第156話 崩れ落ちる橋
結局のところ一時間近くかかったが、なかなかの騒動を経て、サチはようやく対岸に辿り着き、安全な場所を見つけると、ピクシーのタトゥーの力で俺たちのもとへ瞬間移動して戻ってきた。
全身ボルシチまみれで、見るからに気の毒な有様だったが、それでいてどこか愛らしくもあった。何より……彼女、実はいい匂いがした。その香りのせいで、俺はもう朝食を食べ終えていたんじゃないかと錯覚しそうになった。
昼食にはまだ二時間近くあるはずなのに、その匂いのせいで、みんなちょっとお腹が空いてきていた。
ワカナは彼女を捕まえると、誰にも止める間もなく身を寄せて、サチの左頬を舌でぺろりと舐めた。
「この味は!任務を完遂した『味』だぜ……!」しゃがれた渋い声でそう言うと、誰かの物真似をするように胸を張り、ベテランの貫禄を漂わせていた。
ユウキは、大切な妹を見るような目でサチに微笑みかけた。「今すぐシャワー浴びたいでしょ」
「本当にそうなの!」サチはスープに濡れた髪を振り、しずくが数滴、近くの砂に飛び散って小さな暗赤色の染みを作った。
「でも、絶対覗こうとする悪いやつが一人いるんだよね!」彼女はワカナのほうを横目でちらりと見て、その声には警戒の色が滲んでいた。
「ちょっと!そんなにいい体してたら、我慢できるわけないでしょ!」ワカナはさっと歩み寄り、サチが反応する間もない速さでお尻を鷲掴みにした。
「行って洗ってきなさい。この不良娘は私が見張っておくから」ユウキが手刀でちょうどいい力加減にワカナの頭を叩くと、ワカナはすぐさま頭を抱えてうめき声を上げた。
「よかった、ユウキが見張っててくれるなら安心」サチはほっと息をつくと、そのまま体を洗いに行こうと踵を返した。
「ちょっと待った」俺は彼女を呼び止めた。
「どうしたの?」
「海水で流しただけじゃ、まだ体がべたつくだろ。これを使えよ」俺はミストキャノンを彼女に差し出した。
「攻撃力を大幅に絞ってあるし、込める魔力も少なくしてある。だから出てくる水はちょうどいい水量になるはずだ」俺はそう説明しながら、浴槽ほどの大きさの水の塊を作って見せた。その表面が陽光を受けてきらめいていた。
「うーん……なんだか使うのが難しそう」サチはミストキャノンを不安げに見つめ、指がぎこちなくトリガーの周りをまさぐっていた。
「そんなに難しくないって――」俺はさらに説明を続けようとした。
「それより、一緒に来て水をかけてよ」サチは俺を、まったく迷いのない、全幅の信頼を込めた目で見つめた。
そりゃ俺たちは大人同士だし、恋人同士でもあるけど、真っ昼間に外で、若い女の子の入浴に付き添うっていうのは、それでもちょっと一線を越えてる気がして……
俺が何か言おうとしたその時、ワカナが先に口を開いた。
「ずるい!あたしだって彼女なんですけど!」
「ふん!マスミはあんたみたいな変態おじさんみたいな真似は絶対しないもん!」サチは頬を膨らませ、ワカナに向かって舌を出した。
そう言うと、サチは俺の手を掴んで、さっさと海辺のほうへ引っ張っていった。俺はユウキのほうを振り返ったが、彼女はただ肩をすくめ、絶対に関わりたくないという顔をしていた。
朝の潮風が俺たちを包み込み、涼しく心地よかった。
俺はきちんと背を向けて、あえて見ないようにしながら、代わりにピクシーたちを何人か呼んで、彼女の汚れた服を洗いに持っていかせた。
波が次々と岸に打ち寄せ、その音が遠くの風の音と混ざり合い、待ち時間を実際より長く感じさせた。
数分後、サチが歩み寄ってきて、俺の肩を軽く叩いた。
「はい、もうきれいな水で流してもらっていいよ」
俺はどきどきしながら振り返り、波の泡の中に立つサチを見た。まるで波間から現れたヴィーナスのようだった。
「綺麗だな……」その言葉は、止める間もなく口から漏れ出ていた。
「えへへ、そう言われると照れちゃう」サチは口元を手で覆って笑った。その声は風鈴のように澄んで明るかった。
「あ、そうだ、水をかけてやらないと……」俺は恥ずかしさに耳が熱くなり、慌てて頭を下げて水を集めることに集中した。
俺はミストキャノンを持ち上げて彼女に向け、水圧の調整に意識を注ぎ込み、必死に目の前の作業に集中しようとした。
「はぁ、気持ちいい」サチが恍惚とした吐息を漏らすと、潮の香りをかすかに含んだ海風が通り過ぎていった。
「せめて――こっち向いてくれないか?」俺は恥ずかしさのあまり、ミストキャノンのノズルにひたすら視線を固定していた。
「なんで?あたしたち、もうだいぶ親しい仲になったんじゃないの?」サチはとぼけた様子でそう聞いた。その声にはからかいの色があった。
「それとこれとは全然違うだろ!」サチのからかいに対して俺にはまったく反撃の手立てがなく、ただトリガーを引く手を速めるしかなかった。
結局俺を救ってくれたのは、なんと遠くから響いてくるプロペラの唸る音だった。それは徐々に大きくなりながら近づいてきた。
海岸線の一端で、数隻の無人ボートが大きなコンテナをいくつか運びながら、ゆっくりと海峡大橋へ近づいていった。コンテナは海上で開き、中から群れをなしたドローンが飛び出し、驚いた蜂の巣のように散開しながら橋へ向かって突き進んでいった。
サチは慌てて服を着直し、俺たちはワカナ、ユウキ、フェアリーと合流した。全員の目が、あの一帯の空に釘付けになっていた。
これほど劇的な光景を目にした瞬間、ワカナはすぐさま配信を始め、スマホのカメラを遠くへ向けて興奮した様子で叫んだ。「みんな、本物の戦地のライブ映像、お見せしまーす!」
彼女がそう言った瞬間、コメント欄が洪水のように押し寄せてきた。
『待って、これ本当の戦争?特殊効果とかじゃなくて?』
『ワカナ近づきすぎじゃない、下がって!』
『この映像やばすぎる、ドローン攻撃の生映像なんて初めて見た』
『上の人落ち着いて、これ現実だよ、誰か彼女たちを離れさせて』
『この画角めちゃくちゃクリアだけど、スマホに手ブレ補正でもついてるの?』
「みんな心配しないで、ちゃんと安全な距離を取ってるから!」ワカナはコメント欄に返しながら、カメラをできる限りズームして、遠くで繰り広げられる光景をより多く捉えようとしていた。
ドローンは戦術を変えながら防衛側を挑発し続けていた。
第一波は特攻モードで突っ込んできて、甲高いエンジン音を響かせながら橋の一端へまっすぐ突き進んでいった。
橋の対空砲が瞬時に砲身を回転させ、曳光弾が密集した流れとなって空を切り裂き、白い軌跡を幾筋も描いた。何機かのドローンが直撃を受け、黒煙を引きながら海へと墜落し、着水の衝撃で水しぶきを上げた。
兵士たちが声を掛け合いながら射撃を連携させ、爆発が次々と空気を震わせ、そのたびに橋全体が揺れた。
『この対空火力えぐい、まるで花火大会みたい』
『兵士たちが何してるかよく見えない、ワカナもっとズームできる?』
『上の人、それどころじゃないと思うよ、実際に人が死んでるんだから』
『すごい、これ普通の軍事衝突って規模じゃない気がする』
『待って、これこっちにも来るんじゃ、マスミみんな逃がして』
ユウキは眉をひそめ、空の動きに目を釘付けにしていた。「ワカナ、少し控えて。これは視聴数稼ぎに使っていい類のものじゃないでしょ」
「分かってる、分かってるけど、みんなにも今起きてることを知る権利があると思ったから」ワカナは珍しく真剣な様子でそう答えた。いつものおどけた調子はなかった。
防衛側の注意が最初の特攻ドローンの波に釘付けになっている間に、もう一つの小さな部隊が反対側の側面から静かに高度を下げ、本物の重い爆薬を積み、レーダーの探知をかいくぐるために水面すれすれを滑るように接近していた。
『待って、あっちにもいる、兵士たち気づいてないみたい』
『まさか、これ陽動ってこと?』
『上の人、玄人みたいなこと言うけど、まさにそんな感じだね』
橋の上の兵士たちが危険に気づいたのは遅すぎた。慌てて銃を向けて迎撃しようとしたが、その時にはもう手遅れだった。爆発が次々と空気を引き裂き、橋脚が砕け、鉄筋が折れ曲がって断面からぶら下がり、コンクリートの破片があちこちに飛び散り、濃い煙が空へと立ち上っていった。
コメント欄は衝撃の波に包まれた。
『うそでしょ、橋が崩れてる!』
『今まで見た配信映像の中で一番やばい、比べ物にならない』
『今すぐスクショして、これ絶対バズる』
『ワカナ、みんな本当に大丈夫なの、お願いだから返事して』
『これでどうやって渡るの、橋が丸ごとなくなっちゃった』
「えっと……正直、今なんて言えばいいのか自分でも分からない」ワカナは珍しく苦笑いを浮かべてカメラを見つめたが、その手は一度も、立ち上る煙から画面をそらすことはなかった。
結局、俺たち五人は、橋が轟音とともに次々と沈んでいくのを、自分たちの目で見届けることになった。道路がまるで崩れる積み木の塔のように海へと崩れ落ち、しばらく収まらないほどの高く水しぶきを上げた。
ワカナは口を開けたまま呆然とし、スマホが手から滑り落ちそうになっていた。「これ……これはさすがにやりすぎでしょ!」
ユウキの表情は険しくなり、剣の柄を握る手に力がこもった。
「これで両岸の陸路は完全に断たれたわね」
フェアリーは宙に浮きながら、漂う煙をじっと見つめ、どこか他人事のような口調で言った。
「別に問題ないんじゃない?サチがもう向こう側を偵察してくれたんだから。どうせ瞬間移動で渡るだけでしょ」




