0178.俺達の天使
視点:俯瞰
静寂が、闘技場を支配していた。
先ほどの壮絶な相打ち。
その熱気が冷めやらぬまま、
次なる戦いの幕が上がる。
フィールドの中央。
対峙するのは、二人の男女。
『アンチ』のリーダー、シゾット。
黒い装束に身を包み、
その瞳は凍てつくように冷たい。
対するは『自由の風』セリア。
白と水色のローブを揺らし、
手には愛用の杖を握りしめる。
「……シゾット、さん」
セリアが静かに名を呼ぶ。
だが、男は答えない。
ただ、無造作に右手を掲げた。
「……行くぞ」
短く、それだけを告げる。
シゾットが自らの左腕に、
右手を触れさせた、その瞬間。
ボゥッ……。
黒い靄のようなマナが溢れ、
彼の中から“もう一人”が現れた。
幻影ではない。
質量を持った、肉体そのもの。
「なっ……!?」
セリアが息を呑む間もなく、
二人に増えたシゾットが、
さらに互いに触れ合う。
二人から四人。
四人から八人。
ねずみ算式に増殖していく影。
能力名『届かぬ模倣品』。
触れたものを、
思考、能力、機能、外見、
その全てにおいて完全に複製する。
ただし、シゾット以外の生物が触れれば、
十秒で消滅するという制約はある。
だが、裏を返せば。
触れられなければ消えない。
そして、触れられても、
“十秒間は”そこに存在し続ける。
「オレは、お前に…………近づかない」
本体と思われるシゾットが、
後方へと下がりながら告げる。
代わりに前に出たのは、
無数に増殖した“シゾットたち”。
その数、既に二十を超えている。
「かかれ」
号令一下。
黒い軍団が、雪崩のように、
セリアへと殺到した。
「くっ……!」
セリアは杖を構える。
『火の活性』で身体能力を上げ、
『風の循環』で思考を加速する。
ディアモンテとの地獄の組手で、
身体に叩き込まれた戦闘術。
今の彼女は、ただの僧侶ではない。
──ヒュンッ!!
先頭の分身が、手刀を突き出す。
その指先は『土の保持』により、
鋼鉄の刃と化している。
一流の暗殺術。
かすれば肉が削げ、
刺されば骨ごと貫かれる。
セリアは紙一重でそれを躱し、
杖で横薙ぎに払う。
──ガィィィン!!
硬質な音が響く。
分身は防御すら完璧だ。
腕をクロスさせて杖を受け止め、
衝撃を殺してくる。
「速い……!」
一体だけでも厄介な敵。
それが、四方八方から、
波状攻撃を仕掛けてくるのだ。
右から突き。左から蹴り。
背後から首を狙う手刀。
セリアは舞うように避ける。
だが、避けきれない。
数が、あまりにも多すぎる。
ローブが切り裂かれ、
白い肌に赤い線が走る。
「きゃぁっ……!」
セリアがたたらを踏む。
そこへ、三体の分身が、
同時に飛びかかってきた。
「終わりだ」
後方で腕を組む本体が、
冷酷に勝利を確信する。
だが。
その時、セリアの瞳から、
迷いの色が消えた。
「……邪魔ですっ!!」
彼女は、杖を放り投げた。
カラン、と乾いた音がする。
武器を捨てた?
いや、違う。
彼女にとって、杖は、
“手加減”のための枷だったのだ。
セリアが腰を落とし、
小さく拳を握りしめる。
「ふぅぅぅ……ッ!」
呼気と共に、膨大なマナが練られる。
『撲殺天使』の本領発揮。
迫りくる分身の懐へ、
セリアは自ら飛び込んだ。
──ドンッ!!
鋭い踏み込み。
そして、流れるような掌底。
「はぁぁぁぁっ!!」
分身の腹部に、
セリアの一撃がめり込む。
──ドガァァァンッ!!
衝撃波が突き抜け、
分身の身体がくの字に折れて、
砲弾のように吹き飛んだ。
「なッ……!?」
本体のシゾットが目を見開く。
吹き飛んだ分身は、
後続の分身たちを巻き込み、
ボウリングのピンのように弾け飛ぶ。
そして、十秒後。
セリアに触れられたその分身は、
黒い霧となって消滅した。
「そうか……そういうことか」
観客席で、ヴェルが身を乗り出す。
「触れたら消えるなら、
自分から触りにいけばいい。
殴って、蹴って、吹き飛ばせば、
十秒後には勝手に消える!」
単純明快な攻略法。
だが、それを実行するには、
敵の攻撃を掻い潜り、
至近距離で打撃を当てる技量が必要だ。
それを可能にしたのは、
他ならぬディアモンテとの、
血の滲むような特訓の日々。
「やぁぁぁっ!」
セリアが駆ける。
杖がない分、動きは軽快だ。
右の分身の腕を取り、背負い投げ。
左の分身の蹴りを捌き、カウンターの肘鉄。
正面の分身には、強烈な正拳突き。
触れる。
殴る。
投げる。
次々と吹き飛ばされる分身たち。
そして時間が経つごとに、
ポン、ポンと音を立てて消えていく。
「馬鹿な……。あの女、本当に僧侶か!?」
会場がどよめく。
癒やし手が最前線で、
暗殺者集団を素手で殴り倒している。
その光景は、あまりにシュールで、
そして痛快だった。
だが、シゾットの能力の真価は、
そこからだった。
「……小賢しいぞ」
シゾットが指を鳴らす。
すると、残った分身たちが、
さらに互いに触れ合い、増殖を始めた。
二十人。
四十人。
八十人。
フィールドが、黒一色に染まる。
軍隊だ。
一人で軍隊と渡り合うチート能力。
それが『届かぬ模倣品』の真の姿。
「数は力だ。貴様のスタミナが尽きるまで、
何度でも増やしてやる」
シゾットの冷酷な声。
黒い津波が、セリアに襲いかかる。
「くっ……!」
セリアは必死に拳を振るう。
だが、倒しても倒しても、
次から次へと湧いてくる。
キリがない。
十秒待つ間に新たな十体が生み出される。
「はぁ、はぁ……ッ!」
呼吸が乱れる。
動きが鈍る。
その隙を、分身たちは見逃さない。
──ガッ!
背後から羽交い締めにされた。
「しまっ──」
触れられた分身は、十秒後に消える。
だが、逆に言えば。
十秒間は、消えない。
その十秒が、致命的だった。
「終わりだ」
数体の分身が、手刀を構える。
硬質化した凶刃が、
無防備なセリアへと振り下ろされる。
絶体絶命。
(……もう、ダメかも)
セリアの脳裏に、
弱気な言葉がよぎる。
だが、その時。
思い出した。
あの人の、熱い言葉を。
『恥じらっちゃダメよ♡ さらけ出すの!
アナタの全てを、愛を、情熱を!』
ディアモンテの笑顔。
そして、ヴェルたちの顔。
ここで負ければ、
みんなの頑張りが無駄になる。
そんなことは、許されない。
(……ごめんなさい、おじいちゃん。
私、お嫁に行けないかもしれません)
セリアは、覚悟を決めた。
顔がカッと熱くなる。
耳まで真っ赤に染まる。
けれど、迷いはない。
「あ、あぁぁぁぁぁッ!!」
死に物狂いでシゾットを投げ飛ばし、
セリアが、自らの手で。
纏っていたローブを、脱ぎ捨てた。
──バッッッ!!!
「なッ!?」
分身たちの動きが止まる。
会場中の視線が、一点に集中する。
舞い散るローブの下から現れたのは。
──水着だった。
それも、ただの水着ではない。
ディアモンテが厳選したフリル付きの、
それでいて露出度の高い勝負水着である。
白磁のような肌が、陽光に輝く。
健康的な肢体が、露わになる。
恥ずかしさに震える身体。
だが、その身体から。
爆発的なマナが噴き出した。
「奥義……ッ!!」
セリアは、涙目でポーズを取る。
両手をハート型に組み、
片足を可愛く上げる。
ディアモンテ直伝。
露出するほどステータスが上がる、
禁断の強化術式。
「あ、愛裸武勇ですぅッ!!!」
──ドォォォォォォォォォンッ!!!
ピンク色の衝撃波が、
セリアを中心に炸裂した。
「な、なんだそれはァァァッ!?」
シゾットが初めて声を荒げた。
会場は一瞬の静寂の後、大爆発した。
「うおおおおおおおおッ!!」
「天使だ! 天使が降臨したぞ!」
「ありがとう! 神様ありがとう!」
男たちの野太い歓声が、
地響きのように轟く。
その熱狂の中で。
『自由の風』のベンチだけが、
凍りついていた。
「あいつ、何やってんだ」
ヴェルが、口を開けたまま固まる。
「……なんてこった」
カルドが、頭を抱える。
「あやつ、捨ておったな。人としての尊厳を」
アノンが、遠い目をする。
「……僕の国で、何をしてくれている」
フィアが、顔を覆う。
「へぇ、フリルを差し引いても以外におっきいな」
シンは鼻の下を伸ばしていた。
そう、ヴェルたちの清楚な癒やし手。
可憐な僧侶セリアは、今。
完全に、色物キャラへと転落したのだ。
──いや、覚醒したと言うべきか。
「うぅぅ……恥ずかしいですぅ……!
でも、負けませんからぁッ!」
涙目で叫ぶ水着の天使。
その身体能力は、いまやAランク、
いやSランクの領域に片足を突っ込んでいる。
「さぁ、後半戦ですッ!!」
セリアが地を蹴る。
その速度は、もう誰にも止められない。
戦いは、混沌の後半戦へと突入する。




