0180.空気を読む
視点:ヴェル
銅鑼の音が、遠くで鳴った気がした。
だが、俺の意識は既にトップギアだ。
様子見? 牽制?
そんな悠長な手札は、もうない。
相手は、触れたものを複製する。
なら、複製される『前』に。
認識されるより速く、終わらせる。
「風穿一閃ッ!!」
踏み込みと同時に、放つ。
風を纏い、抵抗をゼロにしたナイフ。
俺の持つ、最速にして不可避の一撃。
それは、光の線となって、
シゾットの眉間へと吸い込まれた。
──ドスッ。
湿った音がして、
シゾットの頭が後ろへ跳ねる。
脳天を貫通し、後ろの壁へ突き刺さる。
「……悪いが、卑怯だとは言うなよ」
勝った。
確信と共に、脱力しかけた、その時。
背筋が凍った。
倒れたはずのシゾットが、
ゆらりと立ち上がる。
いや、立ち上がったのではない。
倒れる途中で、身体が“割れた”。
「随分と、急ぐじゃあないか」
穴の空いた額が、
泡立つように塞がっていく。
それと同時に、背中から、
もう一人のシゾットが這い出る。
「な……ッ!?」
俺は目を見開く。
触れていない。何も触れていないはずだ。
なのに、なぜ増える?
「簡単な話だ。
俺の細胞は、隣り合う俺の細胞に、
常に触れているだろう?」
二人に増えたシゾットが、
同時にニヤリと笑う。
その声が、不気味に重なって響く。
「「失った細胞を、失う瞬間複製した。
ただ、それだけのことだ」」
……ハメられた。
セリアとの戦いの時、
わざわざ自身の腕に触れていたのは、
俺たちに見せるためのブラフか!
本来は、触れる動作すら必要ない。
ただ、そこに在るだけで、
こいつは無限に増殖する。
「「「「残念だが……。
これでオマエの勝ちはなくなった」」」」
二人が四人に。四人が八人に。
細胞分裂の映像を見ているようだ。
黒い装束の男たちが増えていく。
「「「「「「「「では、始めよう」」」」」」」」
黒い津波が、押し寄せてくる。
殺意の濁流。
俺は唇を噛み締め、地を蹴った。
「風の滑走ッ!!」
風を纏い、床を滑るように移動する。
迫りくるシゾットの群れを、
縫うように、避けるように駆ける。
ナイフで切りつける必要はない。
触れるだけで消えると言うならば、
とにかく触っていけば良い。
触れて、十秒耐えれば、消える。
すれ違いざまに肩をぶつける。
蹴りを入れて距離を取る。
掌底で押し返す。
だが──減らない。
触れて消える端から、
新しいシゾットが湧き出してくる。
……勝手に、増え続けている。
触れる必要がないから。
ただ、そこにあるだけで増えるからだ。
「「「「俺はオマエに……近づかない」」」」
無数のシゾットが、嘲笑う。
包囲網が狭まる。
「じゃあ近づいてくるなよッ!!」
俺は叫びながら、
風の刃で周囲を薙ぎ払う。
言ってることとやってることが違う。
こいつら、俺を殺す気満々で、
距離を詰めてきやがる!
傷口に触れられたら負け。
セリアの時のように、
血液を複製されて破裂させられる。
傷つけられたら終わり。
即死の鬼ごっこ。
風を呼ぶ者で手刀は逸らせる。
だが、それは俺のマナがある間だけだ。
戦いは、俺のマナが切れる前に、
シゾットの本体を見つけて、
どうにかして倒すしか無い。
(どこだ……!? どこにいる!?)
俺は『空間把握』を全開にする。
会場の空気、音、振動。
全てを脳内に取り込み、処理する。
だが、わからない。
シゾットが言っていた通りだ。
全てが、同じ。
マナの波長、心音、足音の癖、
呼吸のリズムに至るまで。
完璧な複製。
ノイズだらけのレーダーみたいだ。
赤点が多すぎて、
どれが本物か判別できない。
神速と言えるほどの高出力で動かなきゃ、
倍々で増えていくシゾットを止められない。
動き続けなきゃ、囲まれて終わる。
「クソッ、ジリ貧だッ!!」
俺のマナが、
ありえない速度で減っていく。
息が上がる。視界が明滅する。
どうしたらいい。
どうしたらいい?
どうしたらいい!!
俺は思考をぶん回す。
もっと、考えろ。もっと、もっと!!
このままじゃ、負ける。
みんなの想いを、無駄にする。
「ッツ!!」
強烈な頭痛が、こめかみを刺した。
無意識に『循環』を使って、
思考を加速させていたことに気づく。
脳が焼き切れそうだ。
統制者戦の二の舞か。
(……いや、待てよ?)
あの時。
カノープスとの戦いで、気付いたこと。
俺の脳が焼き切れなかった理由。
奴が俺にかけた、土の『保持』。
あれが、脳の血管を、神経を、
崩壊しないように繋ぎ止めていた。
脳を保持で守りつつ行う、
限界を超えた循環のゾーン。
あの精度なら、
もしかしたら今よりも……?
(やるしか、ねぇ……!)
俺は、走りながら意識を内側へ向ける。
風の循環を、さらに加速させる。
限界を超えろ。回転数を上げろ。
同時に、土の保持を、
自分の脳血管へとかける。
アノンほど器用じゃない。
ゼノンさんほど繊細じゃない。
付け焼き刃だ。
失敗すれば、脳が弾けて死ぬかもしれない。
でも、少しでいい。
仮に死んでも、ここなら蘇生できる!
今だ。
今使えるようにしろ!
無茶をしてでも、今。
今乗り越えろ!!
──シュンッ。
世界から、音が消えた。
色が、褪せた。
時間が、泥のように粘りついた。
辿り着いた、感覚の極地。
「凪の世界」
全てのシゾットが視える。
増えるシゾット。
消えるシゾット。
振り上げられる手刀。
舞い上がる砂埃。
全てが、スローモーションで。
目に映る景色がそれを教えてくれる。
響くはずの、響かない音が教えてくれる。
何かにぶつかり軌道を変えた風が、
肌を撫でて教えてくれる。
まるで、空から見下ろすかのように。
この闘技場のすべてを俺は把握できている。
風の流れ。
マナの揺らぎ。
殺気の方向。
空間の歪み。
──空気が、読めている。
全てを把握し、縦横無尽に、
無数のシゾットの隙間を縫っていく。
触れて、消して、また触れる。
最小限の動きで。最短のルートで。
その中で、俺は“それ”に気づく。
無数の複製の中に混じって。
常に、一定の距離を保つ一体のシゾット。
他の複製が俺に向かってくるのに対し、
そいつだけは常に複製の影に隠れるように、
俺の視線の死角へと移動し続けている。
微かな、風の乱れ。
足音の、ほんの僅かな重みの違い。
複製にはない、
“命”を守ろうとする本能的な動き。
(……アイツが、本物だ!!)
見つけた。
黒い波の奥底に潜む、元凶を。
切っても複製される。
貫いても複製される。
だが、その複製を超える速さで斬りつければ!
再生が追いつかないほどの、
暴風で飲み込んでしまえば!
俺は、ラグアスから買った双剣を構える。
ナイフじゃない。
リーチが伸びた分、風を多く纏える。
マナを込める。
限界まで。
循環の回転数を、さらに上げる。
風穿一閃でもない。
風斬一閃でもない。
俺の、もう一つの必殺技で。
初めて格上を倒した、
グレイヴバードを仕留めた技で。
俺は、本物を目掛けて駆ける。
一直線に、迷いなく。
奴が俺の視線に気づき、
驚愕に目を見開くのが見えた。
複製たちを壁にしようと、
指示を出そうとしている口元が見えた。
──もう遅いぜ!
「繚乱旋風……」
俺は双剣を十字に振るった。
全てを、切り刻む為に!!
「双頭の竜巻ッ!!」
巻き起こるは、二つの風。
右手の剣が生む旋風と、
左手の剣が生む旋風。
二つの風は互いに干渉し合い、
やがて、二つの巨大なつむじ風へ。
二つのつむじ風は絡み合い、
二つの斬撃の嵐へ。
そして、二つの斬撃の嵐はやがて、
全てを刻み、飲み込み、空へ昇る、
双頭の竜巻へと変貌した。
ゴォォォォォォォォォッ!!!
「ぐ、ぐぉぉぉぉぉぉッ!!」
シゾットの叫びが、暴風に飲まれる。
複製たちが、紙切れのように舞い上がる。
何度、複製で再生しても。
その風は、お前を食い尽くすまで止まない。
肉を、骨を、断末魔の叫びを。
全てを切り裂き、塵に変え、
無に返して、空の彼方へ吹き飛ばす。
圧倒的な、風の暴力。
会場の結界が、
内側からの圧力で悲鳴を上げた。
やがて。
風が、止む。
舞い上がった塵が、
キラキラと光りながら落ちてくる。
全ての複製のシゾットが消えた。
本体が塵となって消し飛んだのだろう。
歓声すらも消えた、リングの上。
俺は一人、静かに立っていた。
頭痛は、嘘のように引いていた。
体は重いが、心は軽い。
俺は、観客席を見上げた。
そして、リング脇の仲間を見た。
呆然と、だが、嬉しそうに俺を見ている。
俺は、拳を突き上げた。
高らかに、宣言する。
「俺の……勝ちだ!!」
ワンテンポ。
世界が、目の前の事実に気づくまでの時間。
それを経た、静かだった世界。
その世界は、
耳をつんざくような大きな歓声と、
満足感に溢れた世界だった。
「うおおおおおおおおおッ!!」
「すげぇぇぇぇぇぇッ!!」
「自由の風ェェェッ!!」
その声を浴びながら、
俺はゆっくりと息を吐いた。
空気は、読める。
今の俺には、この熱狂の空気が、
何よりも心地よく感じられた。




