第182話 完全なる飛行者を撃ち落とす
かつて圧倒的な速さと稲妻で俺たちを見下ろしていたあの生き物は、この霧に包まれた戦場でひどく無様な姿を晒していた。羽ばたきはもう以前の稲妻じみた速さについていけない。
「二つの得意技、両方とも封じられてる。今が最大のチャンスだ」
俺はふらつきながら空中を漂うその巨体を見つめ、頭の中で次の一手を素早く組み立てた。
「今度こそ決めるよ!」
サチが珍しく闘志を燃やしていた。
翠甲羅を構え、水しぶきを上げながら水たまりの中へまっすぐ進んでいく。顔には恐れの色一つない。この子の辞書には「死ぬのが怖い」という言葉がそもそも存在しないらしい。
「本当に大丈夫?」
ワカナが心配そうに声をかけた。
「大丈夫、今年はまだ百三歳じゃないもん! あと八十何年か待たないと、あいつには私を殺せないよ」
サチはにやりと笑い、その生き物の前にしっかりと立ちはだかった。両手に一つずつ盾を構え、真正面から向き合う。
その生き物も自分がまずい状況に陥ったと悟ったのか、苛立たしげな唸り声を上げると、翼を勢いよく畳んでサチに向かって急降下してきた。顎と四本の鉤爪、すべてを同時に繰り出す。湿気で弱まったとはいえ、その勢いにはまだ恐ろしいほどの重みがあった。
「来い!」
サチはひるむことなく両方の盾を交差させ、その急降下してくる一撃を真正面から受け止めた。
轟音が響き、翠甲羅とその硬化した爪が正面からぶつかり合い、水しぶきが輪を描いて舞い上がった。サチの踵は水底に二本の深い溝を刻んだが、それでも彼女は一歩も下がらず、その場に完全に踏みとどまった。
「サチの防御、めちゃくちゃすぎる!」
ワカナが呆然と叫んだ。
イヤピースの中のコメントが一気に沸き立った。
『サチが正面から受け止めたのかっこよすぎ』
『予言持ちタンク本物すぎる、壁みたいに立ってる』
『あの盾の耐久力おかしい、傷一つついてない』
『この戦いのテンポ本当にいい、長引くほど面白くなる』
見た目こそ小柄で華奢な、儚げな女の子に見えるが、実際には風霊鳥と承風鈴の力を両方とも全開で受けている状態だ。もし百人のコーディ・ローデスと百人のジョン・モクスリーが一斉に襲いかかってきたとしても、彼女はあくびをして体をかきながら、その全員の攻撃を受け止めきってびくともしないだろう。
生き物はその正面衝突で弾かれ、空中で体をふらつかせた。相手が避けもせず、弱まった自分の攻撃を正面から受け止めてくるとはまったく予想していなかったらしい。怒りのままにまた顎を開き、稲妻を溜めようとしたが、生み出せたのはわずかな弱々しいアークだけで、それすらまともに形になる前に湿った空気の中へと溶けて消えていった。
「もうほとんど電気を生み出せなくなってる!」
ユウキがその変化を鋭く捉え、勇気の剣を握り直した。青い輝きが霧の中でくっきりと際立っている。
「サラダ、逃がすな!」
俺は水たまりの中を軽々と泳ぐサラダに向かって叫んだ。
サラダは低い唸り声を上げると、その湿った体で驚くほど機敏に水を切り、四肢を凄まじい速さで漕いだ。彼女はその生き物の真下へまっすぐ突っ込むと、その後ろ脚の一本に鋭く食らいつき、力ずくで引きずり下ろす。これでこの水浸しの戦場から逃げ出し、乾いた地面に戻って充電し直そうとする試みを完全に断ち切った。
「逃げようとしてる、サラダが押さえ込んでる!」
サチが叫び、その隙を突いてまた前に踏み込むと、翠甲羅の縁をその生き物の脇腹に強く叩きつけた。生き物からまた苦悶の悲鳴が漏れる。
サチとサラダに挟み撃ちにされた生き物は、空中で四肢を激しく振り回し、鉤爪を何度もサチの盾に擦りつけたが、その見かけによらず絶対に破れない防御線を突破することはできなかった。もがけばもがくほど、サラダの噛みつきはさらに強まっていき、どれだけ翼を速く羽ばたかせても、あの頑固な拘束を振りほどくことはできなかった。
「もう手がない!」
ユウキが好機を見て取り、叫んだ。
「私の番だ!」
ユウキは強く地を蹴り、体が残像となって滲むほどの速さで駆け抜けた。翠甲羅の一撃が作った隙を突き、剣をその生き物の胸に真っすぐ突き立てる。
剣が貫いた瞬間、巨体が激しく痙攣した。血のように赤い目が大きく見開かれ、そのまま一気に光を失う。分厚い毛皮に残っていたかすかな電光もすべて消え去った。巨体は力なく水たまりの中へと落ち、大きな水しぶきを上げた。
戦場は一瞬で静まり返った。残ったのは相変わらず唸り続ける風の音と、水たまりに広がっていく波紋だけだった。
「勝った……」
ワカナが水の中にへたり込んだ。声には生き延びた余韻でかすかな震えが滲んでいる。だがふと何かを思い出し、慌てて胸のカメラと耳のイヤピースを確認した。
「あれ? これ、水に浸かってもまったく平気なんだ?」
「防水加工してなかったのか?」
ユウキが驚いた様子で彼女を見た。
「してたけど、ここまで持つとは思ってなかった!」
ワカナは手首を上げ、カメラを自分に向けてアピールした。映像は相変わらず鮮明で安定している。
「これ、わざわざ奮発した最高級品なんだよね。結構な『予算』使っちゃった」
イヤピースの中のコメントが賑やかに沸き立った。
『ワカナのステマ、なめらかすぎて笑う』
『実際いくらしたのか気になる』
『あの防水性能、絶対高級機材だ』
『いくらだったとしても、この配信映像には見合う価値あった』
『ワカナの機材ストック、他に何隠れてるんだろ』
「教えない、企業秘密!」
ワカナはいたずらっぽくウインクした。戦い全体を通して張り詰めていた緊張が、ようやく解けていく。
俺は水たまりに沈んだその巨体を見つめながら知恵の書を握りしめ、見慣れたメッセージが現れるのを待った。
ページがゆっくりとめくれ、金色の光が灯る。
『撃破:完全なる飛行者
経験値+230,000
選択:武装/従者/化身』
「よし、これもうまくいったな」
俺は息を吐き、ページをみんなに向けた。
「いつも通り、どれか選んでくれ」
「これ、攻撃力かなり強かったし、従者にするのはちょっと危なくない?」
ワカナが迷いながら言った。
ユウキが考え込みながら口を開いた。
「飛行能力と速さは本当にすごかった。武装として取り込めれば、俺たちも同じような機動力を得られるかもしれない」
サチも考えてから頷いた。
「それに、ジェリーほど大人しくない感じだったし。従者として制御するのは難しそう」
俺はページに並んだ三つの選択肢をじっくりと見つめた。
「じゃあ武装にしよう。その能力を自由に使える装備に変えるほうが、いつ牙を剥くか分からない獣を側に置いておくよりずっといい」
俺はページの「武装」の項目を指先で軽く叩いた。水に沈んだままの体からゆっくりと柔らかな光が立ち上り、少しずつ凝縮し、縮んでいき、最後に形を成したのは――リュックサック? それは静かに俺たちの前に浮かび、拾い上げられるのを待っていた。
俺は知恵の書を握りしめ、経験値の数字が上がり続けるのを見つめた。胸の中に期待が湧き上がってくる。今回こそ、レベルアップが見えてきそうだ。
俺はスマホのチャット欄にちらりと目をやった。投げ銭をしていない視聴者たちも、まだ熱心に話し込んでいる。
『この戦い、最初から最後まで最高だった、満点』
『サチのタンクぶり、おかしすぎる』
『サラダ、めちゃくちゃ頼れる隠れヒーローだったな』
『ねえ、ここ変じゃない? 雑魚モブが一体も出てこなくて、最初からずっとボス戦ばっかりなんだけど』
『上の人考えすぎ、次のボス楽しみにしてるだけでしょ、どんな試練来るんだろうな』




