらすぐ戻ります」
俺は一瞬迷ったが、最後には頷いた。
「気をつけて。途中で何か危険なことがあったら、それを放り出してすぐ俺たちのところに戻ってきてくれ」
「分かりました!」
フェアリーの姿が残像を描くほどの速さで滲み、あの内向きの引力を押し切りながら、俺たちが来た方向へと一直線に飛び去っていった。すぐに濃い霧の中へと姿を消す。
「私たちはどうする?」
ワカナが不安そうに俺を見た。
「彼女が戻ってくるまで持ちこたえるだけだ」
俺は歯を食いしばりながら拳を握り、水域の中心に立つあの巨大なヒドラを見つめた。
「倒そうとしなくていい、押さえ込んで、これ以上誰も掴まれないようにするだけでいい」
ユウキが勇気の剣を握り直し、目つきを鋭くした。
「触手を切っても実際には弱らせられないなら、それは純粋に時間と距離を稼ぐためだけに使おう」
イヤピースの中のコメントも緊張の色を帯びていった。
『フェアリー一人で探しに行くの、大丈夫なのか』
『みんな耐えて、戻ってくるの待とう』
『この引き伸ばし戦術、なかなか厳しそう』
『ユウキ頑張れ、サチも頑張れ』
ヒドラは俺たちの陣形の変化を察知したらしく、触手を再び俺たちに向かって振るってきた。先ほどよりも速く、そして凶暴になっている。
「散開、交代で押さえ込め!」
俺は叫び、真っ先に距離を詰めた。迫る触手を一本かわし、近くにあった別の細めの触手に斬りつける。
ユウキがすぐ後に続き、剣を何度も閃かせて、自分に巻きつこうとしていた二本の触手を切り落とした。切られた部分は泥の上で痙攣していたが、巨大なヒドラの体はすぐにまた光を放ち、新しい組織を形成し始める。
「生えてきても構わず切り続けろ、少なくとも時間は稼げる!」
サチが叫び、背中の四本の爪を揃って振るい、さらに一本の触手を切り落とすと、その勢いのまま盾で別の攻撃を受け止めた。
ワカナもその隙を突き、機敏にかわしながら反撃した。鏡から包丁を取り出すと、触手の真ん中を一気に斬り、二つに切り分ける。
俺たちはこうしてかわしては反撃することを繰り返した。切っても切っても触手はすぐに生え戻り、水域全体が激しくかき乱され、泥と水があちこちに飛び散る。ものの数分で、合わせて七、八本の触手を切り落としたが、切り離された断片は泥や水の中で活発に動き回り、旺盛な生命力を見せつけていた。
「このペースだと、あいつの触手より先にこっちの体力が尽きそう……」
ワカナが息を切らしながら言った。額に汗が浮かんでいる。
「頑張れ、フェアリーはもうすぐ戻ってくるはずだ」
俺は歯を食いしばりながらみんなを励まし、絶えず新しい触手を再生し続けるあの巨体に視線を固定していた。周囲の泥や水の中に散らばった切れた触手の破片が、すべて同じように光り始め、かすかに痙攣していることには、まったく気づかないまま。
イヤピースの中のコメントも熱心に流れ込み続けていた。
『この引き伸ばし戦術、思ってたよりずっと激しい』
『みんなの連携すごい、ずっとお互いカバーしてる』
『フェアリー、もう見つけたかな』
『このヒドラのスタミナおかしい、無限に感じる』
俺たちはひたすら耐え続け、フェアリーが一刻も早くあの栓を持って戻ってきてくれることを、心の中で祈り続けた。




