第183話 風纏う爪
かつて完全なる飛行者だったそのリュックサックは、水たまりの上で静かに浮かんでいた。デザインはあまりにも地味で、みんなを少し困惑させた。焦げ茶色の外殻にはかすかに硬質な光沢があり、かつての分厚い毛皮の質感がその表面にうっすらと残っている。
「これ、どうやって使うんだろ」
ワカナが興味深そうに突いてみたが、リュックサックはまったく反応せず、ただ静かに浮かんでいるだけだった。
「誰か背負ってみたほうがいいかもな」
俺は提案した。
「私、試してみる!」
サチが真っ先に手を挙げた。両手の盾を一旦ユウキに預け、俺がベルトを締められるよう背中を向ける。
留め具が締まった瞬間、リュックサックがかすかに震え、その表面の質感がぼんやりとした藍色の光を帯びた。そしてすぐに、その縁に沿って四本の継ぎ目が開き、中から太い機械の四肢がゆっくりと伸びてきた。先端はかつての完全なる飛行者とまったく同じ太く湾曲した鉤爪で、まるで自分の可動域を確かめるかのように空中で伸び縮みを繰り返している。
同時に、俺の腕の中の知恵の書が独りでに新しいページを開き、見慣れた金色の光がページから立ち上った。
システムメッセージがゆっくりと現れる。
【入手:風纏う爪】
「わっ!」
サチが驚いた声を上げ、背後で何が起きているのか見ようと体をひねった。四本の爪はその動きにぴったり合わせて角度を調整し、まるで自分自身の意志を持っているかのように軽やかに動きながら、彼女の両脇でぴたりと待機の体勢を取った。
「風纏う爪……ぴったりの名前だな」
俺は本をみんなに向け、詳細を見えるようにした。
【風纏う爪】
四肢独立制御、防御と攻撃の同時実行が可能
爪の貫通ボーナス:1.3倍
高速飛行の残留効果:短距離ダッシュ
所持者が防御姿勢を取ると自動でカウンター発動
「四肢独立制御……」
ユウキが文面を読み、考え込みながら頷いた。
「つまり両手で盾を持ってても、この四本の爪は自分で判断して防御したり攻撃したりできるってことか?」
ワカナは呆気に取られたように見つめ、しばらくしてようやく言葉を絞り出した。
「こ、このデザイン、めちゃくちゃ既視感あるんだけど!」
「既視感?」
サチが困惑して首を傾げた。
「スパイダーマンの映画、見たことない?」
ワカナが身振り手振りを交えながら説明しようとした。
「ドクター・オクトパスの背中についてた四本の機械触手、これほぼそのままじゃん!」
ユウキも思わず笑ってしまった。
「確かに一理あるな。サチ、ほぼオクトパス博士になってるじゃないか」
「いや待って、ちょっと待って」
ワカナは何か別のことに思い当たったらしく、眉をひそめながらまた爪の動きを観察し直した。
「見た目はオクトパス博士っぽいけど、自分で判断して防御したり攻撃したりするあの感じ、むしろアイアンマンが後でスパイダーマンのために作った、あのアイアン・スパイダーのスーツに近い気がする。あれも背中に機械の脚がついてて、勝手に動いて攻撃してくれて、着てる本人の両手は自由に使えるようになってたし」
「そう言われると、確かにそっちのほうがしっくりくるな」
ユウキが頷いた。声には同意の色が滲んでいる。
「オクトパス博士のは人を傷つけるために作られたものだけど、これは明らかにみんなを守るために作られてる。目的がまったく正反対だ」
「二人とも、そのオクトパス博士の話やめてよ!」
サチが顔を赤くして抗議しながらも、興味津々で背中の四本の爪をあれこれ動かし続けていた。時には刃のように鋭く構えを取らせ、時には防御の姿勢に引き寄せて、思いつくままに滑らかに切り替えていく。
「もう盾だけで受け止める必要はなさそうだな」
彼女がどんどん操作に慣れていく様子を見て、俺の中に確かな満足感が広がっていった。
「両手で防御しながら、背中の四本で自分から攻撃を仕掛けられる」
サチはユウキから翠甲羅を受け取り、両手で防御の構えを取った。それに合わせて背中の四本の爪も同時に持ち上がり、攻撃の姿勢を模倣する。その組み合わせは驚くほど調和していた。正面からの攻撃をしっかりと受け止めながらも、左右や背後からの脅威にも柔軟に対応できる。
「これすごい、やっと肉壁以上の何かになれた気がする!」
サチは嬉しそうに体を回転させた。四本の爪も彼女の動きに合わせて空中に美しい弧を描いていく。
フェアリーがサチのそばに飛んでいき、その四本の爪を興味深そうに観察した。
「私たちのチーム、攻守がだいぶ完成に近づきましたね」
俺は知恵の書を握りしめ、経験値の数字が着実に上がっていくのを見守った。そしてついに、あの見慣れた光る通知が現れた。
『レベルアップ!
新田真澄――レベル23』
「レベル上がった!」
思わず笑みがこぼれた。馴染み深い力の高まりが内側から湧き上がり、全身が新しく満たされていく感覚がある。
「すごい、今回はちゃんと取り戻せたな」
ワカナが笑いながら俺の肩を叩いた。
俺は頭の中で新しく手に入った自由割り振り可能なステータスポイントを確認し、少し考えてから、あらゆる能力値に均等に振り分けた。全体的な力をバランスよく伸ばしていく。
「そういえば」
ユウキが周囲を見渡しながら、急に真剣な口調になった。
「ここまで出会った敵、全部ボスクラスばかりで、雑魚モブには一体も遭遇してない。これ、ちょっとおかしくないか?」
俺は一瞬考え込んだ。言われてみれば確かにそうだ。この巽之窗に足を踏み入れてから、大地の盗人と完全なる飛行者以外、下級の敵には一体も出会っていない。渙之泉庭や中孚堂の構成とはまったく違う。
「ここの敵、ランダムに湧いてる感じじゃない気がする」
サチも考え込みながら口を開いた。
「なんていうか……最初から意図的に配置されてて、俺たちが一体ずつ順番に相手をするのを待ってたみたいな」
俺は風に覆われた果てしない荒野を見つめた。胸の中に、正体のはっきりしない警戒心が湧き上がってくる。もしここのすべての敵が本当に意図的にボスとして配置されているのだとしたら、この巽之窗は俺たちが想像していたよりもずっと複雑で、ずっと危険な場所なのかもしれない。
「まあ、今考えすぎても仕方ない」
俺は首を振り、その疑念をひとまず脇に押しやった。
「とりあえず先に進もう」
俺たちは隊列を整えた。真新しい風纏う爪を身につけたサチが先頭に立ち、一歩進むたびに四本の機械の爪が緩やかに揺れる。これまで見たことのない自信と落ち着きが彼女から滲み出ていた。
頭上の暴風は相変わらず止むことなく唸り続け、収まる気配はまったくない。俺たちは一歩ずつ荒野の奥へと進み、次に待ち受けている未知の試練を探していった。
ワカナのイヤピースとカメラはずっと安定して稼働し続け、チャットも賑やかに盛り上がっていた。
『風纏う爪、名前がいいね』
『サチもう無敵じゃん』
『それにしても本当に雑魚モブ一体もいないの、考えるほど不気味』
『まあいいや、この配信ハマってるから続けて』
俺は遠くにまだ霞んでいる荒野の果てを見つめ、深く息を吸い込み、知恵の書を強く握りしめて、みんなを先へと導いていった。




