第174話 大地の盗人
俺たちはその出来立ての荒野に立っていた。地面は風が吹くたびに明るくなったり暗くなったりを繰り返し、全員が周囲を見回しながら、ここで何が待ち構えているのかを探ろうとしていた。
「まずはいつも通りの流れでいこう」
俺は軽く手を振った。何匹かのピクシーが益の回廊へと繋がる扉を開く。
「風霊鳥、出てきてくれ」
扉が柔らかな光を放つと、鮮やかな翡翠色の羽を持つ鳥たちが数羽飛び出してきた。俺たちの周りを旋回しながら、澄んだ美しい歌声を響かせ始める。
炊事場でフィヨルニルによって封じられていた風霊鳥たちが、ようやくまた俺たちと一緒に戦えるようになったのだ。
その旋律にはどこか懐かしさがあって、それだけで少し気持ちが落ち着いた。深刻な脅威に立ち向かう前の、いつもの儀式のようなものになっている。力、集中力、反応速度、あらゆる数値が歌に合わせて少しずつ底上げされていき、頼もしい鎧のように俺たち全員を包み込んでいく。
「なんか力が漲ってる感じ」
ワカナが手首を回した。声には久々の再会を喜ぶような響きがある。彼女はスマホをカメラマン役のピクシーに手渡し、正面に向けさせた。
「こういう強化、久しぶりに感じるね」
サチも微笑んだ。翠甲羅をしっかりと握りしめる手に力がこもる。顔に浮かんでいた緊張も、いくらか和らいでいた。
ユウキは勇気の剣を構え、万全の準備を意味する加護を発動させる。剣が放つ静かな青い輝きが、彼女の落ち着いた声と重なった。
「相手が何であれ、これで準備は整った」
俺は周囲を見渡した。胸の中に確かな自信が湧き上がってくる。これだけの力があれば、どんな相手にも対応できるはずだ。
そのとき、遠くに見えていた霞んだ人影が、ふいに何かに気づいたかのように動きを止めた。
次の瞬間、空の色が前触れもなく変わった。
灰色だった空はあっという間に濃い漆黒に呑み込まれ、風の唸りが一気に何段階も跳ね上がった。唸るような風が、耳を突き刺すほどの轟音へと変わっていく。豆粒ほどの砂が空中に巻き上げられ、俺たちの顔や体に絶え間なく叩きつけてきた。
「何かおかしい!」
真っ先に反応したのはユウキだった。声を張り上げたが、その声さえ轟音にほとんど呑み込まれてしまう。
俺が状況を飲み込む間もなく、圧倒的な風の力が空から一気に叩きつけてきた。これまで戦ってきたどんな風属性の攻撃とも比較にならない力だ。空そのものが見えない手に変わって、俺たち全員を一斉に押さえつけてくるかのようだった。
「うわあっ!」
ワカナが悲鳴を上げ、全身をその圧力で地面に叩きつけられた。そばにいたピクシーも一緒に押し倒される。手にしていたスマホが弾き飛ばされ、少し離れた砂の上に落ちた。レンズは空を向いたまま、録画中を示す赤いインジケーターが頑固に点灯し続けている。
風霊鳥の加護を受けたばかりだというのに、体には少しの余裕も残っていない。胸を押し潰すような圧迫感だけがあった。
タトゥーを発動させて体勢を立て直そうとした。いつもの浮遊感が確かに湧き上がってきたが、それも上から叩きつけてくる風にすぐさま押し潰されてしまう。まるで小舟が津波に立ち向かうようなものだった。どれだけ抗っても、この圧倒的な下向きの力にはまったく歯が立たない。
「飛べない、完全に押さえ込まれてる!」
俺は叫んだ。胃の底が抜けるような感覚とともに、落下する時のあの馴染みのある感覚がまた襲ってきた。今度はそれを和らげるものが何もない。
「こっちも同じ!」
サチの声には焦りが滲んでいた。両腕で翠甲羅を胸に抱え込んだまま、地面に強く叩きつけられる。盾が土にぶつかり、鈍い音を立てた。彼女はくぐもった呻き声を漏らしたが、歯を食いしばりながらも何とか体を起こそうとしていた。
フェアリーは全力で羽ばたいた。羽自体は明らかにまだ動いているのに、それでも風に押し潰されてしまう。とっさに両手を突き出し、いくつもの鋭い風の刃を放って自らの風力で対抗しようとしたが、その刃が形を成す前に、遥かに大きな力によって跡形もなく引き裂かれてしまった。
「私の魔法まで……」
フェアリーの声に、珍しく動揺の色が滲んだ。小さな体が空中で激しく震え、ついにその圧倒的な力に抗いきれず、俺たちのそばに落ちてきた。
「この風は私の力じゃどうにもならない。羽にはまだ力が残ってるのに、まったく浮き上がれない。風の魔法ごと呑み込まれてる!」
五人は土色の荒野に横たわったまま動けずにいた。頭上では嵐が唸りを上げながら渦を巻き続け、見えない天井となって俺たちを地面に押さえつけている。
「こんなことが……」
俺は息を切らしながら地面から体を起こし、渦巻き続ける空を見上げた。今まで感じたことのない不安が胸の中に広がっていく。
この力は、俺たちの能力を封じたわけではない。ただ圧倒的な力でねじ伏せ、力尽くで押さえつけてきているだけだ。その規模は、普通の敵が扱えるものとはとても思えなかった。
頭の中で知恵の書に呼びかける。
「ジェフティ、この風は一体何なんだ」
ページがかすかに震え、ジェフティの声が頭の中に響いた。珍しく重々しさが滲み、迷いすら感じられる。
『これほどの規模の風となると……伏羲がここで使っているものが何であれ、知恵の範疇では説明がつかない』
その答えを聞いて、胸の不安はさらに膨らんだ。ジェフティさえこれほど慎重になっているなら、この風の裏にあるものは、俺たちが想像している以上に得体の知れないものなのかもしれない。
「みんな大丈夫か」
ユウキが真っ先に俺たちの無事を確認しようとした。声には押し殺しきれない緊張が滲んでいる。風に何度もよろめかされながらも、ワカナとサチに手を伸ばそうとしていた。
「なんとか立ってる……」
ワカナは打ち身になった肩を押さえながら、歯を食いしばって体を起こした。落としたスマホに手を伸ばす。画面には細いひび割れが走っていたが、それでも頑固に動き続けていた。これだけの強風の中では、もうピクシーに預けることもできない。
「まずいね。飛ぶこと自体はまだできそうだけど、地面から離れる方法がない」
ひび割れた画面には、コメントが次々と流れ込んでいた。
『何このヤバい天気、ワカナたち大丈夫か』
『っていうかスマホ落ちたのにまだ撮れてる、ワカナのプロ意識すごい』
『この風の音、画面越しでも普通に怖い』
『どうか無事に切り抜けて』
そのとき、サチの足元からかすかに地面が崩れる音がした。
彼女がはっと下を見ると、出来立ての土色の地面に浅い窪みができていた。まるで見えないスプーンで掬い取られたかのように、砂が縁からぼろぼろと崩れ落ちていく。地中の何かが、静かに少しずつ大地を食い尽くしているかのようだった。
「地面までおかしい!」
サチが叫び、慌てて横に飛び退いた。ところが反対側の地面にも同じような崩落の兆しが現れ始め、少しずつこちらに向かって広がってくる。
「上からの風だけじゃない、足元の大地まで奪われてる!」
俺は息を呑んだ。今になってようやく、俺たちが二重の危機に陥っていることに気づく。上からは風に押し潰され、足元からは大地が静かに侵食されていく。
そのとき、遠くにあの霞んだ人影が姿を現した。




