第178話 止まない風
大地の盗人がいた陥没穴は、舞い散る砂埃の下にゆっくりと姿を消していった。俺たちはしばらくその場に立ち、傷んだ装備を整えてから、荒野の先へと進み始めた。
「そういえば」
ワカナが手首を回しながら、何かを思い出したように言った。
「風霊鳥、もう一回呼んで強化かけ直したほうがいいかな。この先何が出てくるか分からないし」
俺はほとんど反射的に頷きかけたが、口を開きかけたところで動きを止めた。
ワカナも俺が何に気づいたか察したらしい。
「さっきの戦い、最初から風霊鳥の効果、止められてたんだよね……」
あの暴風に襲われた瞬間、鳥たちの歌はほぼ即座に断ち切られていたはずだ。それ以降、強化は実質何の役にも立っていなかった。俺たちはただ状況判断とチームワークだけで乗り切ったことになる。
「それでも、進む前に一応呼んでおこう」
俺は益の回廊へと繋がる扉を再び呼び出した。翡翠色の羽を持つ鳥たちが数羽飛び出し、俺たちの周りを旋回しながら澄んだ歌声を響かせる。あの馴染み深い力が、また俺たち一人ひとりを包み込んでいった。
土色の荒野を進み続ける。足元は今や安定していて、あの恐ろしかった陥没の脅威はすっかり消えていた。頭上の風だけが、相変わらず止むことなく唸り続けている。
ジェリーは静かに俺たちのそばについてきた。四本の脚で凸凹の地面を着実に踏みしめ、その足取りは意外なほど速く、俺たちの飛行速度にも軽々と合わせてくる。時折立ち止まっては、あの新しくなった目で周囲を警戒するように見渡す様子は、まるで忠実な護衛役を務めているかのようだった。
ワカナが不意に何かを思い出し、真理の鏡を探り始めた。鏡の表面が波打つ。
「あ、そうだ。スマホの画面、もうバキバキになっちゃったし。さっきの戦い、いい映像撮れてないと思うんだよね。新しい機材、出しておこうかな」
彼女は鏡の中から薄くて小さな機器と、調節可能な胸ハーネスを取り出した。ハーネスの中央には丸いレンズがきれいに埋め込まれていて、耳にかけるための小さなイヤピースも一緒についている。
「それ何?」
サチが興味深そうに顔を寄せた。
「スポーツ用のアクションカメラ!」
ワカナは満足げに言いながら、ハーネスを胸に装着し、レンズがまっすぐ前を向くように角度を調整した。
「これならずっとスマホ持ってなくて済むし、映像も揺れにくくなるし、それに――」
彼女は小さなイヤピースを指した。
「投げ銭してくれた人が音声コメント直接送れるようになるから、いちいち読み上げなくてよくなるんだよね、めちゃくちゃ便利!」
そう説明しながら、彼女は一人ひとりにイヤピースを配った。
俺たちがイヤピースを装着すると、機器が起動した瞬間、澄んだ通知音がいくつか鳴り、すぐに視聴者たちの声が次々と流れ込んできた。
『ワカナ、この新しい機材めちゃくちゃ本格的!』
『やっとコメント読み上げ待たなくて済む、効率アップだね』
『ねえ、あの魚どうなった、今どこにいるの?』
『ジェリー頑張れ! チーム入り歓迎!』
「みんなジェリーのこと気になってるみたい」
ワカナが振り返って微笑み、レンズを俺たちの後ろについてくる四本脚の魚に向けた。
「ほら、みんなに挨拶して!」
ジェリーは頭を上げ、平たい目を瞬かせると、少しぎこちない低い鳴き声を上げた。イヤピースの向こうで笑い声と嬉しそうな歓声が広がる。
サチがしゃがみ込み、ジェリーの鱗に覆われた体をじっと観察していたが、ふと何かに気づいたように首を傾げた。
「これ、ちょっとサラダに似てない?」
「サラダ?」
ユウキも立ち止まり、サチの視線を追ってジェリーを観察した。
「うん、この湿った質感とか、この機敏とはいえない四本の小さい脚とか、確かにサラダに少し似てるかも」
サチは両手で身振りを交えながら、声には本気の観察の色が滲んでいる。
ワカナも身を乗り出して観察し、不意に噴き出した。
「言われてみれば、この二匹並べたら両生類・爬虫類の姉妹クラブでも結成できそう」
「サラダのほうがずっと大人しいけどね。ジェリーはさっき私たちを生き埋めにしかけたし」
ユウキが呆れたように笑いながら、ジェリーの頭をそっと撫でた。ジェリーはその手に大人しく身を委ね、四本の脚を少し動かした。まるでその撫で方を本当に気に入っているかのようだった。
「どうかな。サラダと初めて会った時、彼女は螈人の軍勢を丸ごと率いて俺たちを襲わせてきたんだぞ、覚えてるだろ」
俺は笑いながら言った。
イヤピースの向こうでまた賑やかなコメントが流れた。
『確定、サラダの親戚!』
『いつかジェリーとサラダ、会えるといいね』
『これもう両生類・爬虫類の一族再会企画立ち上がってない?』
『いや待って! ジェリー魚だから!』
「そういえば、サラダって最近どうしてるかな」
歩きながら、ワカナがふと懐かしそうに尋ねた。
「観の門を出てからだいぶ経つよね」
「たぶん呑気に過ごしてるんじゃないかな」
俺は微笑みながら、どこかでのんびり日向ぼっこをしているであろうあの霧甲螈の姿を思い浮かべた。
「俺たちがこっちで何を経験してきたかなんて、たぶん想像もつかないだろうな」
「このフロアクリアしたら、ジェリー連れて彼女に会わせに行かなきゃ」
サチが目を輝かせながら提案した。声には子供のような期待感が滲んでいる。
「案外気が合うかもね」
ワカナも口を挟んだ。
「二匹とも、無口だけど頼りになるタイプだし」
ジェリーは話の内容が分かっているかのように、平たい頭を少し傾け、かすかな低いうめき声を漏らした。それが賛成なのか、それとも違うのかは誰にも分からなかった。
そんな話をしながら荒野をゆっくりと進んでいく。雰囲気は珍しいほどのんびりとしていた。俺たちはかなりの距離を踏破していて、周囲は相変わらず果てしなく続く土色の地形で、深さの違うひび割れがところどころに残っている以外、進んだことを示すものは何もない。唯一変わったのは頭上の空の色で、一歩進むごとに少しずつ、色合いが深くなっていくように見えた。
いつからだったか、はっきりとは分からないが、風の音が変わり始めていた。
最初はごくわずかな違いだった。あのはっきりと下向きだった圧力に、横から、さらには下からも吹き上がる気流が混ざり始め、まるで別の力が静かに割り込んできて、これまで一方向だけだった風の流れをかき乱しているかのようだった。
「この風……」
ユウキが不意に立ち止まり、空を見上げた。眉がかすかに寄っている。
「さっきまでとは、なんか違う気がする」
俺も立ち止まり、周囲で変化する気流に意識を集中させた。あの重々しい下向きの圧力はまだ残っているが、そこに新たな混沌の層が加わっていた。あらゆる方向から一斉に風が吹き込み、左から強く叩きつけてきたかと思えば、次の瞬間には前触れもなく逆向きに変わり、目を閉じずにはいられないほどの砂埃を巻き上げていく。
「風向き、めちゃくちゃになってる」
ワカナが顔を庇うように手を上げた。声に不安が滲んでいる。
「さっきまでのあの一定した下向きの押しとは全然違う」
フェアリーは空中で懸命にバランスを保とうとしていたが、乱気流に激しく煽られていた。
「この気流の変化……普通じゃない気がします。もう同じ力じゃないみたい」
俺は砂埃に覆われた空を見上げた。胸の中に、正体のはっきりしない警戒心が湧き上がってくる。もし大地の盗人の縄張りがあの安定した重い下向きの力に支配されていたのだとしたら、目の前でますます混沌として予測不能になっていくこの気流は、俺たちがまったく別の領域に近づきつつあることを意味しているのではないか。
「みんな気を引き締めろ」
俺は静かに言い、知恵の書を握りしめた。
「この風、制御を失いかけてるみたいだ」
風の轟音の下から、かすかな、雷にも似た轟きが遠くから漂ってきていた。一歩進むたびに、それは少しずつはっきりとしてきていた。




