第148話 愛慾の女神
フィヨルニルが素手で私の心臓を摘み取るのを、私は見た。
その瞬間、予想していた激しい痛みは襲ってこなかった。代わりに、胸腔を一瞬で包み込む氷のような空虚感だけがあった。
血液を失った脳は、数秒のうちに正常な機能を失った。視界が急速にぼやけ、周囲の景色が水に溶けた墨のように歪み、溶けていく。意識は風に吹き消されるろうそくの炎のように揺らめき、一瞬の抵抗の後、完全に暗闇へと落ちていった。
どれくらいの時間、意識を失っていたのかわからない。再び目覚めたとき、最初に鼻腔をくすぐったのは懐かしい香りだった――新鮮な花弁、ハーブ、そして微かな木の香りが混ざり合った、優しく心地よい匂い。目を開けると、私は観之門の寝宮に横たわっていた。
ここはもはや私の新しい家のようなものになっていた。行き場を失うたび、なぜか自然とこのピクシーのような幻想的な空間へと戻ってくる。
柔らかく質素な絹のシーツが体を優しく包み込む。室内は自然の木を巧みに成形した丸い洞窟状の構造で、まるで古代の巨樹の樹洞の中で育まれたかのようだった。天井には繊細な蔓と星の模様が描かれ、壁際や窓辺には咲き誇る生花と新鮮な香草が並べられている。空気中にはリラックスさせる甘い香りが満ちていた。
私は起き上がろうとした。胸に奇妙な鼓動が走る――落ち着いているのに、どこか見慣れぬリズムだ。思わず手を胸に当てた。心臓はまだそこにあったが、鼓動は異様に遅く、長い眠りから目覚めたばかりの巨獣が、新しい体に慎重に適応しようとしているかのようだった。
視界が徐々にクリアになる。寝宮の片隅にある丸テーブルに、フィヨルニル、フレイヤ、そしてワカナが座っているのが見えた。ワカナは片手で額を押さえ、どこか困ったような顔で二柱の神々と気さくに世間話をしていた。
フィヨルニルはもう、あの穏やかな老人の姿ではなかった。そしてフレイヤ――黄金の髪が輝き、その美貌と魅力で神々も凡人も虜にする、愛と欲望と豊穣の女神――は優雅にハーブティーのカップを手に、唇の端に薄い、意味深な笑みを浮かべていた。
私は意識を失う直前の出来事を思い出し、慌てて胸を強く押さえた。心臓は……まだある。しかし、生きたまま引き抜かれた記憶は、凍てつくほど鮮明に残っていた。
「目が覚めた?」
フレイヤの声は春風のように優しかった。彼女はティーカップを置き、澄み切った輝く瞳でまっすぐに私を見つめた。
「あなたの心臓には、ジェフティと私の甥が少し手を加えてくれたのよ」
彼女は穏やかに言い、まるで午後の茶の話題のように自然な口調だった。
私は口を大きく開けたまま、言葉が出てこなかった。
ジェフティ……あの方は一体、何を考えているのだろう?
「まだ完全に目が覚めていないみたいね」
ワカナは額を押さえた手を動かさず、首を振った。姉が出来の悪い弟を叱るような口調だった。「真澄、あなたはいつも私を心配させてばかりなんだから」
「もう十分に良くできているわよ」
フレイヤが優しく言葉を継いだ。「堕神混血に改造されたばかりで、すぐに意識を保てるようになるわけじゃないもの。前にあのロブスター男――セバスチャン――は行動退行まで起こして、海の中に逃げ込んで何日も隠れていたわ」
隣のフィヨルニルが力強く頷き、口元に懐かしいような笑みを浮かべていた。
セバスチャンにそんな黒歴史があったのか? 私は心の中で思った。次に中孚堂に戻ったら、絶対にあいつのことをからかってやろう。
フレイヤが立ち上がり、ゆっくりとベッドに近づいてきた。柔らかな光の中で、彼女のまばゆい美貌は輝いているようだった。黄金の長い髪が滝のように流れ落ち、薄い絹のローブ一枚だけを纏った体は、完璧な曲線をほのかに浮き立たせている。彼女は手を伸ばし、優しく私の胸に触れた。掌の温かさに、私は思わず軽く震えた。
「ここ……以前とは違うでしょう?」
彼女の指先がゆっくりと円を描く。それはまるで貴重な芸術品を鑑賞しているかのようだった。「健康的で、活力に満ちているわ」
その手の動きは徐々に下へ滑り、拒むことのできない魅惑を帯びていた。私の頰が急速に熱くなる。心拍は遅いままだったが、この瞬間、肋骨にぶつかる鼓動が異様に鮮明に感じられた。
フィヨルニルは次に何が起こるかをすでに予想していたようだった。彼は優雅に立ち上がった。「では、細部は叔母上にお任せします」
彼はフレイヤに恭しく一礼し、去ろうとした。
「ちょっと待って! あなたの叔母は何をしようとしているの?」
ワカナの勘は私より遥かに鋭かった。彼女は即座に立ち上がり、フィヨルニルを遮った。声には明らかな警戒が滲んでいた。
その時、フレイヤの右手はすでに私の腰を越え、もっとも親密な部分を掴んでいた。
彼女は感嘆の吐息を漏らした。「ん……本当に健康的で、雄々しい……」
彼女の豊満で艶やかな唇が私の耳元に近づき、優しく息を吹きかける。その息は朝露に濡れた花のように甘く、酔わせるほど魅力的だった。
フィヨルニルは困ったような、しかし慣れた様子で両手を広げた。「ワカナ、理解してほしいんだけど――私の叔母は愛慾と生産の女神なんだ。これは彼女の本質だよ」
「そんなのダメ!」
ワカナの声が一瞬で跳ね上がった。彼女は腰からアワアワ銃を素早く抜いた。「サチ! ユウキ! フェアリー! 緊急集合! 真澄の貞操が危ない!」
フィヨルニルはフレイヤに向かって微笑み、小声で念を押した。
「ブリーシンガメンの時のことを覚えていますか?」
フレイヤはいたずらっぽく笑い、瞳を輝かせて答えた。「もちろん覚えているわ。あの四人のドゥワーフなんて、これに比べたら全然及ばないもの❤️」
彼女の手が少し強くなった。私は思わず鋭く息を飲んだ。
「誰もそんな話はしていませんよ」
フィヨルニルの口調は明らかに呆れていた。
「私が言いたかったのは、叔父上に知られないように、ということです。また戦争を起こされたら困りますから」
「ああ、それはもう準備済みよ」
フレイヤは軽く言いながら、体を小さく震わせ、満足げな吐息を漏らした。
彼女はすでに私を「味わい始め」ていた。魂が抜け出されるような圧倒的な感覚が、一瞬で全身を襲った。
「あのいくつかの世界はすぐに争い始めるわ。彼にはこんな些細なことに構っている暇なんてないでしょう」
フィヨルニルはそれ以上何も言わず、軽く首を振っただけで、幻影のようにその場から消え去った。
寝宮内の空気が一気に熱を帯びた。
フレイヤは、ワカナが呼び寄せた一同――サチ、ユウキ、フェアリー、そしてまだもがいているワカナ自身――に視線を向けた。彼女の黄金の睫毛が軽く震え、甘くも危険な笑みを浮かべた。
「みんなも一緒にどう? 私は分け合うのが好きな女神なのよ!」
四人とも同時に、驚愕と戸惑いの表情を浮かべた。サチの頰が瞬時に真っ赤に染まり、ユウキは無意識に武器を強く握りしめ、フェアリーのピクシーの翼が小さく震えた。ワカナはまだアワアワ銃で助けを呼ぼうとしていたが、フレイヤが軽く手を振っただけで武器を解除されてしまった。
フレイヤが体を優しく動かし始めた。その動きは原始的でありながら優雅なリズムに満ちていた。私の意識が再びぼやけていく。
愛慾の女神の直接的な導きの下、私は甘く圧倒的な嵐に巻き込まれたかのようだった。
俺は……オーディンをNTRしたのか?
その荒唐無稽な考えが、頭をよぎった。
結局、ワカナたちも女神の魅力に完全に抗えなかった。フレイヤのオーラは目に見えない網のように広がり、ゆっくりと皆を引き寄せていくのだった。




