第175話 ゆっくりと崩れゆく足場
あの霞んだ人影は、遠くの荒野の中心に依然として動かず佇んでいた。渦を巻き続ける砂埃の向こうで見え隠れし、はっきりと形を捉えることができない。
「あれ、何?」
ワカナが目を細め、遠くの姿を懸命に見ようとしたが、砂埃に何重にも覆われた、低く縮こまった輪郭しか読み取れなかった。
「遠すぎて、実際の姿までは分からない」
ユウキも目を細めながら、声に警戒を滲ませた。
「でも、動いてはいないみたいだ」
俺もその霞んだ姿をじっと観察してみたが、ユウキの言う通りだった。あれはまったく動いていない。ただその場にうずくまったまま静止している。
そのとき、足元にかすかな震動が走った。
「下から――!」
サチが叫んだ。俺がはっと視線を落とすと、足の脇の地面がゆっくりと陥没し始めていて、自分の足跡を中心に、浅いひび割れの輪が外側へと広がっていく。
「俺たちを狙ってる!」
俺は息を呑んだ。一気に理解が追いついてくる。あれは自分の周囲の地面を狙っているわけではない。俺たち一人ひとりが立っている、その場所そのものを狙っているのだ。
「立ってる場所を追いかけてきてる!」
ワカナとユウキもぎょっとして足元を見下ろした。案の定、二人の足元にも同じようなひびが現れ、じわじわと広がり始めている。
「あいつがどこにいようと、私たちがどこかに立ってさえいれば、その位置をロックオンして地面を食い荒らせるってこと?」
ユウキが歯を食いしばりながら言い、勇気の剣を握る手に力を込めた。
「じゃあどうすればいいの?」
ワカナが不安げに俺を見た。声にかすかな震えが滲んでいる。
「向こうから来ないなら、私たちはずっと場所を変え続けて逃げ回るしかないってこと?」
俺は足元でゆっくりと広がっていくひび割れの輪を見つめた。心臓がずしりと重くなる。もしあれが本当に俺たちの立っている場所そのものを狙っているのなら、理屈の上では、動き続けている限り追いつかれることはないはずだ。だがそれは同時に、一瞬たりとも足を止めて息をつく余裕がないということでもある。
「自分たちから距離を詰めるしかない」
俺は歯を食いしばりながら決断した。
「向こうに好き放題追い立てられるくらいなら、こっちから真っ直ぐ向かっていく。そのほうがまだ主導権を握れる」
ユウキが勇気の剣を握り直した。
「あいつの攻撃、即座には発動しないみたいだ」
「そう、そこが唯一の勝機だ」
俺は足元のひび割れの輪を見つめ、その過程を丁寧に観察した。地面は一気に崩れるわけではない。最初にかすかなひびが入り、そのひびが少しずつ広がり、最後になってようやくその一帯が完全に陥没して消えてなくなる。
「動き続けてさえいれば、あいつの力は今立ってる場所に追いつけない」
「つまり、十分な速さで走り続ければ……」
ユウキが考え込みながら言葉を継いだ。
「あそこまで一気に押し込める」
俺は頷き、拳を握りしめた。
「みんな聞いてくれ、動き出したら一箇所に長く留まるな。地面が揺れ始めたと感じたら、すぐに動くんだ」
フェアリーは羽を懸命に羽ばたかせ、何度も浮き上がろうとしたが、どれだけ頑張っても両足は地面にしっかりと張り付いたままだった。せいぜい体を少し軽くして、着地の衝撃を和らげる程度にしかならない。
「これ……何これ?」
彼女は自分の足元を見下ろした。声には珍しい戸惑いが滲み、本当に何が起きているのか理解できていないようだった。
「生まれてから一度も、『歩く』ってこと経験したことないのに……」
そこで俺はようやく気づいた。フェアリーにとって飛ぶことは「技術」ではなかったのだ。呼吸と同じくらい当たり前の、彼女の存在そのものだった。今、無理やり地面に縛りつけられて、彼女は本当にどうしていいか分からなくなっている。
彼女は恐る恐る一歩踏み出したが、全身がぐらついた。細い脚が凸凹の荒野の上でまったく慣れていない様子で、生まれたばかりの何かが初めて立ち上がろうとしているかのようだった。
「うわっ……」
小さく声を上げてまたよろけ、両腕を広げてバランスを取ろうとする。
「『歩く』ってこんなに難しいものだったの?」
そばで見ていたワカナは、笑いたいのと同情するのとの間で揺れながらも、表情を真剣に保とうと堪えた。
「重心が高すぎるんだよ。歩幅を大きくすれば、もっと安定するから!」
「お、大きく……」
フェアリーは眉をひそめながら懸命に歩幅を調整しようとしたが、その動きはまるで一度も理解したことのない儀式を真似ているかのようにぎこちなかった。背中の羽は絶えず震え、少しでも歩く負担を分け持とうと、一歩一歩を軽くしようとしていたが、どうしてもあの滑らかで自然なリズムが掴めない。
「主様、私のことは気にせず。ちゃんとついていけますから!」
ようやくどうにかバランスを見つけたらしく、声に負けん気の色が滲み始めた。息を切らしながら小走りで隊列の前のほうへ追いつき、羽は相変わらず絶えず動かして体重を軽くし、少しでも足を速く運べるようにしている。
「飛べなくても、風の魔法でこの下向きの圧力を多少は相殺できます。あまり心配しないでください」
「なら、くれぐれも気をつけて」
不格好ながらも必死についてこようとする彼女の姿を見ていると、胸の中に憐れみと、それに劣らない敬意とが入り混じった複雑な感情が湧いた。
フェアリーは大きく息を吸い込むと前へ進んだ。一歩ごとに体勢を崩しながらも、いつもの優美な飛行の面影はどこにもなく、渦巻く砂埃の中を、小さな体でよろよろと一歩また一歩と進んでいく。
「動くぞ!」
俺は叫び、先頭に立って駆け出した。
一歩踏み出すたびに足元がかすかに震え、あの侵食の力が執拗に俺を追いかけてくるのを感じる。触れた地面の一つひとつを追跡し続け、数秒と同じ場所に留まることを許してくれない。
「ずっと踵を噛んでくる!」
ユウキが切迫した声で叫び、ワカナの腕を掴んで右へ強く引っ張った。
ワカナが飛び退いた瞬間、彼女が立っていた場所の地面が鈍い音を立てて完全に陥没し、底の見えない黒い穴が現れた。あと半秒遅ければ、一緒に呑み込まれていたところだ。
「これ、私たちに執着してるってこと!?」
ワカナの顔が青ざめていたが、それでも足を止めることなく、歯を食いしばって前へ進み続けた。
サチは翠甲羅を胸にしっかりと抱え、足元のあらゆる変化に神経を尖らせながら走った。
「走って、走って、走り続けて……絶対に止まっちゃダメ」
彼女は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。この敵が使っている侵食の術がどんなものであれ、たとえ即座には発動しないとしても、油断して気軽に走っていい余裕など明らかにどこにもない。
前方では、フェアリーが相変わらずよろめきながら進んでいた。時折凸凹の地面に躓きながらも、歯を食いしばって足を止めない。
「見て、私、だんだんコツを掴んできた気がします!」
言い終わるか終わらないかのうちに足が何もない場所に引っかかり、彼女は勢いよく地面に倒れ込みそうになった。羽を必死に羽ばたかせて、なんとか顔面から突っ込むのだけは免れる。
「大丈夫!?」
サチが心配そうに声をかけた。
「だ、大丈夫です!」
フェアリーは慌てて起き上がった。頬がわずかに赤くなっていたが、それが恥ずかしさのせいなのか、走ったせいなのかは分からなかった。
「この『転ぶ』っていうのも、生まれて初めてで……」
走りながら、俺は頭の中で距離を計算しようとした。あの霞んだ人影までは、まだ百メートルほどある。それはどうやら俺たち一人ひとりの位置を順番にロックオンしているらしく、俺たちの後ろには崩落した地面の跡が続いていた。
「あいつの姿、なんとなく見えてきた気がする」
ユウキが目を細め、その生き物をじっと見つめた。歩調は少しも緩めない。
「あの平たくて縦長の輪郭、魚みたいだけど、脚が四本あるみたいだ」
その頭部は平たく、目玉は上のほうに高く並んでいて、まるで水から上がって以降、いまだに前を見ることに慣れていないかのようだった。エラは呼吸に合わせてかすかに開閉していたが、そこから水しぶきが上がることはなく、開閉のたびにただ乾いた砂埃が舞い落ちるだけだった。
「あいつ、全然動いてない」
サチが不意に口を開いた。声に困惑が滲んでいたが、足取りは少しも乱れなかった。
「その場に留まったままなのに、私たちの一歩一歩を追跡し続けてる」
俺は前方に静かにうずくまるその生き物を見つめた。頭の中で一つの考えが静かに形を成していく。もしあれの力が場所そのものにロックオンする方式で、無差別に広がっていくものではないのなら、ある程度は、地面がどこで崩れるかについても俺たちのほうで制御できる余地があるのかもしれない。




